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次の週。
優人は難易度の高い脳腫瘍の手術を執刀することになった。
もちろん、手術のサポートには野中が入ってくれる。
これまで湊総合病院では、難易度の高い手術を引き受けることはなかった。
脳神経外科医として優秀な野中であっても、ひとりでは手に負えないからだ。
今回の患者のように頭蓋底に腫瘍があるケースは、血管や神経が密集した狭い空間に位置するためアプローチが難しく、これまでは東京の大学病院へ紹介状を書いて任せるしかなかった。
しかし、こうした手術を得意とする優人が赴任してきたことで状況は変わった。
「この街から出たくない」という患者の強い希望もあり、思い切ってこの病院で引き受けることになったのだ。
手術が始まる前、野中は優人に声をかけた。
「ダメだと思ったら遠慮せずに言えよ。いつでも代わるから」
「ありがとうございます」
「これまでは俺一人じゃどうしようもなかったが、お前がいてくれるだけで本当に心強い。長丁場は覚悟のうえで、チーム全体で乗り切らなくちゃな。俺はいつでも代われるようにしておくから、くれぐれも無理だけはするなよ」
「分かりました」
優人は真剣な表情で答えた。
そして手術が始まった。
患者の頭を開頭してみると、腫瘍は想像以上に奥深い場所にあった。
「けっこう深いな……」
野中のつぶやきに、優人は黙ってうなずく。
額には汗がびっしりと浮かび、看護師がそれを丁寧に拭き取っていく。
始めは集中していた優人だったが、途中、麻酔で眠っているはずの患者がかすかに頭を動かし、眉をしかめた。
その表情を見た瞬間、優人の手が止まる。
美奈子の手術のときにも、同じことがあった。
眠っているはずの美奈子が、ほんのわずかに頭を動かし、苦しそうに顔をゆがめたのだ。
あの日、美奈子は買い物の途中で突然倒れ、近くの救急病院へ運ばれた。
しかしその病院には手術できる医師がおらず、所持品から優人の勤務先を知った救急隊が大学病院へ連絡し、転送されてきた。
もしもっと早く、直接優人の病院へ来ていれば助かったかもしれないーー。
そう思うと悔しさで胸が締めつけられたが、今となってはどうすることもできない。
当時の光景が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、汗がさらににじみ出る。
そのとき、野中の鋭い声が響いた。
「優人! おい、しっかりしろ! 大丈夫か?」
気づくと、優人の手は小刻みに震えていた。
久しぶりの難手術への恐怖、妻を失った記憶、そして今まさに自分の手が患者の大切な命を握っているという重圧ーーそれらが一気に押し寄せてきたのだ。
「だ、大丈夫です」
震える声で答える優人を見て、野中がすっと側へ移動した。
「変わるぞ」
驚いた優人が野中を見ると、真剣な眼差しが返ってきた。
「で、でも……」
「迷いがあるなら退け。俺たちは、この患者の命を預かってるんだ」
その言葉に、優人はハッとした。
「す、すみません……お願いします」
「うん。サポートよろしく」
優人は器具を看護師に渡し、慌てて野中と場所を入れ替わった。
その後は野中が手術を引き継ぎ、脳腫瘍摘出を続ける。
難しい手術は、五時間後にようやく終わった。
野中の見事な手さばきで、患者の命は救われた。
腫瘍は神経に近い位置にあったため多少の麻痺が残る可能性はあるが、リハビリで回復が見込めるだろう。
何より、まだ七十歳になったばかりの男性は、湊総合病院で一命をとりとめたのだ。
術後、優人は院長室を訪れた。
「今日は、本当に申し訳ありませんでした」
「気にするな。お前にはまだ早かったんだ」
「でも……」
「いいから気にするな。手術は成功したんだ。それに、お前がいてくれたおかげで、これまで東京に頼んでいた手術をここでできたんだ。それだけでも奇跡だよ。この評判が広がれば、これからもっと依頼が増えるだろう。地元で手術を受けたいって人は多いからな」
野中は穏やかな笑みを浮かべた。
だが、その優しさが、かえって優人の胸に深く突き刺さる。
その気持ちを察したのか、野中は静かに言った。
「ゆっくりでいいんだよ、優人。あれだけのことがあったんだ。ゆっくりでいいんだ」
「…………」
胸の奥から熱いものが込み上げ、優人は思わず泣きそうになった。
しかし、にじむ涙をこらえ、深く一礼して院長室をあとにした。
その日の勤務を終えた優人は、まっすぐ帰る気になれず、海岸線の道を車で走り続けた。
#幼なじみ
ふと海を見ると、夕日に照らされた海面がキラキラと輝いている。
落ち込んでいたはずの優人は、そのあまりにも美しい光景に目を奪われた。
夕日に吸い寄せられるように、海辺の駐車場へ車を停める。
ひっそりとした駐車場には、シルバーのバンが一台停まっているだけだった。
(降りてみるか)
そう思い、優人は車を降りてから砂浜へ続く階段を下り、浜辺へ向かった。
さらさらとした砂浜を歩くと、先ほどの悔しさが再び胸に湧き上がる。
(情けないにもほどがある……俺はこのままダメになってしまうのか……?)
唇をきゅっと噛みしめながら歩いていると、波打ち際の方から賑やかな声が聞こえてきた。
その聞き覚えのある声にハッとして顔を上げると、波打ち際には、笑顔ではしゃいでいる七星の姿があった。
コメント
12件
優人先生 まずは難しい手術を引き受けた事で一つ目の山を越えたと思います 途中で辛かった事を思い出してしまい手が止まってしまったけれど院長の的確な判断で患者を救えた事を良かったと思いまた次に進んで欲しいです 今回一人で出来なくて落ち込んでいるけれど七星ちゃんと偶然出会いただ寄り添うだけで今回の心の傷が癒やされていくのかな?明日どんな会話になるのかな? 七星ちゃん先生に元気を分けてあげて下さいね
美奈子さんのことで、自信を無くしてしまったんですね…焦らずゆっくり自信を取り戻して欲しい🥹 わぁ、ここで七星ちゃんに会えた✨️ 七星ちゃんと過ごす時間が、いい方向に繋がるといいな😊
ゆっくり、ゆっくり 少しずつ進んでいきましょう🥹