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2026年7月23日 午後1時44分
■■県童ノ宮市湯湯山町東新大群■■―■■ 童ノ宮神社・祈祷所
栗原ミサキ
「――さて、お休みのところ申し訳ないけれど、そろそろ起きてもらおうか」
聞き覚えのある女の声が聞こえた。続いて強烈な刺激臭が私の鼻孔に突き刺さる。それは喉の奥まで染み込んで来て――。
「ゲホッゲホッ! ゴホッ……!」
激しく急き込み、むせながら私は意識を取り戻す。
私はお世辞にも座り心地がいいとは言えないパイプ椅子に座らされていた。背もたれがないタイプで、私は後ろ手に両腕を手首のところで縛られていた。チクチクした荒縄のロープのようなもので。
きつく縛り上げられている感触ではない。にもかかわらず、私の身体はまるで石膏で固められたかのように微動だに出来なかった。
……一体何がどうなっているの?
歯軋りする想いで周囲の様子をうかがう。見慣れない畳張りの広い空間、そのど真ん中に私は座らされていた。明るい陽ざしが窓から差し込むその空間は何かの宗教施設らしい。
東向きの壁にはお神酒や季節の旬の管者異や野菜、魚などが供えられた立派な祭壇が設えられ、その最上にはこの街に来てから、もう、ウンザリするほど目にした天狗の面が掲げられていた。
ようやく事態を私は把握した。どうやら、ここは童ノ宮の――あの胸糞が悪くなるような神社の社殿の中なのだろう。私はあいつらに捕らえられ、ここに監禁されているのだ。
「――おい、お前ら! ほどけ! このロープ!」
あらん限りの大音声を張りあげて、私はわめいていた。
目の前でたたずみ、静かに見おろして来る一組の男女をまるで手負いの獣みたいに睨みつけながら。
一人は神職姿の中年男。間違いなく、この神社の関係者だろう。精悍な顔立ちだが、私を見つめる瞳は暗く表情がなかった。
女の方は見覚えがある。境内で私のプランを邪魔をしてきた眼鏡の妊婦だ。この女の指示で私は意識を狩られた挙句、ここに連れてこられたらしい。
「この卑怯な犯罪者! お前らは邪悪なカルト宗教信者だ! マキオを、私の息子を返せ! それから死ね! 死んじまえ!」
思いつく限りの罵詈罵倒を投げつけてゆく。
だけど、反応は思ったものとは違った。小首を傾げ、眼鏡の妊婦が神職の男に話しかける。
「おや、おかしいな。まだまだ煮え滾ったままじゃないか。ショックを与えれば正気に戻る説は必ずしも正しくないみたいだね。……どれ、ちょっと測定してみようか」
馬鹿にしたように鼻を鳴らして、妊婦が白衣のポケットからスマホのような、長方形の板状の物体を取り出す。
「これはね、我々白虎機関が開発したデバイスで人や物にこびり付いた霊毒を数値化できる。……そんじょそこらの霊能者なんかより、よっぽど優秀なシロモノだよ」
「霊毒……?」
「あははは、ちょっと表現が文学的過ぎるよね。要はケガレ、人間を狂気に陥らせるような負の霊的エネルギーで存在としての怪異の中核に結びついているんだけど……まぁ、論より証拠だ」
そう言って妊婦は手にしたデバイスとやらをずいと私の鼻先に突きつけてくる。電子特有の耳障りな音を立てて、ディスプレイに表示された数値が変動して行く。
「わあすごいねぇ」
子供のようにはしゃいだ声で妊婦がまた言った。
「表層値は40%でまあ基準値だけど、潜在値は120%を超えているじゃないか。これって常に怪異に曝露しているのとほぼ同じだよ。今日まで良く生きてこれたね」
「う、うるさい! 黙れこの眼鏡女!」
視線にあらん限りの殺意をこめ、私は唸る。
「お前ら全員殺してやる! 塚森キミカもお前も! お前の胎の中の子供も! 引きずり出して切り刻んでやる!」
「あー……。そう言う物言いはちょっと頂けないかなぁ」
妊婦の表情が笑顔のまま、凍てつく。持ち主の柔和な表情とは対照的にかけている眼鏡が眼光鋭い猛禽類の瞳のように輝いていた。
ガッと勢いよく妊婦が私の前髪をつかみグイッと後ろに引っ張り上げ、頭皮を引き剥がされそうな痛みに呻き声をあげる。
「――苦労人のシングルマザーである栗原ミサキに免じて、ある程度の暴言は大目には見てやるが……、こっちにも我慢の限界はある。理由は言わなくても分るよね?」
この女やっぱり塚森キミカの関係者か。
私の前髪をしっかりと掴んだまま、妊婦がグラグラと頭を前後に揺すってくる。明らかに暴力を振るうことに慣れ切った人間の所作だ。それも筋金入りの悪党仕草。
つまり、この童ノ宮はまとも街じゃないということだ。
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#怪異
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#和風ファンタジー
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#怪異
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「お前……、ひょっとして塚森キミカの母親か?」
「そう見えるかい? だったら嬉しいし、光栄だね。キミカちゃんはかわいいし、いい子だし。……でも、残念ながらハズレだ。もし、そうならこの子にとってはいいお姉ちゃんになってくれただろうけどね」
そう言って、もう片方の空いた手で自らの突き出た腹部を妊婦はさすってみせる。心の底から愛おしそうな手つきで。
悔しさのあまり、私は歯軋りをしていた。この女と比べて、今の私の状況はあまりにも惨めすぎる。悔しいと思っていることが事態が悔しくて到底受け入れられない。
いつから私はこんな安っぽい考えの女になったんだろう。
「……柴崎博士。どうか、そのあたりで」
それまで黙っていた神職姿の男が静かに声をかけてくる。低く落ち着いて温かみのある声だった。
「そんなことをしたところで、相手はますます荒ぶるだけですよ。それにここは神聖な祈りの場。暴力はいけません」
神職の諭すような言葉に妊婦が肩をすくめる。
私の前髪をつかんでいた手をパッと放して、
「塚森レイジ。あなたは本当に人格者だね。……もし、私があなたならとてもじゃないけれど、そんな冷静には振舞えないよ」
「別に私だって冷静と言うわけじゃありませんよ」
そう言って、神職は――塚森レイジと呼ばれた男が長い溜め息をつく。
それは悲しみや疲労感から来る溜め息じゃない。怒りを抑えるためのため息だと私は直感する。
「塚森家は氏子総代として代々、童ノ宮にお仕えしてきたのに……。私にとっても一族の未来にとっても大切な娘があんな目に遭わされたんですからね。どうしてお守りいただけなかったのか、と文句の一つも言いたくはなりますよ」
「ま、正論だね。……だから先程も提案した通り、あなた方塚森家はこの一件から手を引いてくれても構わないんだよ? 栗原親子は私達、白虎機関がこのまま保護する。悪いようにはしないつもりだよ?」
「柴崎博士のことは信頼できても、白虎機関だって所詮は人の集まり。決して一枚岩ではないでしょう。この二人が怪異の一種として実験動物のように扱われることがあったら――」
「……塚森家当主としての沽券に関わるってことかい?」
「いや、そんなことよりも娘に、キミカに嫌われることのほうが私にとって一大事です」
「違いないね。私があなたなら泣いてしまうかもね」
「ええ……。あの子はああ見えてなかなか意固地なところがありますからね……」
そう言って塚森はため息をつく。
その姿を見た瞬間、喉元に自分でも理由のわからない笑気が込み上げ、私は戸惑っていた。それは思いのほか強烈で、私は抑え切ることができなかった。
けひゃけひゃ、けひゃけひゃ……、と。
常軌を逸したとしか思えない笑い声となって外に飛び出す。
「……随分と楽しそうだね」
静かな口調で、と言うか何かを押し殺した声で妊婦――柴崎が問い掛けてくる。
「よかったら理由を教えてくれないかな? 納得できるのなら、私も一緒に大爆笑したいからね」
「あぁ? ――これが笑わずにいられるかよォ! くだらねぇんだよ! どこかの化け物が喰い残した死に損ないの小娘を飼いならして、家族ごっこかぁ!? 」
喉が裂けるような大声で私は叫んでいた。
そして、私の意思とは無関係に――、私の口は聞くに堪えない呪詛を吐く。吐き散らしてゆく。
「千年前、テメェらがやらかした所業を思い出してみろ! たかだか祈祷の術にたけているだけのガキに何もかも押しつけて――やれ、天狗様だ神様でございと祀り上げ、今に至ってるんだからなぁ! 恥を知れ、恥を! そして死ね! くたばれ墓守衆!」
燃え上がるような怒りに突き動かされ、私は絶叫し続ける。だけど、激高しながらも、私は困惑していた。
これは私の感情じゃない。昨日、ふれあいミュージアムに行った時、同じようなことを思わなかったわけじゃないけれど――、この感情の根っこにあるのは、神様にされてしまった子への同情じゃない。
むしろ、逆だ。害意だ。童ノ宮の神様という厄介な邪魔者を生み出した、全ての者に対する逆恨みだ。
何? 何なの、これは……?
私の心のなかに、私じゃないナニカが入り込み根を張っている――?
「うん、良い兆候だね。あの子、デイジーチェーンの言うう通り、栗原ミサキと彼女に憑依した怪異は一体化が進み過ぎたせいでお互いの境界があやふやになっていたようだけど――、ショック療法って本当に効果があるんだな」
「私はあまり良くないと思いますけどね。まだ若いお嬢さん、姫宮さんみたいな女の子にあんな乱暴なことをさせるのは」
「……だけど、姫宮のおかげでキミカちゃんは、あなたの娘は辛うじて命を拾ったと思うが?」
「そ、そう言われるとグウの音も出ませんね……」
フンと鼻を鳴らす柴崎。参りました、とでも言うように塚森は肩をすくめ――くるりと棒状の物体を片手で一回転させる。
私は目をパチパチさせていた。
まるで手品みたいに突然塚森の掌に現れたのは、私がまだアクション女優を志していた頃、時代劇関係の撮影現場でよく見かけたプロップ……。
いや、あれは本物の煙管だろう。恐らく素材は黒檀。雁首に彫金された雷文は緻密で美しく、一目で相当な高級品とわかる。
だけど、どうしてこのタイミングでそんなものを取り出す……?
「さて、と――」
雁首に刻みたばこを詰め、マッチを擦って火をつけながら塚森が呟く。
「改めて始めまして、栗原ミサキさん。私は塚森レイジと申します。……塚森キミカの父親です」
男の穏やかな、だけど鋭い眼光にジッと凝視され、私はビクリと身体を震わせていた。
「大丈夫、怖がらないでください。私はあなたを恨みませんし、仕返しなんて考えていませんし、訴えもしませんよ。ただ後で、キミカを安心させてやって欲しい。……あなたに関して言えば、それで充分です」
「何言ってんだテメェ」
私の口が勝手に動いていた。そして、荒れていた十代半ばの頃よりも乱暴な男言葉が後に続いて紡がれる。
「娘をあんな目に合わせた相手を恨んでいないだと? 頭がおかしいんじゃねーのか? くそったれ、後一歩のところであのメスガキを仕留められたって言うのに……」
「黙れ。貴様には話しかけていない」
塚森の目が大きく見開かれる。
「私が話しかけているのは、こちらのご婦人だ。……貴様は後でたっぷりもてなしてやる。だからしばらく引っ込んでいろ」
塚森の口調はあくまでも静かで穏やかだったが、有無を言わさない迫力があった。それに圧されて私の中のナニカが沈黙する。
栗原さん、と塚森がまた静かな声で言った。
「あなたの言う通り、私達墓守衆は生前のお稚児様を守れなかったばかりか、自分達の都合で神様に祭り上げた。……確かにこれは恥だ」
でもね、と塚森は煙管のすいくちを口もとへと運んで行く。
「その恥をそそぐことこそが我々、塚森家の存在理由でしてね。……具体的に言えば、二度とお稚児様の時と同じ轍は踏まない。身内であろうとなかろうと、救えるものは必ず救う。誰も犠牲にしないし見捨てない。その為ならば使えるものは何でも使う。神様でも仏さまでも邪法でも、無節操にね」
少し口をすぼめ、フーッと白い煙を吐く塚森。
「……我々、塚森はね。外法の輩なんです」
目の前に迫って来た煙に思わず私は顔を背ける。
こいつを吸い込んではいけない。吸い込めば厄介なことになる――。
だけど、塚森が吐き出した白い煙はまるでそれ自体が命を持っているかのようにゆらゆらと不自然に揺らめいて、私の顔にまとわりついて来る。
甘ったるい生薬のような香りに鼻孔をくすぐられ――
オン アロマヤ テング スマンキ ソワカ。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ.
これは何かの呪文だろうか?
異界からの託宣のように塚森の声が荘厳に響く。
頭の中に生ぬるい靄が広がるようなイメージが浮かび、ぼうーっとして私は天井を見上げていた。一瞬の内に夢見心地となっていることに私は心のどこかで戦慄する。
「閻羅閻羅の外法――。煙に宿らせた精霊を操る外法で、霊毒を抑制する力があります。これで栗原さんが正気を取り戻してくれればいいのですがね……」
「へぇ、なかなか素敵な外法じゃないか。キミカちゃんや甥御さんの塚森コウに比べれば地味な感じがするが。神職であるあなたにはお似合いだと思うよ」
「……自分で選んだわけではないですけどね。御穴に呼ばれて、分け与えて頂くだけで。あくまで我々はお稚児様の現世における代理人ですから」
「やっぱり、稚児天狗は組織が把握している以上の存在みたいだね。正に神様って感じだよ」
「神様って感じ、じゃなくて神様なんですって」
目の前で塚森と柴崎の会話が続いている。
だけど、その内容がちっとも頭に入ってこない。
それどころじゃなかった。今朝からの私の行動ひとつひとつが――異常で凶悪極まりないと、たった今、本当に唐突に気がついたからだ。
全身から冷や汗が滝のように溢れ出てくる。
血の気が引き、グラグラとめまいがする。椅子に座らされていなければ、転倒していたのかも知れない。
後ろでに縛られた両手の指先が氷のように冷たくなっている。足の指先も同様だ.それでいて心臓はバクバクと早鐘のように打ち鳴っていて、身体の中心だけが火がついたように熱い。
「……あ、あの……すみません……」
何とか顔をあげ、蚊の鳴くようなかすれた声を私は発していた。
その呼びかけに二人の男女が会話を止め、こっちを振り返った。二人とも能面のような無表情で私を見つめていた。声を震わせ、私はまた言った。
「ごっ、ごめんなさいっ、わ、わたしっ、キ、キミカちゃんに――」
そこまで言いかけて、私は気が遠くなりかける。
その浮遊感にとらわれ完全に身を委ねようとした直前。まるで焼きごて押しつけるような強烈なビジョンが脳裏に浮かびあがる。
それは女の子の顔だった。目や鼻、そして頬を執拗に殴りつけられた跡のある、息もたえだえな女の子の。私が殴った。私が殺そうとした。浴衣がよく似合う、とてもかわいい子。キミカちゃん。
違う。違うの。こんな事をしたかったわけじゃない。私はただ、あの子とずっと一緒にいたかっただけ。誰かに取られるのが怖かっただけ。なのに、どうしてこんな。
次に耳の奥に蘇って来たのは号泣する子供の声。この世の終わりを伝えるような小さな男の子が泣き叫ぶ声。マキオだ。私の息子で、私の唯一の家族。なのに、私が泣かせた。私が苦しめた。
私は最低の女で母親だ。
――オン・マーラヤ・パーピーヤス・ソワカ。
――オン・カーマダーヤ・マハーラジャ・ソワカ。
――オン・パーピマ・マーヤヴァンス・ソワカ。
――そうだよミサキお前は絶対に幸せになれやしない。夢が叶おうが、好きな男と一緒になろうが、可愛い子供を授かろうが.絶対に幸せになれないんだ。なぜだか教えてやろうかそれはねお前って人間の根っこが生まれつき腐ってるからだよつまりあたしと一緒だね……。
「うぇええええええええええええええええええっ」
私は嘔吐していた。パイプ椅子に座ったまま、背中を曲げて。
吐瀉物はほとんどなかった。今朝病院を抜け出してきたから今日は丸一日、何も口にしていなかったことを思い出す。
だけど、こんな惨めな思いをするぐらいなら自分の吐瀉物で窒息死するほうがまだマシだった。
「お、お願いします。ど、どうか許してください……」
なりふり構っていられなかった。
目の前の二人に慈悲を請い、すがりつくように言った。
「何でもしますから……だから……」
「嫌だね」
冷たい水を浴びせるような声で言ったのは、柴崎だった。一方、塚森は痛ましそうな表情で瞳を閉じ、顔を背ける。
「私の目の前で、人間が怪異に対してただ白旗をあげるような真似は許さない。戦いもせずに逃げ込るなんて絶対認めない。……ああ、そう言えば自己紹介が遅れたね。私は柴崎ゼナ。白虎機関の上級研究員だ」
びゃっこきかん……? 何それ聞いたことない……。
柴崎の眼鏡の向こうに見える切れ長な瞳に細かい血管が浮き、充血しているのがわかった。
「実を言うと私も君と同様、怪異の脳を焼かれた母親なんだよ、栗原ミサキ。……似たような境遇の者同士、これからは仲良くやっていこうじゃないか」
そう言って口もとを歪める柴崎の表情は、泣いているようにも笑っているようにも私には見えた。
コメント
1件
うわあ……読んでいて胸がぎゅっとなりました。栗原さんの心の内側に別の何かが入り込んで、自分じゃない言葉や感情が溢れ出してしまう感じ、本当に生々しくて怖かったです。でも最後、正気に戻った瞬間の「ごめんなさい」に、母親としての苦しみが全部詰まっているようで……。柴崎博士の「嫌だね」の冷たさも、同じ境遇だからこその厳しさなのかなと思いました。続きが気になります。