テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
翌朝、市文化広報課の窓口は、いつもより少しだけ騒がしかった。
公開上演についての問い合わせが増えているらしく、カウンターの向こうでは職員たちが慌ただしく紙束を抱えて歩き回っている。その中心に立つニカットだけが、いつものきっちりした姿のままなのに、指先だけが落ち着かなかった。
書類をそろえる。判を押す。電話を切る。
やることは変わらないのに、昨夜からずっと、胸のどこかに小石が入ったみたいな違和感がある。
昼過ぎ、窓口の前へハルティナが現れた。
制服姿のまま、息を切らしている。学校帰りにそのまま走ってきたのが丸わかりだった。
「ニカットさん、ちょっとだけいいですか」
「今は勤務中です」
「知ってます。でも、勤務中だから聞きたいんです」
言い切られて、ニカットは眉を動かした。
ハルティナは鞄から何枚かの紙を出す。橋の上でやる予定の小さな企画案だった。題名はまだ空白のまま。けれど内容欄には、若者が一人ずつ本音を話す場、と書いてある。
「こういうの、危ないですか」
「不特定多数が集まる場所での発声企画は、内容次第では止めます」
「内容次第じゃなくて、先に止めるんですか」
ニカットは答えに詰まった。
止める理由はいくらでも言える。安全管理。苦情対応。通行の妨げ。上から怒られないための言葉は山ほど持っている。
だが、ハルティナが知りたいのは、そういうことではないのだと顔を見れば分かった。
「……問題が起きた時、責任を取るのは私です」
「じゃあ、起きないように見に来てください」
まっすぐ返されて、ニカットは息をのんだ。
逃げ道の多い大人へ、逃げ道の少ない言葉が刺さる。
その後ろでは、上司が誰かと電話をしていた。聞こえてきたのは再開発会社の名前と、保存記録という単語だった。
ニカットは思わず耳をそばだてる。
「いや、時計塔の件は前の資料どおりで……はい、上演の結果が出るまでは保留ですが、準備だけは……」
電話はすぐ切れた。
上司と目が合いそうになって、ニカットは視線を外した。自分が今いる場所は、書類の表を整える部署であって、裏を探る場所ではない。そう教わってきたし、その通りに働いてきた。
けれど、裏があると知ってしまったら。
ハルティナが小さく言う。
「逃げないでください」
その声は強くなかった。責める調子でもない。ただ、真正面から置かれた。
ニカットはすぐ答えられないまま、企画書の端を指でそろえた。角がぴたりと合っても、胸の中のずれは揃わない。
帰り際、ハルティナはもう一度だけ振り返った。
「規則って、人を助けるためにも使えますよね」
カウンターの上に置かれた企画書が、妙に白く見えた。