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最初に聞こえたのは、雨音だった。
ざあっと一気に落ちてきた水が、仮設屋根も橋脚も客席の手すりも、同じ速さで叩いていく。光を失った舞台の上で、俳優たちは一瞬だけ固まった。次にどう動くべきか、耳で探している顔だ。
リヌスの声が飛ぶ。
「落ち着いて。前列から屋根の内側へ」
その一言で、現場が辛うじて崩れきらずに済む。
スタッフが懐中電灯を点け、観客を誘導し始める。けれど、電源に頼る設計が多すぎた。止まった装置はただの重さになり、映像幕は濡れた布へ変わる。
橋の下から見ていたアルヴェは、拳を握っていた。
自分が残した設計思想の弱さを、誰よりもよく分かってしまう。舞台の中心に立っていた頃なら、すぐ何かを叫んでいたかもしれない。だが今は、叫ぶ立場ではない。
代わりに、彼は舞台へ向かって深く頭を下げた。
見えない距離にいるリヌスへ、心の中でだけ。
「ごめん。任せた」
リヌスは最後まで整えた。
中断の案内を自分の口で伝え、混乱する客席へ余計な苛立ちを移さず、俳優たちが惨めにならない終わらせ方を選んだ。
その姿を見たパルテナが、ぽつりと言う。
「負け方まで、ちゃんとしてる」
悔しそうなのに、どこか誇らしさの混じる声だった。
モルリはごくりと唾を飲み込む。
「こっちの番、来る?」
「来る」
ホレが即答する。
「たぶん、今ここで逃げたら一生来ない」
サベリオは黙って橋の上を見た。
雨はますます強い。けれど、不思議と足は震えていなかった。これだけ条件が変われば、普通は怖くなるはずなのに、胸の奥では別のものが起きている。
装置が止まっても残るものだけで勝負する。
最初から、そういう舞台へ寄せてきた。
ニカットが司会台へ戻る。
濡れた髪が額に張りつき、原稿の端も少し波打っている。彼は一度深呼吸し、客席を見渡した。
「予定を一部変更します」
ざわめきの中、その声は思ったより通った。
「安全確認ののち、次の上演を行います」
少し間を置き、
「次、シェルター組です」
その言葉が落ちた瞬間、橋の下にいた全員の空気が変わった。
ヌバーが目を見開く。
「うわ、ほんとに来た」
ハルティナは両手を握り、トゥランは背筋を伸ばす。ミゲロは無言で濡れた板の位置を直し、グルナラは必要最低限の物だけを即座に選び始めた。サラは顔色の悪い人へタオルを渡し、パルテナは衣装の裾を持ち上げて泥を払う。
アルヴェがサベリオへ近づいてくる。
雨の中なのに、彼の声は妙に落ち着いていた。
「月は隠れても、橋は残る」
それだけ言う。
サベリオは短く頷いた。
「十分だ」
アルヴェは口元だけで笑う。
「勝ってこい」
敵だったはずの男のその言葉が、変に軽くなくて、サベリオの胸へ真っすぐ入った。
ジャスパートが機材箱を閉じる。
「電気、あてにしない」
いつも以上にぶっきらぼうだが、その目だけは生き生きしている。
「やっと条件が揃った」
モルリが目を丸くする。
「今それ言う?」
「今だから言う」
橋の上では雨が白く流れ続けていた。
満月はまだ見えない。
けれど、隠れているだけなら、その向こうにある。
デシアが台本を閉じる。
紙ではなく、自分の胸へしまうみたいな仕草だった。
「行こう」
誰に向けたのでもないその一言へ、皆が動いた。