「シエンナ、離れてくれ。僕はエスメに話があって来たんだ」
アンドレアの冷ややかな言葉に、シエンナは震えながら体を離す。
「私に話ですか? 今はお茶会の最中ですわ。日を改めてお願いできます?」
私の言葉を聞くなり、アンドレアが強く肩を掴んで来た。彼の瞳が青い炎を灯したように怒りで燃えている。
「僕より令嬢たちとの約束を優先するのか?」
アンドレアの威圧感に、震え上がった令嬢たちが席を立ち出した。
「エスメ様、私たちはこれで」
ルシア嬢の怯えたような声を聞き、私は微笑んだ。
令嬢たちが、私が次は何を言うのかと注目する。
「エスメ! 僕は君との婚約を破棄するつもりはない」
まだ、水面下で進めている話をアンドレアがバラしてしまった。
「オクレール侯爵家は引き続きアンドレア皇子殿下を支援しますわ」
「君の妹となど婚約しない」
冷静に対処すべき時なのに、アンドレアの言葉に頭が沸騰してしまった。
「アンドレア皇子殿下、私から見てもクラリッサは察しもよく聡明な令嬢。そのように侮られる覚えはございませんわ」
アンドレアは私の反論に一瞬怯んだ顔をするも、私の肩を離さない。
「君の妹を蔑んだ訳ではない。君は僕との婚約がなくなっても良いのか? 皇子妃になれなくなるんだぞ」
「あら? ライナス皇帝陛下から全てをお聞きになっていないのかしら?」
私が首を傾げながら尋ねると、彼は髪をかきむしる。
「ジェイクを皇籍復帰させて、君と婚約すると言う話か。そんなふざけた話は許さない」
アンドレアの瞳が潤んでいる。人前でそんな顔を晒して欲しくなく、私はクラリッサに目配せした。
「出口までお見送りしますわ」
クラリッサに連れられ、令嬢たちが戸惑いながらも彼女に着いていく。
私がアンドレアと婚約破棄をし、皇位継承権を持つ事になる別の男と婚約する。
バルベ帝国の勢力図に影響を及ぼす話はあっという間に広がるだろう。
「皇帝陛下のお決めになった言葉が認められないのですか?」
「君はそれで良いのか? 身も心も僕に捧げると三年前に言ってくれたではないか」
「アンドレア皇子殿下も私に心を捧げると言う言葉を反故にしたではありませんか」
私はまだその場に残るシエンナに視線を送る。
「アンドレア皇子殿下、エスメ様は心変わりしたのですよ。殿下には私がいます。今日は殿下のプレゼントしてくれたドレスを着て来たんです」
その場でくるりと回って見せるシエンナを見て、急速に心が冷えるのを感じた。
十六歳の私の誕生日。
耳まで真っ赤にしながら私にドレスをプレゼントして来たアンドレア。
『男が女にドレスをプレゼントする意味を勘繰らないで欲しい。ただ、僕が君に似合うドレスをプレゼントしたいだけなんだ』
『そのドレスを着た私を脱がせたいと言ってくれても嬉しいですが、今の言葉はもっと心に響きましたわ』
過去の彼の言葉の価値が下落する。
エスメ(ノエル)の前で見せつけるようにシエンナと仲良くしていた彼だが、猫の私の前でエスメの話はしても、シエンナの惚気話をする事はなかった。
エスメ(ノエル)のアピール不足を寂しく思ってシエンナで心を慰めているのかと考えたりもした。
でも、二人は婚約者を差し置いて随分親密だったようだ。
「お二人は本当に仲が宜しいんですね。シエンナ様、その淡い色のドレスとてもお似合いですわ」
「ありがとうございます」
私に勝ち誇った表情を向けてくるシエンナに呆れる。
「これは、シエンナにねだられたから」
言い訳のような言葉を紡ぐアンドレアに嫌気がさす。
(報われないわね。ノエル⋯⋯)
私が足元を見るとノエルが私を睨んでいる。
この猫は自分のようにアンドレアに尽くして死ぬようにと私に望んでいるのだろうか。
「クラリッサは物をねだったりしませんが、心は渡してあげてくださいね」
「僕は君には心も渡していた。君は本当に僕が好きだったのか? 君はいつも僕を好きなフリをしているだけのように見えたし、最近は僕に無関心に見えた」
アンドレアが猫の私にしか打ち明けなかった悩みを語り出す。
エスメ(ノエル)は確かに彼が好きだったが、伝え方を知らなかった。
「そうですね。アンドレア皇子殿下の言う通りかもしれません。でも、浮気者の貴方に真剣に恋しなくて良かったと心から思いますわ」
私の言葉に彼が傷ついた顔をする。
「僕は浮気なんかしてない」
「浮気ではなく、シエンナ様に本気なのでしょう。今日のお二人の振る舞いを見てるとお似合いに見えて来ましたわ」
私の言葉の棘に気がつき悲痛な表情を浮かべるアンドレアと、頬を染めるシエンナ。
「もうお帰りください」
背を向けた私にアンドレアが弱々しく声を掛ける。
「エスメ、君が僕では満足できず、仮面舞踏会に出入りしているのは本当なのか?」
私の悪評について彼が直接尋ねてくるのは初めて。
エスメ(ノエル)は仮面をし、如何わしい場所で彼の為の情報集めをしていた。
その目的を猫の私でも理解できたのに、アンドレアは噂を鵜呑みにしている。
その事実が途方もなく悲しい。
道端の小石を誰が拾ってくれているのかも気が付かず、直接的な誘惑に揺れる彼が憎い。
「アンドレア皇子殿下、愛だの恋だのよりお立場を守る事に集中されては如何ですか?」
「エスメ、はぐらかさないでくれ。結局、君は気まぐれに唆すだけで、誰にも心を渡さないんだろ」
「ジェイク様は想像以上に魅力的な方でしたわ。今度は私も本当に恋をしてしまうかもしれません」
鮮やかな真っ赤な髪を靡かせながら、彼に振り返り微笑む。
私の艶やかな赤毛が好きだと言っていた彼は顔を歪ませた。
ライナス皇帝は結局アンドレアに皇位を継がせるだろう。
ジェイクが皇位を継ごうものなら、グレンダ皇后が黙っていない。
アンドレアは唯一の皇位継承権を持つ事をプレッシャーに感じていた。
他にもっと適任者がいるのではないかと周りが噂していると幻聴まで聞こえると猫の私に相談していた。
今こそ彼に力を示して皇位を勝ち取って欲しい。
実際、アンドレアは十分な資質を持っている。
ただ、皇族としては純粋で繊細過ぎる故に支えが必要だ。
クラリッサなら役割を果たせるが、性悪聖女は問題外。
足元のノエルに目を遣ると、私をまだ睨んでいる。
私はエスメ(ノエル)の首が落ちるのを、アンドレアがシエンナと並んで見ていたのを思い出していた。
強い視線を感じて顔を上げると、私を睨みつけるシエンナと目が合う。
エスメ(ノエル)の立場を奪おうと、汚い手を使いまくった性悪聖女。
彼女は絶対地獄に落とす。それにより神の怒りを買おうと構わない。
「もう一度考え直してくれないか? 君を失いたくないんだ」
突然、勢いよくアンドレアが抱き締めてくる。
懐かしい爽やかなシトラスの香りに包まれた。
彼の温もりに身を任せていたのは猫だった時だけだ。エスメとしての私はこの温もりを必要としていない。
私は彼が私の心を疑い悩んでた事を知っている。
彼が私を愛した過去がある事も分かっていた。
(⋯⋯でも、今はシエンナが好きなんでしょ)
側にいてあげたい。
離れたい。
幸せにしたい。
復讐したい。
愛憎入り混じる矛盾するような複雑な感情を私はアンドレアに抱いていた。






