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夕暮れが落ちきる前から、星降る橋のたもとは人で埋まり始めていた。
商店街の人、学校帰りの生徒、仕事帰りに立ち寄ったらしい大人、昔この橋の下で雨宿りしたことのある老人。橋の上にも下にも、いつもより少しよそゆきの顔が並ぶ。濡れないように張られた簡易の屋根が風に鳴り、川の匂いが人波の熱と混じっていた。
ニカットは司会台の前に立ち、原稿を持つ手を握り直した。
以前なら、上から降りてきた文面をそのまま読むだけだっただろう。だが今日は、自分の声で言うと決めた顔をしている。
「これより、水鐘町公開上演を開始します」
硬い言い方なのに、不思議と場はしんと静まった。
先攻はオートパイロット。
橋のたもとに設置された仮設舞台へ、整えられた装置が滑るように入っていく。映像幕、可動式の柱、足元の照明。まるで最初からこの場所がそのために造られていたみたいに無駄がない。
舞台袖で見ていたモルリが、悔しそうに口を尖らせた。
「やっぱり、悔しいくらいきれい」
「悔しがる余裕があるなら、客席導線見て」
ホレが言う。
モルリは「はいはい」と返しながらも、目は舞台から外せない。
サベリオも同じだった。勝てる形は変えた。けれど、真正面から見れば相手の積み重ねは本物だ。認めたくなくても分かる。
リヌスが中央へ出る。
派手な身振りはしない。だが、一歩目から流れを掴む人間の歩き方だった。アルヴェが離れた穴を、彼は穴のままにせず、現場の密度で埋めていく。
音楽が入る。
映像が開く。
観客席から、素直などよめきが起きた。
「すご……」
ハルティナが思わず呟く。
トゥランはその隣で、唇を結んだ。
「でも、すごいだけで終わるかもしれない」
パルテナは橋の下からその舞台を見上げていた。
看板役ではない。けれど彼女は目を逸らさず、自分がいた場所の強さも弱さも、まるごと見届ける顔をしている。
上演は滑らかだった。
場面転換も、視線の誘導も、観客を置いていかない。笑わせる所で笑いが起こり、見せ場で息を呑ませる。数字だけを追った空疎さではなく、リヌスが最後まで現場を立て直してきたことが伝わる舞台だった。
サベリオは静かに息を吐く。
敵を軽く見たことは一度もない。今日、その判断はますます正しかったと分かった。
その時、遠くで雷が鳴った。
橋の骨組みをなぞるような低い響き。
観客の何人かが空を見上げる。雲はさらに厚く、月の位置さえ分からない。
リヌスは一瞬だけ上を見たが、すぐ芝居へ戻した。
舞台は続く。続けるしかない。舞台に立つ人間のそういう強さを、サベリオは知っている。
そして終盤。
最大の見せ場に向けて照明が組まれ、映像幕がもう一段明るくなった、その瞬間だった。
白く、鋭い稲妻が空を裂く。
ほとんど同時に、地面まで震えるような雷鳴が落ちた。
次の一拍で、舞台の光が一斉に死んだ。
映像が消える。
スピーカーが黙る。
仮設舞台の上にいた俳優たちの輪郭だけが、遅れてやってきた薄暗がりに取り残される。
観客席がざわめいた。
ジャスパートが空を見上げる。
「……来た」
橋の鉄へ、強い雨の一滴目が打ちつけた。