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「俺とお揃いの指輪、欲しくない?」
彪とお揃いの指輪……。
「欲しい、かも……しれない」
「なんだよ、かも、って」と、彪が笑う。
「楽しそうですね」
「ん?」
昨夜から、彪はいつもとは少し違う、いつもより子供のような、倫太朗のようなテンションのようだ。
「そりゃ、楽しいだろ。好きな女と結婚出来て、めいっぱい抱いて、未来《これから》を語り合うんだ」
「未来……」
「出るか」と言って、彪が立ち上がり、私の手を引いた。
互いの身体を拭いて、部屋着を着せ合う。
私には初めてのことばかりで戸惑うが、彪は常時楽しそうだ。
昨夜食べ損ねたオードブルやケーキを並べて、食べた。
「な、椿?」
「はい」
しんなりしたエビフライを咀嚼しながら、彼を見た。
「今までは目先の目標っていうか、目的しか考えていなかったと思うけどさ――」
フッと微笑んだ彼に、今更ながらドキッとする。
「――これからはもっと未来のことも考えていこう」
「未来?」
「そう。椿にとってこの十年くらいは、借金返済が全てだったろ?」
うん、と頷く。
「けどさ、もうすぐ完済で、年明けからはフードロス企画も本運用が始まる」
うん、と頷く。
「結婚もした」
うん、と頷く。
「だから、今まで考えられなかった色んな事、考えよう。で、俺と話し合おう」
実はどこか、現実的じゃなかった。
彪のお祖母様に会っても、婚姻届を書いても、提出しても、夢のような感覚。
いつか醒めてしまうんじゃないかと不安が拭えない、幸せな夢。
だって、憧れていた、尊敬していた是枝部長が私を好きだなんて、信じられる!?
「椿。……俺たちは死ぬまで一緒だ。椿が言ったんだぞ? 俺を孤独死なんかさせないって。それは、俗に言う『死が二人を別つまで』ってやつだろ?」
「死ぬまで一緒……」
彪が立ち上がり、私の横に膝をつく。
そして、私の頭を撫でた。
「出会ってから今日まで、結構な勢いできたもんな。実感がなかったか?」
小さな子供をあやすように、よしよしと頭を撫でられる。
「だから、難しい表情《かお》してるのか?」
しょっぱい。
何も食べていないのに、口の中がしょっぱい。
「倫太朗ほどじゃないかもしれないけど、俺、お前のことわかってきたよ」
しょっぱいのは、涙だ。
私が流した、涙。
「ずっと一人で頑張ってきたから、自分以外の誰かのペースに巻き込まれると、ついて行けないんだよな?」
彪が私の眼鏡を外す。
途端に視界が滲み、何も見えなくなる。
「不安があるなら言ってくれ。でなきゃ、お前と結婚出来て舞い上がってんの俺ひとりで、恥ずかしいだろ?」
どうして彪は、こんなに優しいの……。
ずっと、ひとりで生きていくのだと思っていた。
それを寂しいと思う間もなかった。
借金を返しても、自分がどこの誰かはわからないし、お祖母ちゃんの言葉は消えない。忘れられない。
ひとりでいいと、思ってた。
彪に会うまでは――。
ひっく、と肩を震わせて酸素を吸うと、私は彪の首に抱きついた。
ガタン、と椅子が倒れた。
彪は、私を抱き留め、抱きしめてくれた。
「好き――っ!」
「うん、俺も」
「こ、子供っ、たくさん欲し――」
「――うん」
「仕事……続けて――」
「――うん、いいよ」
「指輪……も――」
「――うん、買いに行こうな」
「……ひとりにしないで」
ぎゅうっと、痛いくらい強く抱き締められた。
「椿こそ、俺をひとりにしないでくれよ?」
幸せ慣れしてなくて、面倒臭いと自分でも思う。
だけど、こんな風になんの不安もなく、寄りかかれる誰かが現れるなんても考えたこともなかった。そんな人が私を愛してくれるだなんて。
小さな子供のようにわんわん泣いた。
その間、彪はずっと私の頭を撫でていてくれた。
「大丈夫」「すっと一緒だ」と何度も言ってくれた。
両親が亡くなったあの日から溜め込んだ涙は、彪のスウェットをぐっしょり濡らすほどだった。
散々泣いたらお腹が鳴った。
彪が笑って、フライドポテトを私の口に押し込んだ。
ポテトはすっかり冷めて、もそもそしていた。
それでも、美味しいと思った。
心の中でずっと、しとしとと降り続いていた雨が止み、陽の光で満たされた気がした。