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『春の音』の初めての読み合わせは、思った以上にひどくて、思った以上に楽しかった。
長机を端へ寄せ、床へ半円に椅子を並べる。主役はまだ決まっていない。デシアは書いたばかりの頁を揃えて配ったが、自分では読む気配を見せなかった。
「じゃあ誰がやるの」
モルリが訊く。
沈黙が落ちる。
ミゲロは台本を開いてすぐ閉じた。ヴィタノフはそもそも机の電球を見ていて、読む側へ来る顔ではない。ホレは紙を落としたくない人の手つきで持っている。ジャスパートは自分の台詞より音のト書きばかり見ていた。
そこでヌバーが、待ってましたとばかりに胸を叩いた。
「仕方ありません。本日は私が全役を担当します」
「絶対うるさい」
ホレの予言は、ものの三十秒で当たった。
ヌバーは老人も子どもも女も男も全部同じ勢いで読み始めた。年配役になると急に喉が枯れ、高校生役では無駄に跳ね、切ない場面でも勝手に溜めを作る。しかも台詞の順番をたまに飛ばす。
「いや、そこで泣かないから!」
モルリが机を叩く。
「俺の役、さっきも同じ声だったぞ」
ミゲロが珍しく口を挟く。
「全役一人なんだから仕方ないでしょ!」
なぜかヌバー本人が逆ぎれした。
シェルターの空気は、笑いをこらえきれなくなって少しずつ崩れた。デシアでさえ、二度ほど口元を押さえていた。
サベリオは壁際に立ったまま聞いていたが、途中から、妙な引っかかりが気になり始める。
悪いわけじゃない。むしろ楽しい。けれど、言葉の着地が違う。
この一行は、もう少し間を空けた方が効く。
今の返しは早すぎる。
そう思っても、口には出さないつもりだった。
ところがヌバーが、橋の下へ逃げ込んだ青年の台詞を、大げさに叫びながら読んだ瞬間、サベリオの口が勝手に動いた。
「そこ、急がない方がいい」
一同が止まる。
ヌバーが、え、という顔で振り向いた。
サベリオは自分でも驚いていたが、いまさら引っ込めるわけにもいかない。
「その前の足音が慌ててるんだから、台詞まで慌てたら、ただ騒がしいだけになる。息を飲んでから言った方が……聞く側が追いつく」
言い終わる頃には、全員が自分を見ていた。
モルリの顔だけが、分かりやすくにやにやしていく。
「ほーう」
「何だよ」
「いや別に。裏方さん、聞いてるだけじゃなかったんだなって」
ヌバーは少し考えてから、言われた通りにやり直した。
足音のあと、息を一つ置いて、台詞を落とす。
さっきまでただ賑やかだった一文が、急に寂しさを持った。
ホレが目を丸くする。
「……あ、今のいい」
デシアは何も言わなかった。だが、台本の余白へ何かを書き込んでいる。
サベリオは壁へ背を戻した。
余計なことを言った、と後悔しかけたが、シェルターの空気はもう少しだけ前へ進んでいた。
そのきっかけが自分の一言だったのが、なんだか落ち着かなかった。