このまま家に帰るのもつまらなかったので、銀座でショッピングをしてから帰る事にする。
最近良輔の件で悶々としていて買い物を楽しむ気力も失せていた。
その時、ふと『なつみんブログ』の(プランC)が頭を過る。
【(プランA)は素敵な洋服を買い不倫相手に見せつけるというものでしたが、(プランC)ではもっと高価な物を購入してみま
しょう。それはズバリ! ジュエリーです。これも(プランA)と同じで、夫に買ってもらっても自分で購入してもどちらでも構
いません。とにかくあなたは今愛され妻を演じているのです。ですからそのジュエリーを愛人の前で身に着けて夫がプレゼント
してくれた事を強くアピールしましょう。このジュエリーはあなたにとって勝利を勝ち取るためのジュエリーであり、あなたと
共に闘うジュエリーでもあるのです。あなたは今過酷な闘いの真っ只中にいます。そんな自分自身を労う為に、そして離婚した
後にも勝利の勲章として堂々と身に着けられるような、本当に気に入ったジュエリーを買って下さい】
凪子は思わずうんと頷くと、足早にお気に入りのジュエリーショップへと向かった。
独身時代に訪れて以来の久しぶりの店内は、当時のまま上品な雰囲気だった。
この店は、30代前後の女性に人気のブランドでもちろん絵里奈も知っているはずだ。
凪子が早速ショーケースの中を見ていると、ある指輪が目に留まった。
その指輪はプラチナ製のハーフエタニティーリングで、赤いルビーとダイヤモンドの石が交互にはめられている。
その時凪子は、ある出来事を思い出した。
昔凪子が信也のファッションショーに代役として出演した時、
信也はとても高価なルビーのペンダントを凪子に着けてくれた。
その時信也に、
「ルビーは君によく似合うな」
と言われたのを思い出す。
凪子が物思いに耽りながらうっとりとその指輪を見つめていると、
品の良い50代位の女性スタッフが近づいて来て言った。
「そのルビーの指輪は、とても高品質な石が使われているんですよ」
女性はそう言って、ショーケースの中から指輪を取り出す。
そして、黒いベルベッドのトレーの上に指輪を置いた。
凪子は間近でまじまじと見る。
店員が言う通り、エタニティリングの小さい石にしてはとても輝きが強い。
女性スタッフの言う通り、質の良い石を使っているのだろう。
「はめてみてもいいですか?」
「もちろんどうぞお手に取ってみて下さい」
女性はにこやかに言う。
凪子はその指輪を指にはめてみた。
「まあ! サイズがぴったりでございますね!」
女性の言葉に凪子も頷く。
あまりにもぴったりでで思わず笑みがこぼれる。
それから凪子はさりげなく値段をチェックした。
値札を見ると24万9000円だった。
凪子は独身時代、いつも新しい事にチャレンジしたり何かの勝負をする時には、
いつもお守り代わりに新しいジュエリーを買っていた。
当時はまだ20代で給料も今ほど高くはなかったので、もちろんこれよりもリーズナブルなものばかりだ。
それと比べると少し高いような気がする。
その時スタッフが言った。
「ルビーは勝負に強い石と言われているんです。だから身に着けるとお守り代わりになるとも言われているんですよ」
その『お守り』というフレーズに凪子は反応する。
そしてなぜかその指輪との出会いに運命的なものを感じた。
(マンションを買う為に貯めていた貯金があるわ! もうマンションを買う予定もなくなっちゃったし、たまには自分にプレゼントしても罰は当たらないでしょう?)
凪子はそう考え決心した。
「ではこれをいただきます」
「ありがとうございます。ただいまご用意いたしますね」
スタッフの女性は嬉しそうに微笑むと会計の準備を始めた。
帰り道、凪子はジュエリーショップの袋を大切に抱えていた。
指輪は戦闘の日から身に着けようと思っている。
思い付きでかなり高額なものを買ってしまったのに、なぜか心は軽やかだった。
(この指輪はこれからの私の戦闘服よ!)
凪子はニヤリと笑うと、颯爽と自宅へ向かった。
自宅へ戻り凪子が夕食の支度をしていると、良輔が帰って来た。
「おかえりなさい」
「ただいま! いやー、暑くてすっかり日焼けしちゃったよ」
良輔はそう言うと、すぐにシャワーを浴びに行った。
良輔がバスルームに入ると、
凪子はすぐに洗面所へ行き、洗濯機の中から良輔の服を取り出す。
匂いを嗅いでみると、例の香水の香りはしなかった。
テーブルの上にはゴルフ場の近くにある観光地で買った土産物の菓子が置いてあった。
念の為ゴルフバッグの中もチェックすると、
ゴルフクラブが乱雑に並んでいて使われた形跡がある。
今日は絵里奈とは会わずに、本当にゴルフ接待だったようだ。
凪子はうんと頷くと、次の作戦に向けて戦闘態勢を整える。
(絵里奈と会っていないって事は、今夜また良輔が求めてくるかもしれない)
そこで凪子は改めて考えておいたセリフを頭の中で復習する。
凪子はもし良輔が求めてきたら、どうやって断るかをちゃんと考えていたのだ。
セリフが完全にインプット出来たので、今度は引き出しからレディースクリニックで貰った薬を取り出す。
そして良輔が気付きやすいようにカウンターの上へ無造作に置いた。
しばらくすると、良輔がシャワーを終えてリビングへ戻って来た。
凪子が煮物を作っていると、近くへ来て覗き込む。
「おっ、今日は和食か! いいな…」
良輔はそう言うと、凪子の頬にチュッとキスをする。
その時凪子の全身に鳥肌が立つ。
良輔はそんな凪子には全く気付く様子もなく、カウンター脇を通った。
その時カウンター7に置いてあるクリニックの袋に気づく。
「なんだ? 病院に行って来たのか?」
「あ、うん……なんだかアソコの調子が悪くって…」
「アソコ?」
「膣よ!」
「!」
良輔は驚いていた。少し焦っているようにも見える。
「えっ? どう具合が悪いの?」
「うん…ちょっと炎症を起こしているみたいで…あと痒みも少しあるのよ」
「…………」
凪子は明らかに動揺している良輔を見て笑いがこみ上げて来る。
きっと絵里奈から性病でもうつされたのではと不安になったのだろう。
しかし、凪子はしらばっくれて言った。
「どうしたの?」
「あ、いや…うん…で、大丈夫なのか?」
「しばらくはクリニックに通わなくちゃかも! あ、それと、治療中はセックスは禁止ですって!」
それを聞いた良輔は、更にショックを受けた様子だった。
「炎症くらいで禁止なのか?」
その言葉を聞いた凪子は、信じられない思いでいた。
もし自分が夫の立場だったら、具合が悪い妻に向かってそんな無神経な事は言わないだろう。
それなのに、今良輔は『炎症くらい』と言ってのけたのだ。
(私が愛していた人はこんな人だったの?)
凪子はかなり衝撃を受けていた。
しかしその思いに気づかれないように平静を装って言った。
「うん、癖になるともっとやっかいみたい。なんか細菌が関連しているらしいのよ。今までこんな事一度もなかったのに不思議
よねぇ…」
凪子は大きなため息をつきながら、わざと深刻に言う。
そして更に付け加えた。
「あなたまさか、風俗とか行ってないわよね?」
凪子は精一杯の演技をしながら、疑わしい目で良輔を見つめる。
「いっ、行くわけないだろうっ!」
「あっ、なんか動揺してる? あやしーい!」
「そっそんな訳ないだろう! とにかく、完治するまではしっかり治療しろよ。それにしてもしばらく凪子とデキないのか
ぁ…」
良輔は心から残念そうに言う。
「でもちょうど良かったわ。これから新ブランドの件で私も忙しくなるし。それにあなただって課長昇進を目前に控えてこれか
らますます頑張らなきゃいけない時期だしね」
「まあそうだな」
良輔は元気のない声で言うと、ソファーにドカッと座りテレビをつけた。
そして何か考え事をしながらテレビをじっと見つめている。
その夜、良輔はゴルフで疲れたのか早めに就寝した。
夕食の際、凪子は良輔に日本酒を勧めた。
凪子は良輔に日本酒を飲ませようと、わざと和食メニューにしていたのだ。
良輔は酒に強い方だが、なぜか日本酒を飲んだ時だけはすぐに眠くなり朝までぐっすりと眠る。
「明日は日曜日で朝寝坊出来るんだから、たまにはいいんじゃない?」
凪子は笑顔でいつもより多めにお酌をした。
凪子の思惑通り、良輔はいつもよりもかなり早めに寝室へ行った。
しばらくして寝室を覗くと、軽いいびきが聞こえている。
ぐっすり眠っているようだ。
凪子はそっと良輔側にあるナイトテーブルへ行き、
良輔のスマホを手にして音を立てないようにリビングへ戻った。
それからは、スマホのロック解除に専念する。
(うん、もうっ! こんな事なら指紋認証にしてくれていた方がよっぽど楽だったかも!)
凪子は思わず心の中で毒を吐く。
思いつく限りの数字は全部入れてみた。
しかし解除出来ない。
良輔の誕生日、車のナンバー、ゴルフの最高スコア、
良輔の母両親の誕生日、入社した年、凪子の誕生日も入れてみた。
それらの数字を逆さに並べた数字も入れてみたが、全部駄目だった。
そこで、凪子はハッと思いついた。
ダメ元で、二人の結婚記念日の数字を入れてみる事にした。
1022
すると、ロックはあっさり解除された。
(信じられない! 愛人とのやり取りを隠す為に結婚記念日の数字を使うなんて!)
凪子は怒りのあまり動悸が激しくなる。
人は怒り過ぎても心臓がドキドキするらしい。
おそらく血圧がかなり上がっているのだろう。
(早く離婚しないと早死にしそうだわ…)
そう毒づきながら、メッセージの画面を開いた。
絵里奈とのメッセージはすぐに見つかった。
二人は毎日、かなり頻繁にやり取りしていた。
とりあえず、凪子は直近のやり取りを見てみる。
【また今週末も会えないのね】
【ゴルフ接待なんだから仕方ないだろう】
【もう三週間も土日に会えていないのよ!】
【だからこの前資料室でシテやっただろう?】
【うん♡会社でのエッチ、最高に気持ち良かった♡】
そこまで読んで、凪子は絶句する。
この文面から読み取れるのは、二人が会社の資料室でセックスをしているという事実だった。
(何てこと!)
凪子は思わず吐き気がこみ上げてくる。
凪子は自分の職場が、何か汚らわしいもので侵されたような気になっていた。
職場は凪子にとっては神聖な場所だ。
自分が本気で情熱を注いでいる闘いの場でもある。
そんな大切な場所で、あの二人はセックスをしていたのだ。
凪子は二人に対し、怒りを通り越して赦せない気持ちになっていた。
しかし、時間がない。
夫はいつ目を覚ますか分からない。
凪子は一旦深呼吸をしてから心を落ち着けると、
気を取り直して続きに目を通した。
【しばらくは忙しいんだ。我慢してくれ!】
【うん、じゃあ今週もまた資料室でシテね!♡】
【分かったよ…じゃあ月曜日の14時にな!】
【オッケー♡絵里奈可愛い下着を買ったから、それを着けていくね♡】
(って事は、明後日の月曜日にまた資料室でするって事?)
そこで凪子は、夫が絵里奈に送ったメッセージの時間をチェックする。
その時間は、ちょうど夕食を終えた頃の時間だった。
おそらく、食事の後トイレへ行った時に送ったのだろう。
夫はこの土日に凪子で解消できない性欲を、週明けに絵里奈で解消しようとしているのだ。
凪子は呆然としていた。
良輔に対する嫌悪感のようなものが心を埋め尽くす。
しかし気を取り直し、とりあえず直近のやり取りを全てスマホのカメラで撮影した。
それからさらに過去のやり取りを読み始める。
どれも同じような内容だ。
中身のない薄っぺらい会話の羅列に、更に凪子の嫌悪感が募る。
しかしなるべく割り切るようにして、淡々とスマホで撮影していった。
大体のやり取りを読み終わった凪子は、
二人のメッセージのやり取りには、徐々に変化がある事に気づいた。
初期の頃のメッセージは、良輔の方がかなり積極的だった。
良輔が絵里奈に送った言葉は、思わず凪子が目を覆いたくなるような恥ずかしい文面ばかりだった。
【絵里奈に会いたい】
【絵里奈のあそこを早く舐めたい】
【絵里奈のアソコの匂いが恋しいよ】
【絵里奈のよがる顔が早く見たい! 絵里奈の喘ぎ声を早く聞きたいよ】
【あー、シタくてシタくてたまらないよ! 絵里奈、今すぐ資料室へ来て!】
どれを読んでも吐き気がする。
そして喉がつかえたような違和感を覚える。
二人が交際を始めた初期は、明らかに良輔の方が積極的だ。
(これじゃあ、良輔にもかなり落ち度があるわ!)
それまでの凪子はこう思っていた。
夫は若い絵里奈にたぶらかされたのだと。
若くて綺麗な女性に言い寄られたら、
中年期を前にした男が舞い上るのも当然だ。
もちろん、だからと言って不倫をしていい訳ではない。
しかし、自分が夫を放っておいたという罪悪感に苛まれていた凪子は、
ほんの少しだけ、良輔に同情している部分もあった。
しかし今その同情は、すっかりと消え失せていた。
良輔に同情する必要などない事が、このやり取りを見て分かったのだ。
凪子はフーッと息を吐くと心を無にし、それらのメッセージを機械的に撮影していった。
作業が終わると、凪子は寝室へ入りスマホを元の位置へ戻す。
良輔は、まだいびきをかいて寝ている。
凪子は再びリビングへ戻ると、ソファーへ沈み込むように座った。
なんだかどっと疲れてしまった。
凪子は何げなくスマホを取り出すと、『なつみんブログ』を読み始めた。
【今、闘いの真っ只中にいるあなたへ・・・
あなたのご主人への「愛情」は徐々に薄れていると思います。もしかしたらもう既に「愛情」なんてこれっぽっちもないと思っている方もいるかもしれません。
そんなあなたでも、夫に対する「情」は、大なり小なり残っているのではないでしょうか?
これまでの結婚生活で、二人は夫婦として様々な事を乗り越えてきました。
良い事も悪い事も、全てを受け止め一緒に前へ進んで来たのです。
その過程で、二人は強い「情」という絆で結びつきました。
しかし、その「情」は、今のあなたにとってはただの足枷でしかありません。
一度嘘をついた男は、何度でも嘘をつきます。
一度不誠実な事をした男は、何度も同じことを繰り返します。
不倫をする男は、大抵女を下に見ています。
そして常に自分の事しか考えていません。
そう…あなたの夫も不倫相手と一緒なのです。
常に自分が一番可愛いのです。
そんな男が、他人を幸せに出来るのでしょうか?
もし出来ていたなら、なぜあなたは今こんなに苦しまなくてはいけないのですか?
大丈夫! あなたは一人で生きて行けるはずです!
なぜなら、あなたは今この闘いにたった一人で立ち向かっている強い女性なのですから!】
凪子の頬には涙が伝っていた。
もう自分達はやり直せないところまできている。
その現実を、凪子は今直視したのだった。
凪子は指で涙を拭うと、窓の外の夜空を見上げる。
そこには、傷ついた凪子を慰めるような美しい半月がぽっかりと浮かんでいた。
コメント
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夜の営みが病気のせいでできない時は我慢しないと‼️「炎症くらい」なんてよく言えるわ💢 そらに暗証番号が結婚記念日とか会社でなさるとか全てdataを残してるのも凪子さんを軽く見てるようで腹立つわ🤬🤯