テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#執着
猫とろ
585
瑠璃マリコ
34,727
管野アリオ
174
桃下結衣
274
コメント
1件
うわあ、このエピソード、すごくよかったです…。「蛍の君」って呼び方がすでに素敵なのに、今泉さんが「御主人の代わりにはなれない」って言い切った瞬間、本当に心臓が止まるかと思いました。彼の誠実さと、ほんの一瞬見せた苦しげな表情に、亜紀ちゃんと同じように胸がぎゅっとなりました。「ベストなタイミング」という言葉に込められた想い、じんわり沁みます。
ライトアップされた木々を抜けると、小さな芝生の丘が広がっていた。
夜空いっぱいに散りばめられた無数の光。
都会では決して見ることのできない小さな星までもが、美しい輝きを放ち、秋の夜空を彩っている。
「わぁ~! 本当だ。
今日は星が綺麗に見える。
こんなに綺麗な星空が見られる場所、この辺りにあったんですね」
「うん。ベストスポットだろ?」
「素敵です。……すごい。
星が降ってきそう」
星空を見上げながら吐息をこぼすと、それはふわりと風に乗り、冷たい夜気へ溶け込んでいった。
「ここは空気が綺麗だからね。
星の光を邪魔する灯りもない。
前回の散歩は雨上がりだったけど、今夜は天体観測には絶好の夜空だ」
今泉さんは満足そうに微笑み、懐かしい空気を味わうように大きく深呼吸をした。
「久しぶりに、こんなにたくさんの星を見ました。
……やっぱり、今泉さんは蛍の君ですね」
私は光の宝石のような星々を見つめたまま、ふっと笑みをこぼした。
「ん……? 蛍の君?」
「麗香がね、今泉さんをそう呼ぶの」
「へぇ。……なるほど。俺は蛍の天皇さまか。
それも悪くないねぇ。
しかし、麗香ちゃんって本当に面白い子だよね」
今泉さんは、くくっと喉を鳴らして笑った。
「そうなの。麗香はいろんな経験をしてるし、自由人だから発想も言動も面白いの。
でも、私の頭が堅すぎて、麗香にアドバイスをもらっても、なかなか実行できなくて……」
風に揺れる髪を耳へ掛け、苦笑いを浮かべながら口ごもる。
「そうか……それで亜紀ちゃんは焦っちゃうんだね。
女狩人・麗香ちゃんに煽られて」
今泉さんは私の顔を覗き込み、冗談めかして言った。
「いえ……あの……煽られてというか……」
見つめられると、うまく言葉が出てこない。
「焦る必要なんてない。
不安を抱えたまま感情だけに流されても、その先にあるのは、やっぱり不安だけだ。
時間はいくらでもある。
亜紀ちゃんには、こうして自分の気持ちと向き合う時間が大切なんだ」
「でも……」
返す言葉が見つからず、開きかけた唇を、私はもう一度そっと結んだ。
今泉さんは微笑み、繋いだ私の手を包むように、もう片方の手をぽんぽんと重ねた。
「大丈夫。
俺はどこにも行かない。
亜紀ちゃんの望む存在でいることが、俺の望みなんだよ」
「……どうしてそんな優しい言葉をくれるんですか?」
握られた手へ視線を落とし、ためらうような声が喉からこぼれた。
どうして、いつもあなたは……
まるで……
そよぐ風に揺れる、静かで穏やかな水面のように……
「私の望む存在が、自分の望みだなんて……
どうしてそんな言葉が言えるんですか?
男女の間に、そんな形があるんでしょうか……」
今泉さんは黙ったまま、私を真っ直ぐ見つめ返した。
そして短く息をつくと、
「亜紀ちゃんは、『そんな浮気性で冷たい旦那なんかより、俺の方がずっと君を大切に想ってる。大丈夫。君の苦しみは俺が癒してあげるよ』って、俺が甘い言葉を囁いて強く抱きしめたら、今の苦しみから逃れられる?」
目を細め、穏やかな口調で問い掛ける。
「えっ……?」
思いもよらない問いに、心臓が大きく跳ねた。
今泉さんは……
何が言いたいの?
目を見開き、喉に詰まりそうになった唾を飲み込む。
しばらくの沈黙のあと、再び今泉さんが口を開いた。
「冷たい言い方かもしれないけど……
俺は亜紀ちゃんの御主人の代わりにはなれない。
俺の存在で、亜紀ちゃんの環境を壊すことはできない……」
「今泉さんの存在で……私の環境を壊す?」
「亜紀ちゃんは、今の状態で俺へ逃げるのが嫌なんだろ?
自分の中にある矛盾が許せない。
……違う?」
「……」
「亜紀ちゃんが恐れているように、今の感情のまま流されてしまったら、きっと後悔する。
俺自身も、感情に流されるだけの無責任な男にはなりたくない」
最後の言葉を口にしたあと、今泉さんはほんのわずかに唇を歪めた。
……今泉さん?
一瞬だけ見せた苦しげな表情が、私の胸に鈍い痛みを走らせる。
「今泉さん……」
私は不安そうに彼を見つめた。
「亜紀ちゃん。
物事には、ベストなタイミングってあるだろ?
仕事とか、人との出逢いとか」
戸惑いを隠せない私の表情に気づいたのか、今泉さんはいつもの穏やかな笑顔を浮かべ、話題を変えるように続けた。
「えっ?……あ、はい。ありますね」
私も咄嗟に調子を合わせる。
「男と女の関係も同じだよ。
必ず、ベストなタイミングがある。
そのタイミングを掴むか逃すか、それは二人の運命。
焦っても、二人にとって良い結果は生まれない」
今泉さんは穏やかにそう言葉を紡ぐと、
「亜紀ちゃんは、運命って信じる?」
そう付け加え、少しだけ語尾を上げた。