今日は奈緒は少しラフな格好をしていた。
ラベンダー色のサマーセーターに裾がほんのり揺れるベージュのスカート。
スカートは先日デパートで買ったものだ。
奈緒は先輩秘書二人のファッションを見て、今後どんな服を着ればいいのかがわかった。
スーツのようなきちんとした格好だと肩が凝る奈緒にとって、ファッションにも融通が利く今度の会社の社風は有難かった。
お気に入りの服に身を包んだ奈緒は、軽快な足取りで職場へ向かった。
秘書室へ到着すると、まずは部屋の掃除をする。
掃除といっても床は清掃担当のスタッフが朝一番に綺麗にしてくれたので、簡単な拭き掃除だ。
デスクの上を拭いた後、キッチン周りを片付ける。
奈緒がコーヒーメーカーの準備をしていると、さおりと恵子が続けて部屋に入って来た。
「奈緒ちゃんおはよー」
「朝の準備してくれたのね、助かる~ありがとう」
その後この日の仕事が始まる。
九時になると、三人はコーヒーとスケジュール表を持ってボスの部屋へ向かった。
奈緒は少し緊張した面持ちで一番奥のドアをノックする。
トントン
しかし中からは何の反応もない。
奈緒は困って後ろを振り返ったが、さおりと恵子は既にそれぞれのボスの部屋へ入っていた。
(え? 嘘! もしかしていないの? でも昨日帰る予定だって聞いたのに……)
奈緒は念の為もう一度ドアをノックしてみる。
しかしやはり返答はない。
(やっぱりいないんだ。えっと……ボスがいない時は机の上にスケジュール表を置いてくればいいのよね?)
奈緒はさおりに教わった手順を思い出す。
そして意を決して中へ入った。
「失礼いたします」
奈緒がこの部屋に入るのは二度目だ。
昨日省吾が留守の間にさおりが中を案内してくれたので、どんな感じかはわかっていた。
CEOの役員室は他の役員室の倍の広さがある。
普通社長室と聞くと、どっしりとしたマホガニー調の家具が置かれ重厚感に溢れたイメージだ。しかしここは違った。
省吾の部屋は、壁や床や家具が白やライトベージュでまとめられているので室内がとても明るい。
部屋の二面は床から天井まではめ込み式のガラス窓なので、外からの太陽光がたっぷりと降り注いでいる。もちろん眺めも最高だ。
一番奥の窓辺にある大きなデスクには、デスクトップ型やノート型のパソコンが三台置いてあり、それ以外は何もなくスッキリと片付いている。
その代わり壁一面の作り付けの棚には、色々な物がセンス良く飾られていた。
それは例えば、金属で出来た小型ドローンの模型や現代アートのオブジェ、センスの良いミニ絵画や外車の模型。
一番目立つ中心部には野球のボールが飾られていた。そのボールは、以前省吾がプロ野球の始球式で投げた球だ。
デスクの手前には海外サイズの広々とした白いソファーセットが置かれていた。ここに座り窓の外の絶景を眺めながら商談を進めれば、あっという間にまとまるのでは? と奈緒は思った。
奈緒はシンと静まり返った部屋に入ると、真っ直ぐデスクへ向かった。
その途中ソファーの横を通り抜けようとした時、ふと人の気配を感じる。
(えっ?)
奈緒がソファーを見ると、省吾が横になって眠っていた。
省吾はスヤスヤと規則正しい寝息を立てている。
(まさか昨夜から泊まってたの?)
奈緒は驚きながら省吾の顔をまじまじと見る。すると省吾の口周りの髭が少し濃くなっている事に気付いた。
やはり省吾は一晩ここで過ごしたようだ。
(どうしよう……起こした方がいいのかな? でもぐっすり眠っているみたいだし……)
そこで奈緒は手元のスケジュール表を見る。
今日の省吾の予定は、午後から一件外出があるだけであとは社内だ。
(だったら起こさなくても大丈夫かな? なんかお疲れみたいだし……)
省吾の目元のうっすらとしたくまを見て奈緒はそう思った。このまま省吾を寝かせておく事にする。
しかし省吾の身体には何も掛かっていなかった。5月とはいえそのまま寝ると風邪をひく。
奈緒は一度デスクまで行きスケジュール表とコーヒーを置くと、椅子に掛かっていた省吾の上着を手に取った。そして寝ている省吾の身体に掛ける。
それから出口まで戻ろうと身体の向きを変えた時、突然手首を強く掴まれる。
「キャッ!」
びっくりして奈緒が振り返ると、省吾が目を覚ましていた。
「待って……まだ行かないで……」
省吾は呟くように言うと、握った奈緒の手をグイッと引き寄せる。
「あっ!」
奈緒の身体がぐらりと揺れ、省吾が横になっているソファーへドスンと着地した。
奈緒が驚いていると、省吾は大欠伸をしていた。
「寝ちゃってたよ……ごめん。麻生さん、今日からよろしくね」
「よっ、よろしくお願いいたします」
奈緒は至近距離にいる省吾に戸惑いながら慌てて挨拶をした。そして掴まれたままの手首に視線を落とす。
その視線に気づいた省吾は、漸く奈緒の手を離した。
「昨日最終便で戻って来てさ……家に帰るのが面倒で泊まっちゃったんだ」
「そうでしたか、お疲れ様です」
「うん……で? 指輪は見つかった?」
省吾はニッコリ笑って奈緒に聞く。
予想外の質問が飛んできたので奈緒は驚いていた。
「あ、いえ……あれからはもう探していないので……」
「どうして? 大事な指輪だったんだろう?」
「いえ、あれはもういいんです……」
この話題にはもう触れて欲しくないといった様子の奈緒を見て、省吾はこんな風に思う。
(まだ男とヨリが戻ってないのか?)
奈緒の沈んだ表情を見て、省吾はそれ以上詮索はしなかった。
そこで奈緒はソファーから立ち上がるとデスクからスケジュール表を持ってくる。
そして省吾に今日の予定を読み上げる。
「本日の予定は、午後一時よりTRUソリューションイノベーター様との打ち合わせ、そして午後四時から経営企画会議となっております」
「ん、ありがとう。今日は少しゆっくり出来そうだな。あ、そうだ、麻生さんの携帯の番号とメッセージアプリの連絡先を教えてくれないか?」
「え?」
奈緒は驚く。
「申し訳ないけれど、外出先からメッセージで急ぎの用件を入れる事があると思う。うちは他の役員もみんなそうやってるんだ。あ、でも、その際の通信費はちゃんと給料に加算しておくので、お願い出来るかなぁ?」
省吾はソファーから立ち上がるとデスクの上にあるスマホを取りに行った。
(仕事ならしょうがないか……)
奈緒は省吾に連絡先を教えると部屋を後にした。
出口へ向かう奈緒の後ろ姿を見つめながら、省吾は満足気な微笑みを浮かべていた。
コメント
25件
ドキドキのご対面♡省吾さん、実はアプリなんて、言い訳だったりして♡
省吾さん寝惚けて奈緒ちゃんの手首掴んだ?🤭 もう自分のテリトリーに入ってる奈緒ちゃんが気になってる模様。連絡先も聞いちゃってるし。指輪の事も気になるよね。 これからの2人がとっても楽しみ😘
始球式したのか。そら羨ましい。何の試合やろ。 ちゃんとホームベースに届いたんやろなぁ。 「男とヨリを戻す」のはありえませんぜ。 戻らない 徹も指輪も これっきり。