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#都市伝説
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2026年7月23日午後5時29分/■■県童ノ宮市湯湯山町東新大群■■―■■童ノ宮神社・祈祷所/栗原ミサキ
その光景は、悪夢なんて言葉じゃ到底言い表せないほど凄惨だった。
柴崎さんの背中から伸び出たムカデのようなフォルムの触手にて足を絡めとられ転倒したバケモノの胸元に塚森さんが飛び乗り、手にした錫杖で滅多打ちにしはじめたのを見た時は、勝ったと思った。
これでこの地獄みたいな極限状態から解放されると。
もちろん、それでめでたしめでたしと言うわけにもいかない。
バケモノ・浮足坊主に憑依されていたとは言え、私はキミカちゃんに、まだ中学一年生の女の子相手に取り返しのつかないことをしてしまった。どんな罰もするつもりだっ たし、絶対に償おうとも思った。
でも、その前にあの子を、マキオを迎えに行ってやりたいと心の底から思った。そして、思いっ切り頭をなでて抱きしめてあげたかった。
だけど、錫杖の重い一撃を受け、粉微塵に砕かれた浮足坊主の白い仮面の下から現れたのは、どんな醜悪な獣でも及ばないほどグロテスクな代物だった。
たるんだ皮と落ちくぼんだ眼窩。古びて痛んだゴムマスクみたいな女の顔。
それが誰をモデルにこしらえられたものか一目でわかった。私だ。多分、私のことを知っている人なら誰もがそう思うだろう。
気持ち悪い。得体の知れない虫の群れに全身をたかられたかのような嫌悪感が脳天を走り抜け――、私は頭を掻きむしっていた。
血が滲むほど肌に爪を突き立てながら、喉からこぼれ出たのは引きつった笑い声。そう、私は笑っていた。ボロボロ、ボロボロ涙を流しながら。
とっくに私は壊れ切っていると思ってたのに、まだ余地があるのが意外だった。
「――栗原ミサキ! あいつを見るな!」
まるで鉤縄のように銀の触手を操って床に打ち込み――、風を切って柴崎さんが隣に立つ。片手で、半ば強引に私の目を覆い、叫ぶように言う。
「マキオ君と最後まで寄り添いたいんだろ! だったらしっかり正気を保て!」
……そうだ。こんなところで私は狂ってる場合じゃない。
来るって逃げようとしている自分を赦しちゃダメだ。
「よし。トドメは塚森レイジに任せて――、私達はいったん引くよ」
そう言いながら柴崎さんが私の肩に手をかけた時だった。
バケモノが、私の顔を真似た浮足坊主が最後の力を振り絞るように、胸の上に仁王立ちに立っていた塚森さんを跳ねのけ、立ち上がった。
そして、両腕を大きく広げて咆哮する。
「けぇええええええええええええええええええええええええええええッ……!」」
それは耳をつんざくような異音だった。あまりの甲高さに頭が割れそうな激痛が走り、思わず耳を塞いでいた。
そう思った次の瞬間、視界の全てが漆黒に塗りつぶされる。続いて足元の畳が消失し、一瞬、宙に浮遊するような感覚がして――私は闇へと落下していた。
あ、これ、夢の中で階段を踏み外したのと似てるな――。
そう思う暇もなく私の身体は泡をあげて、水中に没していた。凍てつくように冷たく、腐った水草と泥の匂いに満ちた水の中へ。
そのままさらに水の底へ沈んでゆくのかと思った刹那、しぶきをあげて私はまた水の外へと引き上げられていた。
しこたま泥水を飲んでしまい激しくむせかえる私の目の前にはぼんやりと全身を発光させた柴崎さん。その光の向こうには、私と同じようにずぶ濡れになりながらも身体を持ち上げられた塚森さんもいた。
タコの脚のように、銀の触手を複雑な形に巡らせた柴崎さんが私達を水の中から持ちあげ、救出してくれたのだ。
祈祷所は一瞬にして全く別の空間に変貌していた。
……真夜中、なのだろうか?
星明り一つ見えない空の下、私達はやがては海へと流れつくだろう幅の広い河川にいた。
昨夜、ホテルでも出現したあの川だ。あの日、あの子を――、私のかけがえのない一人息子であるマキオの命を飲み込んだあの川。
冷たい水に落とされたのとは別の理由で私の身体は震えが止まらなくなる。
「畜生、後一歩だったのに……! まんまと出し抜かれたな。あいつ、どこかに隠れやがった」
痛恨の極み、という表情で柴崎さんが呻く。
「成長しきってカウンターストップ状態とは言え、雑鬼ごときが異界創造能力まで使いこなすとはね。完全に読み誤っていたな」
「過ぎたことを悔やんでも仕方がありませんよ。それよりも……」
触手に胴を巻かれ、水面に持ち上げられたまま塚森さんが言った。
「申し訳ないですが、リョウちゃんもすくいあげてやってくれませんか? 普段ならそう簡単にやられるタマではないんですが、さすがにあの状態だと……」
「ああ、そう言えばそうだね。早く回収してあげないとまずいか」
苦い表情でうなづき柴崎さんは手隙の触手を動かし、水の中を弄りはじめる。
その度にバシャバシャと音を立てて、川面がはねる。
「……それにしても、今日は散々だ。異界でずぶ濡れになりながら生首探しとか、十代の頃の私が予知で知ったら間違いなく、ショック死だ」
「柴崎さん、作業に集中してください。こんなことをしている間にも、浮足坊主が襲ってくるかもしれない」
「……うるさいなぁ。集中、してるだろ。そんなに言うならあなたもその錫杖でこのムカつくドブ川の底を浚ったらどうだい?」
「あっ」
思わず私は声をあげていた。
そんな私に自然と二人の視線が集中する。
「どうした、栗原ミサキ?」
「……何か気になることでもありましたか?」
「え、ええ。ひょっとしたら気のせいかもしれないんですけど――」
気後れするのを覚えながらも、私は続けた。
「あそこで……水の下で何かが動いたような気がしたから……」
おずおずと私が指さした先に柴崎さんと塚森さんがまた、視線を向ける。
その時だった。ザッパーンと大きな水音を響かせて、津波のように巨大な影が立ちあがっていた。私達のまうしろで。
より正確に言えば、私のまうしろで、だ。
「――けぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃけぴゃッ……!」
顔を引きつらせた私に狂気じみた嘲笑が雨あられと降りそそがれる。
同時に浮足坊主の黒い獣毛につつまれた丸太のように太い腕が突き出され、私はひっつかまれていた。左右の脇腹に岩肌のようにゴツゴツとした指が食い込み、力任せにひっぱられる。
「うあっ……!」
耳にこびりついたのは柴崎さんの苦悶の声。浮足坊主が私を奪い取るのと同時、守ってくれていた触手を引き千切ったのだ。
無残な断面から緑色の体液のようなものが闇の中に吹きこぼれ――、どこか遠くで苦痛に満ちた赤ちゃんの悲鳴を聞いたような気がした。
その反動で柴崎さんの身体も吹き飛ばされ、勢いよく水の中に落ちる。別の触手に持ち上げられていた塚森さんも同様だった。
「なんてことすんだよ、このバケモノ……!」
煮え滾るような感情――、殺意が腹腔を満たすまま、私は唸っていた。
「あの二人はただ私達を助けようとしてくれていただけなのに……。なんで、なんでこんな……」
「はぁああああ? 何ですかぁあああ? 声が小さくてきこえないんですけどぉおおおお?」
「だからっ! 何でこんなことするのかって聞いてんだよ!」
私はこらえきれず、感情を爆発させる。そうだ。何でこんな目に遭わされなきゃいけないんだ。しかも、赤の他人まで巻き込んで。
確かに私は人並み以下の女だ。カスみたいな親のもとに生まれて、カスみたいな人生を歩んできたのも事実。仕事もプライベートも中途半端。恩ある人、助けてくれた人達をガッカリさせたことも一度や二度じゃない。
だけど、それでも。私は今、こうして生きている。必死で。血を吐く想いで。
「それを、それを何であんたみたいな訳のわからないやつに踏みにじられなきゃいけないんだ……」
悔し涙が溢れた。眼前まで近づいた、ゴムマスクのような浮足坊主の素顔が滲んで歪む。
まさか人生の最後を、独りぼっちで、しかも、こんな醜怪な景色で終えなきゃいけないなんて夢にも思っていなかった。
「いいですねぇええ、いい苦しみっぷりですぅうう。もっと苦しくなるよう、爪先から少しづつ少しづつ、食べてあげますねぇえええ」
ぐぱっ。湿った音をたてて、女の口元が横一文字に大きく裂ける。
奥底まで露わになった浮足坊主の喉は、獲物を粉微塵に砕くためのであろう、黄ばんだ乱杭歯が無数に生えそろい――、その隙間から泣き叫ぶ形で固定された人の顔がいくつも覗いていた。
肉が腐ったような生臭い吐息が私の顔全体に吹きかけられ、前髪を揺らした。
「呪ってやる。いや、祟ってやる」
自分でも薄気味が悪いぐらい、静かな声色で私は言った。
他に何も言い残すことはなかった。
「死んだら私も童ノ宮の稚児天狗みたいになって、いや、もっと恐ろしいお化けになって――、お前を祟り殺してやる。それでもいいなら喰ってみろよ」
うふふふ、と口を開いたまま浮足坊主が嗤う。嗤っている。
……ごめんね、マキオ。
私、結局親らしいことはなにもできなかった。
だけど、ムシのいい願い事だけれど.
もしまたあんたのママに生まれ変わることができるなら、今度はもっと楽しくて綺麗で優しいものをあんたと一緒に見て回りたい……。
静かに私は目を閉じていた。そして、すぐにでも訪れるであろう激痛に悲鳴をあげないよう、今一度歯を食いしばろうとした。
と、その時だった。
「――おい」
背後から声が聞こえた。ここからは距離があるらしく、微かで、聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声。
だけど、それは聞き間違いようもない男の子の声で。
底知れない怒気を宿したその気配は文字通り、ジェット機のような速度で近づいて来た。
「――あがっ!? あがががががががががががががっ!?」
間抜けな声を発したのは浮足坊主だった。バラバラと顔に降りかかって来たのは、あの厭らしい乱杭歯のかけら。
何百本と打ち砕かれたそれらは、どれも根もとが綺麗に切断されていた。
歯抜けになったバケモノの手のひらから滑り落ち、悲鳴をあげる間もなく私は垂直に落下してゆく。
だけど、逆さまになった頭が水面に激突する直前――。
フワリと私の身体は宙に浮かびあがり、停止していた。
目を凝らせば丸みを帯びた輪郭が見える。私は風船のような球体の中に閉じ込められていた。かすかだが、うなじに気流を感じる。
空気で出来たようなそれは、明らかに自然物じゃない。かと言って、人の手によって作り出されたとも思えない。
外法――。それは天狗そのものを指すこともある、塚森家先祖伝来の妖術。
そして、私は見た。この世のありとあらゆる絶望を煮詰めて塗りたくったような闇の中、一対の翼が大きく広げられ、魔法のように光り輝いているのを。
だけど、それは天使のような純白でたおやかな翼じゃない。それはワシやタカといった力強い猛禽類の翼だ。
「マキオ……!」
思わず私は息子の名前を口にしていた。
はるか頭上からこちらを見おろすマキオは怒っていた。それもとんでもなく。
その表情を見ればわかる。口は堅く閉ざされへの字に曲がっていたし、大きく見開かれた目は赤い輝きを放っている。
去年のハロウィンに二人で作ったお化けカボチャのランプのように爛々と。
「……それは一体、何のつもりだキサマ」
マキオが口を開いた。なぜか、その声が私には三重になって響いて聞こえてくる。
「ぼくのママはそんなんじゃないもん。お化けじゃないもん」
【――同感。あまりにもグロテスク。美的センスはゼロと推測】
(少し育ち過ぎただけの小鬼風情が調子にのりおって……! 不愉快だ。全くもってまろは不愉快だ)
何なのこれ。マキオの身に起きている新たな異変に戦慄する。
まるで映画を副音声付きで眺めているようだった。映画鑑賞をしながらその作品の監督や出演者たちがコメントをしあうあれ.私は映画は落ち着いてみたい方だからあまり好きじゃない。
一人で三人分の声を響かせるマキオの姿は、我が子とはいえ、あまりにもシュールだった。
「あんなやつ絶対にイヤ。グチャグチャにしたい」
【――同意。抹消を推奨。……分け御霊様のお言葉を待ちます】
(フン。ものは方便よな。まろに始末せよと申すか)
そして、その声は一つに統合されてゆき――
「キサマを祓うとはいわぬ。母上様を侮辱したキサマは殺す。そして、元来た地獄に叩き戻してくれようぞ」
コメント
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いやあ、もう息を呑む展開でしたね…! マキオがまさかあんな形で現れるとは。三つの声が重なって「母上様を侮辱したキサマは♡♡♡」ですよ。もう震えました。あの冷たい川のシーンから、ミサキさんの覚悟の台詞、そして翼を広げたマキオの怒り——全てが繋がって一気に加速した感じがしました。伏線の回収が気持ちいいです。次が待ちきれない…!