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自ら一緒にとお風呂に誘っておきながら、空腹で逆上せて介抱されるという失態を犯した私は、甘い香りで目が覚めた。
今朝も彪の方が先に起きていて、徒歩十五分ほどの場所にある早朝から売り切れまでの販売というパン屋さんまで散歩してきたという。
札幌の真冬の午前六時はまだ暗く、散歩に適してはいない。
そう言うと、「椿に美味しいパンを食べさせてやりたくて」と甘い声で囁かれ、キスされた。
「それから――」とコーヒーをカップに注ぐ。
「――駆け引きの一つの手かな」
そうだった。
私は昨夜、ある思惑を持って彼を誘惑しようとした。
見事に大失敗と相成ったわけだが。
今朝はなぜかダイニングではなく、リビングのテーブルに朝食が並んでいて、彪がソファに座り、私はラグに座った。
「で? 駆け引きなんてらしくないことをした理由は? あ、そもそも、あんな方法、どうして思いついた?」
「ネットで……ですね」と、私は目を伏せてコーヒーをすすった。
「一緒にお風呂に入って、イイトコで焦らしておねだり? けどそれって、プレゼントのおねだりがいいとこだろ」
彪と付き合い始めてから、これまで一切興味を持たずにいた男女のあれこれが気になるようになり、それらしい広告などが目に入ると開いてしまう。
因みに、今回のお風呂作戦は『男がつい頷いてしまうおねだりの仕方』というタイトルだった。
私にはハードルが高すぎた……。
「ま、あながち外れでもないけど」と、なぜか彪が立ち上がった。
キッチンに行くのかと思いきや、私のすぐ横に座る。
「あのまま椿に『お願いを聞いてくれたら挿れさせてあげる』とか言われたら、祖母さんの病院でも何でも行ってたかもな」
「え――?」
彪、気づいて――。
「けど! 残念ながら作戦は失敗し、更に! 椿は気を失う直前、俺を『彪さん』と呼んだ。これは逆に、俺の願いを聞いてもらわなきゃだな」
「えっ? わわっ――!」
肩を抱き寄せられたと同時に、お尻から太腿を抱えるように持ち上げられ、私は彪の膝の上に横抱きにされた。
「はい、あーん」
あろうことか、彪が私の口の前にバターロールを差し出した。
「じっ、自分で食べられ――」
「――お仕置きだから、ダメ」
「おしお――っ」
むぐっと、強制的に口にパンを突っ込まれ、否応なく咀嚼する。
こんな状況だが、パンは美味しい。
彪はフッと口元を緩ませたかと思うと、ペロッと私の唇を舐めた。
「――~~~っ!」
「仕事休んで、このままイチャイチャしてようか」
ブンブンと首を振る。
「駆け引き、成功するかもよ? 椿の手技口技で骨抜きにされたところでお願いされたら、うっかり頷いちゃうかも?」
「……っ!」
お風呂の前に、手技と口技の習得だったか!
「それか、今夜、婚姻届を提出してくれるなら、祖母さんの病院に行ってもいいよ」
そう言った彪が、悲しそうに見えた。
そんなに、お祖母さんに会いたくないのだろうか。
そんな彪に、生きているうちに会わなければ後悔するからと言うのは、私のエゴなのかもしれない。
私はパンを飲み込んだ。
「私は、彪に後悔して欲しくありません」
「うん」
「それは、お祖母さんに会っても会わなくても、です」
「うん?」
「私はもう祖母に会えませんから、会わなければ後悔するのではと思ってしまいますが、もしも、会うことで、会わなければ良かったと後悔するのであれば、会わない方がいいと思います。ですが! 残念なことに、後悔と言うのは読んで字のごとく、後に悔やむという意味でして、こればかりはやってみなければ分からないことです。いわば、賭けです。私は賭博は致しません。なので、その極意なるものはわかりませんが、比較し検討することは出来ます。彪がお祖母さんに会った場合と会わなかった場合の――っ!」
興奮気味に力説していると、キスをされた。
中途半端に開いていた唇は、易々と彼の舌を受け入れてしまう。
「――っふ……ん!」
コーヒー味のキス。
腰を抱いていた彼の手が、お腹を撫で、胸へと這ってくる。そして、寝起きでTシャツを被っただけの私はブラジャーを着けておらず、尖った先端を簡単に摘ままれてしまった。
ショーツの下で、彪の猛りが大きく硬くなるのを感じ、その熱に、私もまた下腹部が熱くなる。
それを知ってか、私を抱きしめたままラグに組み敷くと、彪の指がショーツの上から蜜口を撫でた。
その一連の動きを、キスをしたまま出来てしまう彪を相手に、駆け引きなどしようとしたのがそもそもの間違いだ。
ぐりぐりとショーツ越しに擦られ、もどかしい。
今更だが、彪は慣れている。
これまで何人とこうしてきたのだろう、と思った。
そしてすぐに、これは考えてはいけないことだと自己嫌悪し、ギュッと目を閉じた。
「椿……?」
呼ばれて目を開けて見えたのは、心配そうに私を覗き込む彪。
「ごめん、嫌だったか?」
ふるふると首を振る。
私は手を伸ばし、彼の熱に触れた。
「椿!?」
「つ、続きを――」
「――いや、けど――」
「――シて……ください」
自分で思うより、混乱していた。
昨夜の聖也さんの話、彪の気持ち、失敗した駆け引き、手慣れてる彪の過去。
違う、そうじゃない――。
「椿は……後悔した?」
「え?」
「自分の本当の父親が誰か、聞きたかった?」
「……どうで、しょう」
「違うか。椿が聞きたかったのは、お祖父さんとお祖母さんが自分を引き取ったことを後悔していないか、だよな」
「どうして――」
どうしてわかってしまうのだろう。
彪はいつも、私の心を読む。そして、欲しい言葉をくれる。
どうして――。
聞かなくても、わかる。
私が欲しい言葉は、彪が欲しい言葉だ。
だから、彪がお祖母さんに会いたくないのは、聞きたくないから。
会って、最期に、自分を引き取ったことを後悔していると言われるのを、恐れている。
Tシャツはめくれ上がって胸が露わになり、ショーツは湿って気持ちが悪い。
こんなあられもない姿で、それでも私は真剣に彪を見上げた。
「私、彪のお祖母さんに会ってきます。それで、お礼を言ってきます」
「お礼……?」
「はい! 彪を育ててくれたお礼を言ってきます」
「椿が言うの?」
「はい! お祖母さんがどう思っていても、私は感謝していますから。彪には辛い環境だったかもしれないけれど、その頃がなければ彪と私が出会って、彪が私を好きになってくれることもなかったと思えば、全部、必然だったと信じたいので!」
目尻から涙が溢れ伝う。
言いたいことが、上手くまとまらない。
ただ、彪に、どこまでも優しい彪に、これ以上傷ついて欲しくない。
聖也さんの願いを無視したままお祖母さんが亡くなったことを知れば、きっと彪は後悔する。自分が傷ついても、会いに行けば良かったと思うはずだ。
だから、私が行く。
行って、彪の代わりに恨み言を言って、彪の代わりにお礼を言って来る。
そう、勝手に意気込んでいると、彼が嬉しそうに微笑み、私の目尻に溜まった雫を唇ですくった。
「すごい殺し文句だね」
「え?」
「俺の人生の全部、椿と出会う為の必然だったんだろ? 逆も同じだよな? 椿の人生は全部、俺に出会うためにあったってことだ」
勢いに任せて口走ったが、なんと大胆と言うか自意識過剰と言うか。
恥ずかしさに彼から視線を逸らそうにも、そうする前に両頬を手で覆われて出来ない。
「椿を一人で行かせる気はないけど――」と、彪がにっこり笑って私の頬をにゅっと挟んだ。
無様に唇が尖る。
「――とりあえず、俺以外の男と二人きりで何を話したのか、言ってごらん」
そう言われても、この状態で唇を動かせば、更に無様な形相になる。
私はじっと彼を見た。
彪はフッと笑うと、ひよこの口ばしよろしく尖った私の唇に、かぷっと食いついた。
「この唇を汚すのは、忍びないな」
意味がわからない。
けれど、なんだか彪がご機嫌だから、まあいいかと思った。
彪の手がそっと頬を離れ、私はぽつりと聖也さんから聞いたことを話した。
最初は真剣に聞いていた彪だけれど、次第に不機嫌になり、最後は飽きたようで私のおっぱいを揉みながら聞いていた。
話し終えると、ようやくかと言いたげに、尖端を咥えられた。
「あっ……」
何をされているか見せつけるように、舌を出し、私を見ながら尖端に触れる。
期待とか、羞恥心とか、興奮とか、罪悪感とか、様々な感情がない交ぜになり、ぎゅっと目を閉じた。が、与え続けられる快感に、最後は瞳に涙を滲ませ、はしたなくも悲鳴のような嬌声を上げ、身体を弛緩させて果てる、
いつもより激しく、しつこく、甘く抱かれた。
なにも考えられなくなって、汗でべたつく身体を抱き締められた頃、彪がポツリと言った。気がした。
「なあ、椿。俺をお婿さんにしてくれない?」
その言葉が現実か夢か、わかるのは三日後のことだった。