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その夜、サベリオは時計塔のうなりで目を覚ました。
正確には、音になる直前で喉に引っかかったような響きだった。壁の向こうで古い金属が低く息をする。聞き慣れているはずなのに、こんな時間に届くと、それだけで胸の奥がざわついた。
布団から起き上がると、窓の外はまだ濃い藍色だった。雨は止んでいる。けれど空気は湿っていて、遠くで川の匂いがした。
上着を引っかけて外へ出る。星降る橋へ向かう坂道は静かで、靴音だけが妙に大きかった。
時計塔の文字盤は暗く沈み、橋の手すりは夜露で白く光っている。
そこで、サベリオは足を止めた。
橋の真ん中に、人影があった。
デシアだった。
風に髪を揺らしながら、川の方を見ている。手すりへ置いた指先が、ほんの少し強く白んでいた。
「……何してる」
声をかけると、デシアは驚きもせず振り返った。
「あなたこそ」
「時計が変な音した」
「私も、それで起きた」
彼女は少しだけ笑った。笑ったはずなのに、目元は疲れて見える。
サベリオは隣まで行かず、少し離れた場所で止まった。夜の橋は声が響く。余計なことまで本音みたいに聞こえるから、昔から好きではなかった。
「ハルティナたち、元気だったな」
言ってから、もっと別の言葉があっただろうと自分で思う。
デシアは責めずに頷いた。
「明るい子たち。場所の空気を先に信じてくれる」
しばらく沈黙が落ちた。川の水が橋脚へ当たる音だけが下から上がってくる。
やがてデシアが言った。
「私、あの日のことを隠してる」
サベリオの肩がぴくりと動く。
数年前の夜。その言葉に名前をつけなくても、二人には同じ場面が見えていた。
「……今さらだな」
「そう」
「なら、今さら言わなくていい」
そう返したのに、胸の奥はそれを望んでいなかった。
デシアは手すりから手を離し、冷えた指を自分で握った。
「言わないままなの、もう限界かもしれない」
サベリオは答えられない。
時計塔のうなりが、もう一度だけ夜気を震わせた。
デシアはその音を聞きながら、かすれた声で続ける。
「でも、言うならちゃんと順番に言いたいの」
順番。そう言うところが、昔から彼女らしかった。
サベリオは橋の下へ目を落とした。暗がりの向こうにシェルターの入口が小さく見える。
守りたい場所が同じでも、抱えている夜は同じではない。
「分かった」
ようやくそれだけ言うと、デシアは小さく息を吐いた。
ほっとしたようにも、さらに苦しくなったようにも見えた。
その顔を長く見ていられず、サベリオは先に階段へ向かう。
背後から、デシアの声が追ってきた。
「逃げないで」
振り返れなかった。
ただ、その一言だけが、夜明け前の橋にいつまでも残った。