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「――さて、これでお互いわだかまりがある程度溶けたと言うことで――、やっと本題に入っていけるね」
スチール製の義手の両手をガンッと打ち鳴らし、柴崎……いや、柴崎さんが言った。敢えて彼女は明るい声を出しているようだった。
足元に置かれたショルダーバッグからタブレットを取り出し、
「栗原ミサキ。君に話しておかなくてはいけないことが二つある。どちらも君にとっては辛い話だが――、比較的マシとどう考えても最悪、どっちから聞きたい?」
「柴崎さん、そういう感じで行くのはちょっと……」
私の背後に回り込み、たしなめるように塚森さんが口を挟む。
後ろ手に私の両手首を結んでいた戒めを解いてくれる。どうやら、今の私は危険ではないと判断してくれたようだ……。
「栗原さんにとっては笑い事じゃないし、あまり茶化したような物言いは」
「分かってないね塚森レイジ」
苦々しい顔になって、塚森さんを軽く睨む柴崎さん。
「だからこそ、笑い事にするんだよ。……想像力を働かせてご覧? 私達みたいに怪異とディープに関わった人間が生き抜くにはユーモアが必要不可欠だと思わないか? 例え、下手でも滑っていてもね」
「それは……」
「何なら彼女への説明役はあなたに譲ってもいいけど?」
「……すみません。……よろしくお願いします」
柴崎さんにぴしゃりと言われ、塚森さんはションボリとうな垂れている。
何だか申し訳ない気持ちになりながら、おずおずと私は口を挟む。
「じゃ、じゃあ、比較的マシな話からお願いします……」
「了解だ。じゃあ話そう」
一拍を置いて、柴崎さんが続ける。
「栗原ミサキ。もう、ある程度自覚はあるだろうが――、君は怪異に、平たく言えば化け物に憑りつかれている。名前は浮足坊主と言って、なかなかたちの悪いやつでね」
しゃべり続けながらタブレットの画面を私の方に向ける柴崎さん。義手の人差し指を起用に動かして、画面を操作してゆく。
タブレットに映し出されたのはホテルの廊下に出現したあいつだった。
クレヨンを使って子供が画用紙に描いた拙いものではあったけれど、よく特徴をとらえていて一目でそれと分かった。
品のない薄ら笑いをそのまま固めたような白い能面と漆黒の体躯。枯れ枝のようにねじ曲がり節くれたった両手両足。そいつは川のど真ん中にいて、羆の様な巨体であるにも関わらず、沈みもせず水面の上に全身を浮かべている。
……これ、まさかとは思うけどマキオが描いたわけじゃないよね?
「こいつは水辺に棲みつく雑鬼の一種だな。……日本各地に伝承が残されており、アメンボみたいに水に浮くから浮足坊主と呼ばれるそうだ。人間が苦しむ様を見ることを何よりも好み、様々な幻覚を操り精神を錯乱させることに長けるようだね」
その話のどこに比較的マシな要素があるの?
その想いがつい表情に出ていたらしく、タブレットの向こうから柴崎さんが肩をすくめて見せる。
「まぁ、こう言った怪異の被害を受けた場合、取れる対応策はそもそもシンプルなんだよね。一つ目は話し合いで退去させるか、力づくで叩きのめして叩きだすかの二択だ」
「あの柴崎さん……。私達は暴力団じゃありませんから……。栗原さんみたいな一般の方を誤解させるような言い方はあまり……」
「さっきからニャーニャーうるさいな、塚森レイジ」
「ニャーニャーって……」
「気取ったところで最後はいつも殴り合いだろ? 平穏に済ませられるなら私達組織も君達塚森家も苦労はしないだろ」
「いや、それは……ですが、しかし……」
「まあ、いいや。怪異のことはなるようにしかならないし」
投げ捨てるように言って――、柴崎さんが重い溜め息をついた。それから何かを言いよどむように唇を噛みしめ、視線をさ迷わせている。
本当は話したくないことを話さなければならない時、人はよくこういう素振りを見せる。
しばらく沈黙した後、意を決したように柴崎さんが言った。
「……栗原マキオ君は今、塚森家で私の部下が面倒みさせてもらってる」
ギクッと私は身体を強張らせていた。一瞬で全身から厭な汗が流れ出し、呼吸が浅くなってゆく。視界が狭まり暗くなるような気がした。
「かわいそうに。あんなことがあって、かなり動揺していたが――今は落ち着き、食事もすませたってさ」
「……あ、あありがとうございます……」
震える声で、私はやっとそれだけ言った。
「……わ、私自身がみ、皆さんにご迷惑をおかけした上、息子までお世話になって……何て言えばいいのか、私は……」
「違うよね」
「えっ」
「あの子は君の子供じゃない。少なくとも、君が産んだ塚森マキオ君とは別の存在だ。……君はそのことをとっくに気がついているよね?」
「――――ッ!」
背後から思いっきり殴りつけられたような気分だった。
思わず私はパイプ椅子を蹴るようにして立ち上がり、息を止め、大きく目を見開いて柴崎さんを睨み返す。
「や、やめてください。どうして、そんな話するんですか? 私は……」
「やめてあげたいのはやまやまだけどね。そうもいかないんだよ。人の命がかかってくるから」
静かな声で、だけど毅然と返す柴崎さん。
逃げなきゃ、と私は思った。今すぐこの神社から。塚森家から。あの子を連れだして。
フゥウーッと大きく息を吐き、柴崎さんが続ける。
「去年の8月の終わり……、千葉県は九十九里浜に身元不明の幼児の遺体が流れついたという新聞の切り抜きを組織の調査機関が送ってくれたよ。
それに君達、栗原親子に関連すると思しき記事も」
……うるさい.
「私にとっては縁遠い世界だけど、芸能界というのは過酷なんだね。一見華やかに見えるけど――、実際は有象無象どもの嫉妬と欲望が蠢く冥府魔道だ」
うるさい、うるさい!
私は耳を塞いでいた。柴崎さんの意図は理解できないけれど、もう何も聞きたくなかった。
私だって業界がどんな場所か知らない訳じゃなかった。
業界には素晴らしい才能や立派な人が多い一方で、信じられないほど人間性の低い有象無象で溢れている。まだ幼い息子にそんなおぞましい世界を歩ませたいとは一度も思ったことがない。
だけど、マキオがお芝居が好きだって、ダンスがしたいって笑ったから。その笑顔が柔らかくて可愛らしくて、だから私は……。
ほら見ろほら見ろ! やっぱりお前はそういう女なんだ!
頭の中で軋んだ音がして、私に憑依している怪異――浮足坊主がけたたましく叫ぶ声が聞こえた。
不幸は全部、他のせい。可哀そうなのは私一人ってか?
思い出してみろよ.あの日、テメェは自分の身体と頭の不調に手が一杯になって、泣き叫ぶマキオの面倒を見切れなくなった。
……だから、俺にマキオを差し出したんだろ?
「――そいつの話に耳を貸すな.霊毒値がまた跳ね上がる」
「……!」
ハッと私は息を飲む。思わず見返した柴崎さんの眼鏡が陽を跳ね返して、強い光を放っていた。
「海岸に打ち上げられた幼児の遺体。それがマキオ君のものだと――、栗原ミサキ。君はとっくにわかっていたはずだ」
「し、知らない。知りません、そんなこと……」
「知らないはずがない。今、君に憑依している怪異は人間が苦しむのを何より好む。自分が如何にして獲物を手にかけたかを母親である君に突きつけないはずがない」
「よ、よくもそんなデタラメ……。現にマキオは塚森さんのお宅で預かって貰っているって……。あ、あなた達が言ったんじゃないですか……」
「じゃあ、単刀直入に言おう。……この一年、君が我が子としてともに暮らして来たマキオ君は――稚児天狗だよ」
「……ちご、てんぐ? ……え?」
思わず私は柴崎さんの言葉を繰り返す。
稚児天狗。稚児の姿をした童ノ宮の神様。児童書ではある種のヒーローとして描かれていた街のマスコット。
私達はマキオの役作りのため、この街を訪れたのだった。
感受性の強いマキオが街の雰囲気に感化され、次第におかしくなってゆくのが私は怖くて……。
「権現、と言う言葉を知っているか? 翻字垂迹説とも言って、神や仏がこの世の衆生を救うため現れた仮の姿、またはその思想を言う」
「ま、待って! ちょ、ちょっと待ってください……!」
耐え切れなくなり、私はまた叫んでしまう。
だけど、こんな話を黙って聞いていられる母親がいるだろうか? いるわけがない。
「く、くだらない! それじゃあ、まるで異世界転生小説じゃないですか! あ、あなた達はあの子が神様の成り代わりだとでもいいたいんですか!」
「……成り代わりとは違うね。神様はマキオ君から何一つ奪ってはいない。当然、身体を乗っ取ったわけでもない。あのマキオ君は、神様がその力で再現させたものだろう」
淡々と説明する柴崎さん。
敢えて彼女はそうしているようだった。
「そして、これが君にとって慰めになるかどうかはわからないが、あの子の中にはマキオ君の記憶と感情、それに人格が息づいている。ひょっとしたら、あくまで擬似的なものかもしれないが……」
「いえ、そうではないでしょう」
口を挟んだのは塚森さんだった。
「お稚児様は子供の守り神でもありますから……。その力は強く、その分け御霊は日本全国に散っておられますので.恐らく助けを求めるマキオ君の魂の声を分け御霊のお一人が聴きつけて……」
「取り込み、肉体を得て一体化したことにより情報としてのマキオ君を保護したってことだね。そして栗原ミサキのもとに戻ったと」
そんな。どうしてそんなことに……。
膝がガクガクと震えて力が抜け、私はそのまま椅子の上にへたり込んでしまう。
もはや何の感情も湧かず、何も考えることができなかった。
できなかった、と言うより防衛本能が現実を拒絶してしまったのかも知れない。
私は放心していた。
そして、できればそのまま――。
「だ、大丈夫ですか栗原さん。少し休憩した方が」
「気の毒だけどそんな時間はないよ。もう隠し立てしたって仕方がないからはっきり言うけれど――権現の人間として生きられる時間は短い。現在のマキオ君が現われたのが去年の今頃だと言うのなら、恐らく肉体を維持するのもそろそろ限界が近いはず……」
ちょ、ちょっと待って。
それって、肉体の維持ができなくなるって――つまり、またあの子が、マキオが死ぬってこと?
うそ。絶対にうそ。そんなの絶対耐えられない。
私は覚めない悪夢に取り込まれたみたいだった。
「だ、だったら……!」
不意に火が付き、私は血を吐くように叫んでいた。
「お、お願いですから死なせてください! あ、あの子と、マキオと一緒に! こ、殺してください! わたし、これ以上はとても――」
「……は? 何甘ったれたこと言ってんの?」
鋼鉄の様な声が低く響く。冷たい肌触りの義手に顔の左右両側を挟まれ、私は身動きを封じられていた。
そこにグイッと身を乗り出して柴崎さんが覗き込んで来る。眼鏡の向こうで、切れ長で綺麗な柴崎さんの瞳がギラついているのが分かった。
「言ったよね。怪異に抗いもせず逃げるなんて、私は許さないって。しかも子供絡みの案件で。……君も母親だろ。恥ずかしいとは思わないのかい?」
この人いったい何様気取りなの、と私は思った。
今、私がどんな状況か理解した上でよくこんなことが言える。自分が妊娠しているからと言って他人に偉そうにしていいわけじゃない……。
「あぁ、この子のことかい?」
私の視線に気がついたのか、チラリと柴崎さんは自分の胎を見る。
そして、自嘲するような口調でこう続ける。
「四年間、このままだよ。私の四肢と婚約者を食い荒らした怪異の霊毒の影響で人外に変化したからね」
私は絶句していた。
今日一日だけでそれが何度目か、最早カウントする気すらしない。そんなことは無意味できりがないからだ。この呪われた街、童ノ宮では。
「今は私の話より君の問題について話し合おうか」
気を取り直したように柴崎さんが言う。
「実はこっちに来る前、塚森家に寄らせてもらったが――、マキオ君はいい子だね。君のことを、ママのことをどう思うって聞いたら大好きだってさ。これが何を意味するか、わかるかい?」
もちろん、私にはわかっていた。
だけど、柴崎さんの質問に即答できなかった。いや、答えられないのではなく、答えたくなかったのかも知れない。
「この期に及んでだんまりは卑怯だね、じゃあ、私が代わりに言ってやろうか? ――あんたはね、あの子を抱きしめた。あんたの子と瓜二つの姿をしたあの子供を。人ではないと知りながら」
「……」
「だから責任を果たせ、栗原ミサキ。もうすぐこの世にはいられなくなるあの子に対して、あんたはハッキリとした態度を示すべきだ」
「……ハッキリとした態度?」
「そう、二つに一つというやつだ」
柴崎さんが乾いた笑い声をあげた。
義手を器用に動かし、私に向けて指折りをして見せる。
「まず一つ目。私達を警察に通報、暴行・誘拐・拉致監禁容疑で訴える。君がしたことを考えればある程度は相殺されるだろうが――、そうしている間に君は怪異に祟り殺されるだろう。その前にマキオ君が死ぬ方が早いかも、だけどね」
「……二つ目は?」
「こちらの御神職、塚森レイジにお願いしてお祓いを受ける。……つまり、童ノ宮の神様のご加護で怪異を撃退するんだ」
そして、と柴崎さんは続けた。
「君は落ち着いた環境でマキオ君を看取る。……母親として、最後の役割を果たすんだ」
「栗原さん。私達はあなたからマキオ君を取り上げたいわけではないんです。むしろあなたには最後まであの子の母親として接してあげて欲しい」
塚森さんが言った。
何かに耐え忍ぶような表情だった。
「童ノ宮の宮司として断言します。権現は決して怪異の同類ではありません。不幸にも幼くして命を失くした子供たちがお稚児様と一体となり、心残りを晴らすべく死に戻る現象を言うんですよ。つまり、あの子は――マキオ君の姿と記憶をまとった神様そのものです」
ああ、そうか。そうだったんだ……。
明鏡止水というのだろうか。不意に私は、心を苛んでいた黒い霧のようなものが引いてゆき、何もかもが晴れ渡っていく感覚を得る。
あの日マキオがなぜ私の前に現れたのか、やっとわかった。この一年間の間、どうして一緒に暮らしていてくれたのかも。
私のためだ。私を浮足坊主とか言う怪異から守るため、あの子は帰って来てくれたんだ。
しばらくの間、私は沈黙し――そして言った。
「や、やっぱり私、このままじゃ死ねない。い、生きていたいです」
ボロボロ、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。だけど、さっきまでとは違う。恐怖と不安、自己嫌悪の屈辱、罪悪感にまみれた涙じゃない。
この涙は血で命だった。冷え切った魂に火をともすような熱い命。
そして、私は人生において自らの命を捧げるのは、たった一つのことだけと決めている。
「あの子がマキオがもう一度この世界にさよならする時、私以外の誰かに見送らせるのは絶対に嫌です.だから、どうか――」
私達を助けてください、と最後まで言えなかった。
柴崎さんがガバッと勢いよく、強い力で抱きしめて来たから。
wadaken1
162
#怪異
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#和風ファンタジー
wadaken1
245
#怪異
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コメント
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みぅです🤍🥀 第32話「覚悟②」、読み終えました……。 マキオくんが稚児天狗だっていう真実、心にグサグサ刺さったよ。ずっと母親として抱きしめてきた子が、もうすぐいなくなるって知って、それでも「生きていたい」って決めた栗原さん、すごくない?柴崎さんの4年間動かないお腹の話も衝撃的だった…同じ女として、胸が痛いよ。 逃げずに最後まで母親を貫くって決めた瞬間、涙が熱かった。次の話、すごく気になる……!