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#読み切り
ドアが閉まると、少しだけ沈黙が落ちた。
椅子に座った青年は、部屋の隅を見たまま言う。
「別に、嫌いじゃないんです」
遥が静かに聞き返す。
「恋人の話?」
「……はい」
机の向こうで、日下部が腕を組む。
「続いてるのに、相談に来た理由は?」
青年は、少し笑った。
その笑い方が、妙に力が抜けている。
「理由っていうか……気づいたんです」
「何に」
「多分、もう好きじゃない」
空気が少しだけ動く。
三人とも、すぐには言葉を挟まない。
青年は続ける。
「でも別れるほどでもないんです」
蓮司が眉を上げた。
「矛盾してない?」
「してますよね」
青年は素直に頷いた。
「でも、別れる理由もないんです。喧嘩もないし、向こうは普通だし。週末会って、ご飯食べて、映画見て」
少し間を置く。
「それで、また次の週」
遥が静かに聞く。
「その時間、どう感じる?」
青年は考える。
長く。
そして、ぽつりと言った。
「……流れてる感じです」
「流れてる?」
「はい。なんか……川みたいに」
蓮司が小さく笑う。
「ロマンチックな例えだな」
「違うんです」
青年はすぐに首を振る。
「自分で歩いてない感じなんです」
日下部が口を開く。
「流されてる?」
「それです」
青年は少しほっとした顔をした。
「惰性って、こういうことなんだろうなって」
遥が尋ねる。
「相手は?」
「多分、気づいてないです」
「どうしてそう思う」
「向こうは、楽しそうだから」
その言い方が、少しだけ痛い。
蓮司が聞く。
「それ聞いて、どう思う」
青年は苦笑する。
「罪悪感」
「なるほど」
日下部が軽く頷く。
「嫌いじゃない。相手も悪くない。だけど自分の気持ちだけ、前に進んでない」
「はい」
「よくある状態だ」
青年は少し驚く。
「そうなんですか」
遥が言う。
「関係は、気持ちで続くとは限らない」
「え?」
「習慣でも続く」
青年は黙る。
遥は続ける。
「同じ店に行く。
同じ時間に会う。
同じ言葉を言う」
静かな声。
「それが繰り返されると、人はそれを“関係”だと思う」
青年は小さく言った。
「……思ってました」
蓮司が椅子にもたれる。
「逆に聞くけどさ」
「はい」
「別れたらどうなる?」
青年は少し笑う。
「多分、普通です」
「寂しくない?」
「少しは」
「でも終わる?」
「終わります」
蓮司が肩をすくめる。
「じゃあ答え出てない?」
青年は困った顔になる。
「でも、それって冷たくないですか」
「何が」
「惰性で続けてたって」
日下部が静かに言う。
「惰性で続く関係もある」
青年は顔を上げる。
「それ、いいんですか」
「良い悪いじゃない」
日下部は淡々としている。
「ただの状態だ」
遥が少しだけ視線を落とす。
「問題は」
青年を見る。
「惰性だと気づいたあと、どうするか」
青年はしばらく黙る。
そして言った。
「……それを考えたくなくて、ここに来ました」
蓮司が小さく笑った。
「正直だな」
遥は言う。
「考えなくても、時間は進む」
「はい」
「でも」
少しだけ声が柔らかくなる。
「流されてると感じたなら、
一度だけでも、自分で立ち止まってみた方がいい」
青年はゆっくり息を吐いた。
「……そうですよね」
日下部が最後に言う。
「惰性で続いた関係でも」
「はい」
「終わり方だけは、自分で選べる」
青年はしばらく考えていた。
そして、静かに言った。
「……ちょっと話してみます」
蓮司が笑う。
「お、川から上がる気になった?」
青年も少し笑った。
「多分」
ドアの前で振り返る。
「惰性って、怖いですね」
遥が答える。
「楽だから」
青年は頷いた。
そして部屋を出た。
ドアが閉まる。
蓮司がぼそっと言う。
「惰性の関係ってさ」
日下部が返す。
「多い」
遥は何も言わない。
ただ、机の上のカップを見ていた。