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リビングへ入るといい匂いがした。家庭的なあたたかい匂いがする。

今までは自宅に帰っても無機質な空気しか感じなかったが、今日は明らかに何かが違う。

その匂いに誘われて、壮馬はキッチンを覗く。すると、花純が南蛮漬けを皿に盛りつけていた。


「南蛮漬けか…」

「あ、はいっ。お嫌いではないですよね?」

「うん。どちらかというと好きな方だ。でも短時間でよく作ったな」

「スーパーでアジが安かったんです。それに私も食べたかったので」


花純は微笑んだ。

そして手早く盛り付けた料理をテーブルへ運び始める。


壮馬は上着を脱いでソファーに置くと、

ワイシャツとスラックスのままダイニングテーブルの椅子に座った。


「あの…お着換えしなくても大丈夫ですか?」

「ああ、美味そうだから早く食べたい」

「じゃあすぐにご飯をよそってきますね」


花純はそう言ってまたパタパタとキッチンへ戻る。

そしてご飯と味噌汁を持ってくると、壮馬の前に置いた。

それから花純も席に着き少し心配そうに聞く。


「あの…量はこれくらいで足りるでしょうか?」

「充分だ。それにどれも美味そうだな」

「お口に合うかどうかは分かりませんが…」


それは花純の本当の気持ちだった。


実家ではよく料理をして母や祖母に食べてもらっていたが、東京へ来てからは自分の為にしか料理をしていない。

手料理を食べてもらえるような恋人もいなかったので、料理は全て自分好みの味付けだ。

田舎育ちの花純の料理が、果たして壮馬のように育ちの良い人の口に合うのだろうか?

花純はそれが少し心配だった。


そこで二人は手を合わせてから食事を始めた。


真っ先に南蛮漬けに箸が伸びた壮馬は、一口食べて少し驚いた顔をすると言った。


「美味い!」


それを聞いた花純はホッとする。

そして自分も食べてみる。漬け汁がアジによくしみ込んでいてなかなか美味しく出来ていた。


「さっぱりしているから箸が進むな。ご飯にもよく合う」


壮馬は満足気に言うと、今度はだし巻き玉子を食べ始めた。


「うん、これも美味い。花純は料理が上手いんだな」

「上手くはないですが、料理は嫌いではないです」


そう言ってから、壮馬が今自分を呼び捨てにした事に気付く。


「あの…呼び捨て?」

「一緒に住むんだし、これからは仕事の場以外では花純と呼ばせてもらうよ。いいね?」

「あ…はい……」


花純は断る理由も思いつかなかったので、つい了承してしまう。

そしてふいにフローリストでの出来事を思い出し再び壮馬に礼を言った。


「あの…今日は本当にありがとうございました」

「ああ…で、その後彼から連絡は?」


実は壮馬は、フローリストを出た後ずっとその事が気になっていた。

店まで押しかけて来る図々しい男だ。もしかしたらまた花純に連絡をよこしているのではないかと思うと気が気ではなかった。


「もちろんないです。多分、もう連絡は来ないと思います」

「まあそうだろうな、俺を見てギョッとしていたからな。少しは役に立ったようで良かったよ」

「はい、凄く助かりました。あの、そのお礼にと言っては何ですが、お返しに何か食べたい物とかのリクエストがあればお作りしますが……」

「お礼?」

「はい、こんな事でしかお礼が出来ませんが…」

「うーん、食べたい物かぁ…」


壮馬はそう言って考え込んだ。


今の壮馬なら、花純が作る物ならなんでも美味しく食べられる自信がある。だから特にリクエストを聞かれてもこれといって思

い浮かばない。


その時壮馬はある事を思い付いた。


「お礼は食べ物じゃなくてもいいか?」

「?」


花純は不思議そうに首をかしげている。


「今度の日曜日、空けておいてくれる?」

「日曜日?」

「そう」

「えっと、どうしてですか?」

「ショッピングに付き合ってもらおうと思ってさ」

「ショッピング?」

「うん。夏物の服を揃えたくてね」

「あ、……でも私がついて行ってもなんのお役にも立てませんが…」

「一緒に選んでくれたらいいよ。あとは、そうだなぁ…君がこの家で使う物も少し揃えようか」

「えっ? 使う物ですか? それって一体……?」

「食器とかキッチングッズとか…あとはシャンプー類も今は俺のを使っているだろう? だから女性用の物を買うといい。あと

は部屋に必要な物があれば一緒にまとめて買うから」


壮馬の言葉を聞いて花純はびっくりする。


「えっ? でも今ある物で充分ですが……」

「今ある食器は不揃いだし数も少ない。こんな美味い料理を作ってくれるんだ、少しいい皿を揃えよう。それを君に選んで欲し

い」


このマンションには短期間の仮住まいなのに、果たしてそんな物が必要だろうか?

ただの無駄遣いになるのでは? 花純はそう思う。


「あの…私はこちらには短期間しかいないので、わざわざ揃えるのはもったいないかと……」

「そんな事は気にするな。君の為というよりは、俺が揃えたくなったんだよ」


そこまで言われたら駄目とは言い辛い。

仕方なく花純は、


「わかりました。今度の日曜日ですね?」

「ああ、よろしく頼むよ」


壮馬はそう言って微笑むと、食事を続けた。


その後二人は、庭園改良プロジェクトについての話を始める。

プロジェクトは既に工事に入っており、近いうちに花純も現場に赴く事になっている。

全ては滞りなく順調に進んでいた。


仕事の話が一段落すると、ちょうど食事も終わった。

後片付けは、今回も壮馬が手伝ってくれたのであっという間に終わった。


壮馬が食後のコーヒーを飲みたいと言ったので、花純はコーヒーと共に用意していたデザートのキウイをリビングテーブルへ運

んだ。

そこで二人はテレビを見ながらゆっくりとコーヒーを楽しむ。


花純は、まだあまりよく知らない男性と同じ家にいるというのに自分がリラックスしている事に気付く。

幼い頃に父親が亡くなり、実家ではずっと女だけの暮らしだった花純が、男性と二人きりでいて緊張しないというのは珍しかっ

た。


青山花壇に入社して間もない頃、先輩の坂上と二人きりで行動する事も多かった花純は当時かなり緊張していた。

それなのに、壮馬といるとあまり緊張しない。


(なんでだろう?)


花純は考えてみるがその答えは見つからなかった。


その時壮馬がコーヒーを飲み終えたので、花純が言った。


「お風呂は入れてありますので、どうぞ」

「ありがとう、じゃあお先に。夕飯とても美味しかったよ」


壮馬は笑顔でそう言うと、一旦自室へ引き上げた。

その間に花純はカップを片付ける。


洗いながらカップを手に取りじっと見る。

確かに今使っているカップは、どれも味気ない白いカップだった。

それも形が不揃いだ。


(確かにこんな素敵なマンションなのに、この食器だと不釣り合いね)


花純はそう思う。


花純の実家は決して裕福ではなかったが、食器類はきちんとした物を使っていた。

祖母が食器にこだわる人だったからだ。


花純の母もバラ好きが高じて、ティーカップ類は全てエレガントなバラ模様で揃えていた。

母はパートで貯めたお金で、年に一客ずつ海外ブランドのあでやかなカップ&ソーサーを購入していた。

実家でお茶を飲む時は、いつもそのカップに入れてくれる。

花純はあの当時の優雅な気分を思い出していた。


(新しく揃えるならちゃんとソーサーがついたカップがいいな)


途端に花純は日曜日のショッピングが楽しみになってきた。

クールな御曹司はフラワーショップ店員を溺愛したい

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