テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
wadaken1
162
#怪異
wadaken1
851
#和風ファンタジー
wadaken1
245
#怪異
wadaken1
339
コメント
1件
ああ、もう……胸がぎゅっとなりました。ミサキさんの罪悪感と自己嫌悪、それでも「お帰り」と言いたい気持ちが切なくて。ラストで泣きながら「お帰りマキオ」って抱きしめる場面、感情が全部詰まってた。でも見た目はそっくりなのに“違う”と感じる不気味さもあって……この子は本当にマキオなのか、それとも化け物の罠なのか。続きが気になります。とても良いお話でした。
■■■■年■■月■■日 ■■時■■分
地獄道
栗原ミサキ
ドンドン、ドンドン。
真夜中、誰かが部屋のドアを叩いている。
私はベッドの上で毛布にくるまっているけれど、眠ってはいない。眠れない。眠れるわけがない。
あの子が河原に靴の片側だけを残してからの十日間、私は一睡もできていない。
ドンドン、ドンドン。
しつこい。ずっと無視しているのに.
ドアの外にいる誰かは帰ろうともせず、ずっと無遠慮なノックを続けている。
……いや、誰か、じゃない。実の母親に生まれつきの大馬鹿だって評された私にだって本当はちゃんとわかっている。
ドアの外にいるのが誰かぐらい。
あいつだ。
あの日、冷たい川の中で私を待ち構えていたあの化け物。
ドンドン、ドンドン。
あいつが何をしたか、私は知っている。
あいつは殺したんだ。私にとって唯一の宝物を、私が産んだたった一人の息子を冷たい泥水の底に沈めて。
野生の猛獣と違って空腹に耐えかねて、とかじゃない。
遊びだ。純粋な悪意の発露だ。刹那のサディスティックな欲求を満たすための生贄としてあの子は選ばれたんだ。
ドンドン、ドンドン。
だけど、私にはあいつを責める資格はない。あいつの住処である、あの穢い河原へ息子を追いやったのは他の誰でもないこの私だから。
何がきっかけだったのか、今となっては思い出すこともできない。
あの子の見ているテレビの音が大きいとか、あの子がご飯を残してお菓子ばかり食べるとか、どうせ些細でくだらないことだと思う。
ひょっとしたらあの時、私は頭がおかしくなっていたのかも知れない。
さもなければ、あんな酷い言葉の数々をまだ小学校にも上がっていない幼子に向かって吐き捨てられるはずがない。
罵詈雑言に耐えかねた息子は癇癪を起し、泣き叫びながら家を飛び出していったが私は跡を追わなかった。
どうせすぐ帰ってくると思ったし、連日続いて発生していた仕事のトラブルによるストレスで私は心身ともにガタガタだったからだ。
せめて一時間。いや、三十分でもいい。
誰にも邪魔されず心置きなく眠れる時間が欲しかった。
そして、私が眠っている間、あの子は汚水同然の水に飲み込まれた。一瞬でもいなくなればいいのに、と私が望んだからだと思う。
だから、私は母親なんかじゃなく――、ただの人殺しだ。
ドンドン、ドンドン。
うるさい。本当にうるさい。
その気になれば化け物は、あんな薄っぺらいドアなんか簡単に壊して突破できるだろうに。なぜ、そうしないの?
答えはカンタン。私が精神的に参り切って、自らあのドアを開けるのを今か今かと待ち受けているんだろう。
ドンドン、ドンドン。
ノックの音を聞き続けているうちに感情が中和されたのか、私は恐怖よりも虚しさと馬鹿馬鹿しさを覚えていた。
だって、こんなの時間の無駄。
生物の本能として殺されるのが怖いのは当然だとしても、生き延びたところでこれからの私の人生に一体何の意味があるのか。
毛布を払いのけ、のっそりと身体を起こし私はベッドから立ち上がっていた。それからゆっくりと玄関へと向かう。
ドンドン、ドンドン。
あの子はもういなくなった。私が酷い言葉で家から追い出して、ドアの外にいるやつが殺した。殺された。
私みたいな無能で未熟、感情的なだけで子供を持つ資格なんて何一つない女のもとに生まれて来たばかりに。
可哀そうに。
あの子はどんなに痛かっただろう。
あの子はどんなに苦しかっただろう。
あの子はどんなに悲しかっただろう。
あの子が死んだのに私だけが生きている道理がない。
あの化け物になぶり殺しにされ、地獄に連れ去られ、さらにそこで永遠の責め苦を受けるのが私にはお似合いだ。
ドンドン、ドンドン。
いや駄目だ。これじゃ駄目なんだ。
冷たい真鍮製のドアノブに手をかけ、唐突に私は思った。
私が死ぬのは別にいい。痛くて怖い想いをするのも構わない。あるいはもっと地味に、一人この部屋で朽ち果ててゆくのも構わない。
だけど万が一、あの子が帰って来た時。
例えばお化けになって、ここに私達の家に帰ってきた時。
私がいなくなったら誰があの子を出迎えて上げれるの?
お帰りなさい、でもいい。ごめんね、でもいい。地獄に落ちるその直前でもいいから一言、あの子に優しい言葉をかけてあげたい。
だから、だから私は――。
と、ドアを叩く音が突然止まった。亡者の悲鳴のような、低く軋んだ音を立ててゆっくりとドアが開いてゆく。
息を飲み、私は待った。
目の前に、あのニヤけた造形の能面が現れることを。枯れ枝のような黒い腕が現われ、私の身体を真っ二つに引き裂くのを。
だけど、違った。ドアの隙間から覗き込んできたのは、化け物じゃなかった。赤ちゃんみたいに丸みを帯びた、小さな男の子の顔だった。
キラキラした目を私と合わせ、その子は笑った。にっこり、と。満面の笑顔だった。
「マキオ……?」
思わずそう呟き――、だけど、すぐに私は悟っていた。
違う。この子はマキオじゃない。見た目はそっくりで、醸し出す雰囲気も、誰が見ても栗原マキオだと思うだろうけど。
でも、違う。少なくとも、私が産んだ栗原マキオとは違う子だ。
やがて、その場で凍りついている私の目の前でドアが開き切り、
「ママーッ、ただいまーっ!」
夏の湿った夜気を身にまとわせ、マキオと瓜二つの子供が玄関に飛び込んで来る。輝くような満面の笑顔を浮かべ、両腕を大きく開いて。
本当のマキオがいつもそうしているみたいに。
あまりにも可愛らしい仕草。そう思いつつも私は怖気を覚えずにはいられなかった。ヒィ、と言う悲鳴にならない悲鳴をあげ、飛びついて来る子供を払いのけようとした。
嗚呼、駄目だ。受け入れては駄目だ。この子はマキオじゃないのに。ひょっとしたらあの能面の化け物と同類かも知れないのに。
そう思った時には全てが手遅れだった。
私は子供の小さな身体をしっかりと受け止め、抱きしめてしまった。そして、低く唸るような呻き声をあげながら子供に頬ずりをしていた。
子供はあまりに柔らかく、そしてあたたかだった。
マキオとおんなじだ、と私は思った。
「帰りが遅くなってごめんね、ママ」
マキオそっくりの顔をニコニコさせながら子供が言った。[
「僕ね、ズーッと遠くまで流されちゃってね。思ったよりずっと遠くまで流されちゃったから――、もうお腹がペコペコなの。戸棚のどら焼き、食べてもいい?」
気がつくと私は泣いていた。もしかしたら笑っていたのかもしれない。
何もかもがグチャグチャだった。私は何も考えることができないまま、手のひらに伝わってくる子供の体温を感じていた。
そのぬくもりが嬉しくて、悲しくて。
そして、心の底から恐ろしくて私は嗚咽し続けた。
「――お帰りマキオ」