その夜、葉月は夕食の支度を終えたあと、ソファーに座ってぼんやりとしていた。
夕食には、オーブンで鶏肉を焼いた。
庭で摘んだローズマリーを使い、ハーブソルトとガーリック、それに黒コショウをやや強めに効かせて、オリーブオイルで仕上げる。葉月の得意料理だ。
チキンの周りには、色とりどりの夏野菜をざく切りにして、一緒にローストした。
さらに、フレッシュ野菜のサラダとコンソメスープも用意し、仕事帰りに買ってきた美味しいバゲットを添えれば完成だ。
準備を終えた途端、激しい脱力感が葉月の身体を襲う。
(どうしてこんなに気分が落ち込むの?)
その原因が、夕方会った女性にあることを、葉月はわかっていた。
(桐生さんが帰ってきたら、はっきり聞けばいいだけのこと。それで、もし彼女といい雰囲気だったら、私が身を引けばいいの。今ならまだ引き返せるわ。だって、私たちの間には、何もないんだから……)
そう思った瞬間、葉月の脳裏に賢太郎にキスされた時の記憶がよみがえった。
(キ、キスなんて、海外では挨拶みたいなもんだし、問題ないわ! 逆に、身体の関係がなくてよかった……)
すると、今度は息子・航太郎のがっかりした顔が、頭に浮かぶ。
(あの子はがっかりするだろうな……。でも、きちんと話して、理解してもらうしかないの)
葉月は、そう心のなかで呟くと、自分自身を納得させた。
その時、玄関のインターフォンが鳴った。
(あ! 帰ってきた!)
葉月は、慌ててソファーから立ち上がると、玄関へ行きドアを開けた。
すると、賢太郎が笑顔で入って来た。
「ただいま。遅くなってごめん」
「ううん、大丈夫。送ってくれてありがとうね。さっき、佐伯さんからちゃんと着いたって連絡があったわ」
「うん。航太郎からも、俺にメッセージがきたよ」
賢太郎の言葉に、葉月は驚いた。
(え? 私には連絡がないのに?)
息子は、そこまで賢太郎のことを信頼しているのかと、葉月は思った。
そして、そんな息子から賢太郎を引き離すことになるかもしれないと思うと、胸が痛む。
その時、賢太郎が言った。
「美味そうな匂いがするなぁ」
「あ、ご飯できてるわよ」
「腹ペコだよ。手を洗ってくるね」
賢太郎が洗面所へ行ったので、葉月はキッチンへ行き、スープを温め直す。
その間に、オーブンの予熱でまだ温かいチキンを皿に盛りつけ、テーブルへ運んだ。
そこへ、賢太郎が戻ってきた。
「手伝おうか?」
「大丈夫。あ、なんか飲む?」
「美味そうだなぁ。これだと、ワイン?」
「赤でいい?」
「うん」
「じゃ、座ってて」
葉月は、キッチンへ戻り、ワインとグラスを取ってきた。
二人は向かい合って座ると、ワインで乾杯した。
「今日はお疲れ様でした」
「どういたしまして」
「航太郎、どうだった?」
「長野に行くのが、嬉しくて仕方ないって感じだったな」
「ふふっ、やっぱり。去年もそうだった」
「去年は、航太郎がいない間、葉月は一人でどうしてたの?」
「今年と同じで仕事よ。あ、一日だけ、千尋と夕食に行ったかな」
「そっか。でも、こんな機会でもないと、一人になれる時間なんてないんだろう?」
「そうね。父がいた頃は面倒を見てくれたけど、今は誰にも頼れないから」
「シングルマザーは大変なのに、葉月はよくやってるよ」
賢太郎からの労いの言葉は、葉月の心にジーンと染み渡った。
「ん、これ、すごく美味しいね。ハーブが効いてる?」
「そう。わりとあっさりしてて、いいでしょう? オーブンで焼くだけだから、簡単なんだけどね」
「簡単なのに、豪華に見えて美味いって……最高でしょ! やっぱり葉月は料理が上手なんだな」
「ありがとう」
二人は他愛もない会話をしながら、食事を続けた。
食事をしながらの賢太郎との時間は、とても楽しかったが、葉月の脳裏にはあの女性のことが引っかかっていた。
食事も終わりに近づいたころ、葉月は我慢しきれずに、それとなく賢太郎に聞いた。
「ねぇ、私たちが初めて会った時のことなんだけど」
「初めて? ああ、あのイタリアンの店?」
「そう。あの時って、合コンしてたんだよね?」
「うん。でも俺は合コンだって知らなかったんだ。男同士の食事会だって誘われたからさ」
「え? そうなの?」
「そう。だって、俺、合コンとか興味ないし」
「そうなんだ……意外……」
「え? 俺って、しょっちゅう合コンしているように見える?」
「ううん、そうじゃないけど」
「じゃあ、どうして驚くの?」
「ううん、べつに……」
葉月がはっきり答えないので、賢太郎が逆に質問をした。
「何か俺に言いたいことがあるよね?」
「え? ないわよ」
「いや、ある! 隠してもわかるよ」
「ふふっ、やーね、何もないわよ」
「絶対あるって! 隠さないで言って。ちゃんと答えるから」
「ないない、本当にないから!」
しびれを切らした賢太郎は、立ち上がってから、葉月の手を引っ張ってソファーまで連れて行った。
そして、ソファーに座ってから、いきなり葉月を引き寄せ膝の上に座らせた。
「ちょっ、ちょっと……下ろして!」
「ダーメ! ちゃんと話してくれたら、下ろしてあげる」
「だから、何もないってば」
「ないはずないでしょ。葉月、なんかおかしいもん」
「なんで、出逢ったばかりのあなたに分かるの?」
「そりゃ分かるよ。好きな人のことなら、なんでも分かるさ」
その言葉に、葉月はドキッとした。
(好きな……人?)
葉月が戸惑っていると、賢太郎はもう一度葉月の腰をしっかり引き寄せてから、聞いた。
「言って! 何があったの?」
今までには見たことのない真剣な表情の賢太郎を見て、葉月は思わずごくりと唾を飲み込んだ。
コメント
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続きが気になりすぎます。
ちゃんと気持ちを伝えてね。彼は元夫とは違うよ。ちゃんと話し合える人だよ☺️
葉月ちゃん、賢さまに言っちゃえ~‼️ 賢さまはキチンと答えてくれるよᕦ(ò_óˇ)ᕤ