「スケジュール、これだとザックリすぎる。先方とも相談して、もっと細かく詰めておいて」
「はい、かしこまりました」
「それと、予定通り順調にいくとは限らない。あまりタイトにしないでおいてくれ」
「承知しました」
月曜日になると、また怒涛の日々が始まった。
コンペで選ばれて喜んだのも束の間、ここからがいよいよ本番なのだ。
プレゼンよりも遥かにプレッシャーがかかり、真里亜も文哉の指示に、より一層気を引き締めて取り組んでいた。
初めのうちは、先方の担当者とどうコミュニケーションを取ればいいのか手探りで、話が二転三転することもあったが、何度も現地に足を運んで根気よく打ち合わせを重ねていくうちに、スムーズにやり取り出来るようになってきた。
先方がこちらに、実際のセキュリティシステムを確認しに来た時には、真里亜が丁寧に自社ビル内を案内して回った。
何気ない会話をするうちに、互いに打ち解け、それが仕事にも良い影響を与える。
だんだんと、クライアントというよりは同じプロジェクトメンバーのような雰囲気で、順調に作業は進んでいった。
「ビルのセキュリティシステムの取り付け工事は、来月の半ばに完了予定です。来月末には全ての動作確認を終えられそうだと先方には伝えてあります」
「分かった。デバイスのキッティングの方は?」
「はい、すでに半分ほどが完了していて、残りもあと1週間ほどで終えられるかと」
「よし。動作確認は、必ず先方にも立ち会ってもらってくれ」
「かしこまりました」
文哉に報告を終えた真里亜は、どうか全て無事に完了しますように、と心の中で祈った。
そして全ての工程が順調に終わろうとした頃…
思いも寄らない事件が起こったのだった。
その日、文哉は住谷と一緒に、まだ工事中のキュリアス ジャパンの新社屋に足を運んでいた。
3日に1回のペースで現地に赴き、作業工程を確認するのが決まりになっており、その日もいつものように順調な進み具合に安堵して社に戻った。
「先方から、質問事項がいくつかメールで来ていたな」
「ええ。今、真里亜ちゃんがチームリーダーにヒヤリングしてまとめてくれています」
「分かった。出来上がり次第、俺にも見せてくれ」
「はい、伝えておきます」
「警備員についての質問もあったから、確認しておこう」
地下駐車場で車を降り、そんな会話をしながら二人でそのまま地下1階の警備室に立ち寄る。
「ご苦労様」
「副社長!お疲れ様です」
防犯カメラのモニターがズラリと並んだ部屋の中央で、警備の隊長が立ち上がり、お辞儀をした。
「少し質問したい。今、レッドゾーンの出入り権限がある警備員は何人だ?」
「はい、私を含め5人です。ローテーションを組んで、毎日レッドゾーンの見回りを行っています」
「分かった。ありがとう」
ぐるっと部屋を見回して、異常がなさそうなのを確認してから出口に向かった時だった。
「あれ?エラー表示だ」
部屋の奥でモニターを見ていた警備員が、小さく呟いて首をひねる。
「どうした?」
近づいた隊長に、モニター画面を指差しながら説明を始めた。
「7号エレベーターに乗っている人のデータが表示されないんです。情報の紐付けが上手くいってないのかなあ」
7号エレベーターは、高層階直通のエレベーターだった。
思わず文哉と住谷は顔を見合わせる。
「どこだ?」
急いで駆け寄り声をかけると、警備員は席を譲って画面を差し示した。
「ここです。今、この7号エレベーターに乗っているのは、この男性一人だけです」
エレベーター内を映した防犯カメラの映像に、ビジネスマンらしき男性が一人映っていた。
横に表示されたデータは、unknownとなっていて、名前や顔写真、IDナンバーなど、本来表示されるはずの情報が何もない。
「この男に見覚えは?」
「いえ、ありません」
「カメラの映像、大きく出来るか?階数ボタンを見たい」
「はい」
文哉の言葉に、警備員がカチカチとマウスをクリックして画面をズームにする。
点灯している階数ボタンは、最上階だった。
文哉と住谷の間に、一気に緊張感が走る。
「不審者だ。智史、最上階フロアの外扉をロックしろ。警備員はすぐに最上階へ。それから全館に警報ベルを」
「はい!」
文哉の言葉に、その場の皆が一斉に動き出す。
もう一度モニター画面を見ると、エレベーターが最上階に到着し、男がフロアに足を踏み入れるところだった。
突然鳴り響く警報ベルに一瞬動きを止めたあと、男は一気に走り出す。
「智史、ロック急げ!」
「あと少しだ」
男が外扉にカードをかざすのと、パソコンを操作していた住谷が、よし!とエンターボタンを押すのとが同時だった。
一瞬の差で男が扉を開ける。
「だめだ!」
クッと顔を歪めた文哉は、次の瞬間、大きく目を見開いた。
「このドア、どこの部屋だ?」
小さな画面が並ぶ防犯カメラの映像は、どこを映しているものなのかよく分からない。
最上階にあるのは社長室と副社長室だけで、どちらも同じようなドアと外扉になっており、カメラの映像だけでは判別出来なかった。
文哉は、妙な胸騒ぎがした。
(男の目的は、社長室じゃないのか?もしや…)
隣に立っていた警備員が、画面を見て叫ぶ。
「副社長室です!」
「なにっ?!」
文哉は、周りのモニターに目を走らせ、副社長室の中を映したカメラを探す。
(あった!)
部屋の中では、真里亜が一人でデスクに向かっていた。
警報ベルに驚いているのか、キョロキョロと辺りを見回している。
(顔認証と指紋認証までは突破出来るまい)
男が部屋の中に入るのは不可能だろうと思っていると、ふいに真里亜が立ち上がり、ドアへ向かうのが見えた。
(なぜだ?!)
すぐさまドアの外の様子をモニターで見ると、男が激しくドアを叩きながら何かを叫んでいるらしい姿が映る。
おそらく警報ベルに便乗して、早く外へ!などと避難を促しているのだろう。
(だめだ!!)
文哉は急いで館内放送のマイクに駆け寄り、スイッチを押して叫んだ。
「真里亜、開けるな!」
画面の中の真里亜がドアレバーに手をかけたまま立ちすくみ、上を見上げた時だった。
男が勢い良くドアに体当りし、勢いで飛ばされた真里亜が、床に激しく身体を打ちつけられるのが見えた。
「真里亜っ!」
文哉は警備室を飛び出した。
副社長室で一人、キュリアスのQ&A書類を作っていた真里亜は、突然鳴り響いた警報ベルに驚いて手を止める。
「え、何?」
辺りをキョロキョロ見回した時、部屋のドアが激しくノックされた。
「火事です。早く外へ!」
「火事?!大変!」
真里亜は急いでドアへと向かう。
ドアレバーに手をかけて少し下に押した時、
「真里亜、開けるな!」
という声がどこからともなく響いてきた。
(え、今の声、副社長?)
思わず上を見上げた時だった。
ドン!という強い衝撃を身体に受け、真里亜は勢い良く床に倒れ込む。
「痛っ…」
身体中にジンジンする痛みを感じながらなんとか顔を上げると、スーツを着た目つきの鋭い男が、副社長のデスクの上にあったノートパソコンを取り上げるのが見えた。
「何するのよ!離しなさい!」
真里亜は立ち上がると、男に飛びついてパソコンを奪い返そうとする。
「こいつ、邪魔だ!」
男が真里亜を振り払おうとするが、真里亜は必死ですがりついていた。
「警備員だ!ここを開けろ!」
ドアを外から叩く音がするが、真里亜はそれどころではない。
「くそっ!この女、離せ!」
窮地に立たされた男が、渾身の力で真里亜を突き飛ばし、真里亜は後ろに倒れ込んだ拍子にデスクの縁に頭を打ちつけた。
ガン!という音がして、真里亜の意識がふっと遠のく。
「真里亜!」
部屋に飛び込んできた文哉の姿を見ながら、真里亜は意識を失った。
ぼんやりと目を開けた真里亜は、ベッドに横になったまま、見慣れない天井を見て記憶を辿る。
(あれ?ここどこだろう。病院?私、どうしたんだっけ?)
すると横から文哉の心配そうな声がした。
「気がついたか?気分はどうだ?」
「副社長。私、どうして…うっ」
文哉の方に顔を向けた途端、頭にズキンと痛みが走って思わず顔をしかめる。
「じっとしてろ。動くと良くない」
文哉は立ち上がると、真里亜の頭をそっと持ち上げて枕に戻す。
「大丈夫か?」
「あ、はい。ありがとうございます」
「礼なんか言うな。お前をこんな目に遭わせたのは俺だ」
え?と呟いて真里亜は考え込む。
そして徐々に何があったのかを思い出した。
「副社長のせいなんかじゃありません。それより副社長は?ご無事ですか?」
「バカヤロー。俺の心配なんかするな」
「どこも平気なんですね?パソコンは?」
「大丈夫だ。俺のことはいいから、お前は?まだ痛むか?」
「うーん、少し痛いような、痛くないような…」
「どっちなんだ?!」
「いや、痛くないです。はい」
真顔で問い詰められて、思わず否定する。
だが、後頭部に違和感があり、しゃべると頭の中に響く気がした。
「無理するな。本当は痛むんだろ?」
「えっと、少し」
「検査をしてもらったが、幸い異常は見当たらなかった。ただ、打った箇所は内出血して腫れもある。今夜一晩は入院して様子を見るそうだ。気分が悪くなったりしたら、すぐナースコールするように」
そう言って少しうつむくと、文哉は苦しそうな表情で頭を下げた。
「悪かった。お前がこんな怪我を負ったのは俺の責任だ」
「ですから、副社長は何も悪くありません。悪いのは…、あ!そう言えばあの人、捕まったんですか?」
「ああ。警察に引き渡した。詳しい取り調べはこれからだが、どうやらコンペのライバル企業が雇ったハッカーらしい」
ええ?!と真里亜は目を見開く。
「それって、コンペで選ばれなかった逆恨みってことですか?」
「まあ、そうだな。だが狙いは、うちのセキュリティシステムがずさんだと世間に思わせることだろう。そうすれば、キュリアスはうちとの関係を解消し、他社、つまり自分の会社に声をかけてもらえると思ってハッカーを雇ったんだろうな」
そんな…と真里亜は言葉を失う。
そしてハッとしながら文哉の顔を見た。
「副社長、それで?うちにそのハッカーが侵入したことは、世間に知られてしまったんですか?」
「ああ。警察も来て、騒ぎになったからな。もうすぐニュースでも取り上げられるだろう。マスコミからの問い合わせもしばらくは続くと思う」
「そんな!じゃあキュリアスは?うちのセキュリティシステムに疑問を持たれてしまったら…」
「それはお前が心配することじゃない。これから俺がなんとかする」
でも…と、真里亜は目を潤ませる。
「ごめんなさい。私があの時、副社長室のドアを開けて、ハッカーを中に入れてしまったから…」
「どうしてお前が謝る?お前は何も悪くない」
「だって、副社長は開けるなって止めたのに、私…」
はあ、と文哉はため息をつく。
「いいか、すべての責任は俺にある。お前が自分を責めるのは俺が許さん。もう二度と謝るな。それから」
少し視線を落としてから、意を決したように文哉は顔を上げた。
「お前は人事部へ戻れ。キュリアスのチームからも外す」
は?と、真里亜は素っ頓狂な声を上げる。
「ふ、副社長?一体何を…」
「何度も言わせるな。今後お前の仕事は智史に任せる。明日、退院の手続きも智史に頼んで、お前を自宅まで送らせる。体調が回復したら、次からは人事部へ出社するように。じゃあ、今夜はしっかり休め」
一気にまくし立てると、文哉は立ち上がって出口に向かう。
「ちょ、ちょっと待ってください!副社長!私をチームから外すなんて、どうして…」
真里亜の言葉を無視して、文哉は病室を出て行った。
「くーっ、この鬼軍曹!!」
後ろ手にドアを閉めた文哉に、真里亜が捨て台詞を叫ぶ。
大きく息を吐き出した文哉は、廊下の壁に背を預けて立っている住谷の姿に気づいた。
「いいのか?本当にそれで」
ゆっくりと壁から身体を起こして住谷が尋ねる。
「当たり前だ」
文哉は抑揚のない声でそう言うと、スタスタと廊下を歩き始めた。
「お前、真里亜ちゃん抜きでキュリアスとの仕事、上手くいくと思うのか?」
「ああ」
「彼女がいなくても平気だと?」
「もちろん」
「仕事上ではなく、お前自身もか?」
文哉はピタリと足を止めて住谷を振り返る。
「何が言いたい?」
「彼女を手放してもいいのかと確かめただけだ」
無表情で住谷を見つめた後、文哉は再び前を向きながら答える。
「当然だ」
コツコツと病院の廊下を歩く文哉の後ろ姿にため息をつきながら、住谷も仕方なく歩き始めた。
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