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さぶた@気分屋
101
朝から雨だった。
窓を打つ雨音で、先生の声が少し聞き取りづらい。
紬は教科書を開いたまま、ぼんやり外を見ていた。
前の席の蒼真は、一度も振り返らない。
それが、いつものことだった。
「はい、今日はここまで」
終礼のチャイムが鳴く。
教室が一気に騒がしくなる。
「蒼真、一緒帰ろうぜ」
「悪い。今日は用事」
男子にそう返し、蒼真は鞄を肩に掛ける。
紬はその声だけを聞いていた。
視線は合わせない。
合わせられない。
「紬」
教室を出ようとすると、悠生が声を掛けた。
「傘ある?」
「ある」
「じゃあ途中まで一緒で」
「……うん」
二人は昇降口へ向かう。
雨は少し強くなっていた。
校門を出て十分ほど歩いた頃。
紬がぽつりと口を開く。
「悠生」
「ん?」
「昔さ」
歩いたまま言う。
「蒼真って、どんな子だった?」
悠生は少し笑う。
「急だな」
「……いいから」
その声は少し硬かった。
悠生は雨の向こうを見ながら思い出す。
「よく笑ってたよ」
「うん」
「泣き虫だったし」
紬は少し驚く。
「泣き虫?」
「ああ」
悠生は頷く。
「転んでも泣くし、先生に注意されても泣くし」
少し笑う。
「でも、お前が泣くと一番に駆け寄ってた」
紬は黙る。
そんなこと、覚えていない。
「二人ともそっくりだった」
悠生は続ける。
「見た目も、笑い方も」
「……今は?」
紬が聞く。
悠生は少しだけ考える。
「今は全然違う」
その答えが胸に刺さる。
信号が赤になる。
二人は止まった。
雨がアスファルトを叩く。
「なあ、紬」
「なに」
「お前さ」
悠生は紬を見ない。
前を向いたまま話す。
「蒼真のこと、昔に戻したいの?」
紬は息を止める。
考えたこともない問いだった。
戻したい。
そうなのだろうか。
「……分からない」
小さく答える。
「でも」
紬は続ける。
「今の蒼真は、知らない人みたいなんだ」
悠生は何も言わない。
「同じ顔なのに。
同じ声なのに。
笑ってるのに」
紬は唇を噛む。
「俺だけ、置いていかれたみたいで」
その言葉を口にした瞬間、自分でも驚いた。
初めて、本音だった。
青信号になる。
二人は歩き出す。
しばらく沈黙が続いた。
やがて悠生が静かに言う。
「……蒼真も」
紬が顔を上げる。
悠生は少しだけ困ったように笑った。
「置いていったつもりじゃないと思う」
紬は何も返せない。
その日の夜。
蒼真は自室の机の引き出しを開けた。
奥に、小さな箱がある。
何年も開けていない箱。
しばらく見つめる。
手を伸ばしかけて、
止める。
ゆっくり引き出しを閉めた。
「……まだ、無理か」
誰にも聞こえない声だった。
箱の中に何が入っているのか。
それを知っているのは、
蒼真だけだった。
コメント
1件
うわあ、このエピソード、すごく切なかったです…。雨の日の静かな情景と、紬の「置いていかれたみたい」という本音が重なって、胸がぎゅっとなりました。悠生が子供の頃の蒼真を「泣き虫だった」と教えてくれるシーン、でも「今は全然違う」って言うところが特に刺さります。最後の蒼真が引き出しの箱を開けかけて閉じる場面、あの中に何があるのかすごく気になる…。設定の細かい伏線の貼り方がとても巧みだなあと感じました。続きが待ち遠しいです!