茅ケ崎駅の改札を出ると、女性はメモに書いてある住所へと向かった。
手元の携帯の地図を頼りに、入り組んだ住宅街を進んで行く。
目的の家はもうすぐのはずだ。
女性は一軒一軒家を確認しながら、慎重に歩いて行った。
すると交差点に差し掛かった角に、探していた家はあった。
オレンジ色の漆喰壁が特徴のその家は、白い窓に白い扉、庭には秋咲きのバラが咲き誇り、
まるでおとぎの国に出て来るような可愛らしい佇まいだった。
よく吟味して選んだと思われる真新しい表札には、探していた名字がしっかりと刻まれていた。
そしてガレージには見覚えのある車が停まっている。
表札と車を確認した女性は、そっと二階のベランダに視線を移す。
初秋の爽やかな昼下がり、ベランダには洗濯物が気持ちよさそうに風にそよいでいる。
女性は洗濯物を眺めながら、
(やっぱり……)
と心の中で呟いた。
洗濯物には、女性物の衣類と共に、おそらく小さな赤ちゃんの物と思われる真っ白な肌着が何枚も干してあった。
女性はそれをじっと見つめた後くるりと踵を返すと、今歩いて来た道を戻って行った。
彼女の名前は江藤詩帆・26歳。
詩帆は美大を卒業後、辻堂のカフェで働いていた。
詩帆は先程の家に住んでいる男性から交際を申し込まれていた。
二度ほど食事に行った以外はまだ何もない。
しかし、今日男の家を見て交際の申し込みは断る事にした。
男は明らかに既婚者だった。
男の名は加藤。
三十代後半の加藤は、詩帆が働くカフェの常連だった。
加藤はカフェの近くで会社を経営をしていると言った。
会社経営と言っても、おそらく小さな自営業のようなものだろう。
加藤はハッチバックの高級外車に乗り、普段仕事でもその車を利用していた。
初めて車に乗せてもらった時、助手席には仕事関係の書類が散らばっていた。
詩帆が助手席に乗る際、加藤はその書類を慌てて片付けていた。
その際先ほど見た家の住所のスタンプが押されている封筒を見た。
覚えやすい番地だったので、詩帆はその住所を記憶していた。
そして今日確かめに来たのだ。
何を確かめに来たのか? それはもちろん、加藤が既婚者かどうかだ。
詩帆は以前から疑いを持っていた。
そして今日その予想が見事に的中した。
詩帆は茅ヶ崎駅に戻ると、ちょうどホームに滑り込んで来た電車に飛び乗る。
そして一駅隣の辻堂で電車を降りた。
駅を出てすぐ駐輪場へ向かい停めてあった自転車に乗ると、
バイト先であるカフェへと向かった。
詩帆が働いているカフェは、ちょうど駅と海の中間地点にある。
カフェは大きな書店の一角に店を構えていた。
カフェには五分ほどで到着した。
詩帆はいつもの場所に自転車を停めると、カフェの裏口から中へ入って行った。
その頃夏樹涼平は、藤沢市の建築設計事務所にいた。
涼平は、今年の三月まで横浜の大手建築設計事務所に勤務していたが、
今年の四月からはこの藤沢の設計事務所へと転職した。
ここは、涼平の大学の先輩が独立して立ち上げた事務所だ。
事務所をオープンするにあたり、涼平は真っ先に声を掛けられた。
ちょうど環境を変えたいと思っていた涼平は、
快くその話を引き受けこの事務所へ移る決心をした。
涼平に声をかけたのは、同じ大学の二期上の加納浩一だ。
加納と涼平は、大学時代からのサーフィン仲間でもあった。
加納は既婚で辻堂に家を建て、妻と娘と三人でその家に住んでいる。
「涼平、引っ越しは今度の土曜日か?」
加納は昼の休憩中涼平に聞いた。
「はい。やっと菊田さんのマンションのリフォームが終わったみたいで」
菊田という人物は、涼平と加納のサーフィン仲間で歳は六十代。
辻堂のこの辺りの地主で、あちこちに賃貸マンションを所有していた。
涼平が横浜から辻堂へ引っ越したいと言っているのを聞き、
菊田がうちのマンションに入ればと言ってくれた。
加納は涼平に聞いた。
「本当に引っ越しの手伝いに行かなくても大丈夫か?」
「先輩、独り者の引っ越しなんてあっという間に終わりますから大丈夫ですよ」
涼平はそう言って笑った。
昼休みが終わると、涼平は今担当している店舗の設計図をパソコンでチェックする。
この設計事務所で受注する仕事のほとんどは、商業施設や店舗設計など空間デザインを重視したものが多い。
しかし最近では、一般の住宅の設計依頼も増えていた。
この設計事務所には、涼平や加納以外の社員もサーファーが多かった。
海を愛する社員が多いという事で、サーファー同士の口コミから、
この事務所に自宅の設計を依頼する人も増えている。
依頼人の多くは、海や自然を生活の一部として取り入れたいと思っている人がほとんどだ。
その希望を叶えるためには、海好きの人間に頼むのが一番だと思われているようだ。
それだけ、この街には心から海を愛し海と共に生活する事に重点を置く人が多く住んでいるのだ。
コメント
4件
こんばんは♪ これから読みますねー😍 もう既に読んだお話の登場人物が💕ちょっとずつ読み進めますねー、楽しみ🥰
おぉ~。このお話の中の人の絵を、「彼女」は、おっと、ネタバレせんようにせな。
瑠璃マリ先生、"カフェには五ほどで到着した".は"分"がない気がします。違ってたらすみません