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九月の終わりの朝、十人は守森神社の裏手へ集まった。空は高いのに、山道の入口だけは杉の影でまだ薄暗い。旧放送小屋へ向かうための軍手、懐中電灯、飲み水、簡単なロープ。必要なものを、エルドウィンがひとまとめにして地面へ並べていた。
マクスミリンは、ハヤの手の中の鍵を一度だけ見てから言った。
「無理に回すな。古い錠は、持ち主の焦りをよく覚えている」
「鍵にも性格があるみたいに言いますね」
ドゥシャンが言う。
「ある。人間より正直だ」
坂を上るにつれ、朝風通りの音が遠のいていく。足元には去年の落ち葉が薄く残り、ところどころ、夏の雨でえぐれた土が乾いて硬くなっていた。
ジョンナが先頭近くで、二十年前の地図の写しを広げる。
「この尾根を回った先です。祭りの日は、ここから放送で人を動かしていたはず」
「人を笑わせる祭りのくせに、避難路まで抱えてたなんてね」
アンネロスが息を整えながら言う。
「笑って歩けば、道を覚えるから」
ハヤは、自分でも驚くほど自然にそう答えていた。
途中、崩れかけた木柵をエルドウィンが持ち上げ、ハルミネが裾を引っかけそうになるのをノイシュタットが支える。ドゥシャンは黙っていられず、「ここで守り神に呼ばれたらどうする」などと言って全員に睨まれた。
それでも、誰も引き返すとは言わなかった。
やがて木々のあいだに、小さな建物の影が見えた。トタン屋根は半分ほど錆び、壁の白は雨で剥がれ、窓は曇って中が見えない。けれど、入り口の錠だけは、形がしっかり残っている。
ハヤは胸の前で鍵を握り直した。
M-27は、手のひらでぬくもりを帯びていた。
「開けるなら今だ」
マクスミリンが短く言う。
鍵穴に差し込む。古い金属が触れ合う、乾いた感触が指へ返ってきた。ひと息置いて、右へ回す。途中で硬くなり、さらにほんの少し力を入れると、内側で何かが外れる鈍い音がした。
扉が、ゆっくり開いた。
中は湿った木の匂いが強かった。壊れたスピーカー、倒れた椅子、壁へ掛かったままの古い避難地図。窓辺には埃をかぶった放送原稿の束があり、机の下には配線の切れた拡声器が転がっている。
「本当に残ってた……」
エフチキアが小さく言う。
ジョンナは地図へ駆け寄り、ノイシュタットは壁に貼られた順路表を見上げた。オブラスは床の傷と棚の位置を目で追っている。二十年前の一日が、そのままここで止まっているようだった。
ハヤは窓際の机へ近づいた。埃の上に、丸い跡が二つある。湯呑みか、電池ケースか。机の端には、紙の束を押さえるためだったらしい小さな石がひとつ置かれていた。
その下に、封のされていない茶封筒があった。
「何かある」
ハヤが呼ぶと、皆の足音が一度に近づく。
封筒の中には、数枚の便箋が入っていた。湿気で端が波打っている。いちばん上の紙だけ、比較的きれいだった。ハヤは指を揃えて慎重に開き、冒頭の一行を読む。
《君の名前を呼べなかった》
山の空気が、一瞬だけ止まった気がした。
誰もすぐには声を出さない。窓の外で、風に揺れた枝が壁を軽く叩く音だけがする。
ハヤはその字を見つめた。几帳面なのに、最後の払いだけ少し急いでいる。電子辞書の中に残っていた下書きの匂いと、どこか同じだった。
ジョンナが息を呑む。
「……真柄蒼司の手です。たぶん」
ハヤの手の中で便箋がわずかに震えた。
花屋の名前。電子辞書。守森神社。旧放送小屋。二十年前に止まったものが、ここで一気につながろうとしている。
この手紙の続きを読めば、もう後戻りはできない。
そう分かっているのに、目は次の行を探してしまう。
窓の外では、秋の山風が細く鳴っていた。
その音は、遠い日に誰かが言いそびれた言葉を、今さら運んでくるみたいだった。