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数年後。
その事件を調べ始めたとき、私はまず、奇妙な違和感を覚えた。
資料は揃っている。
判決文も、捜査報告書も、当時の新聞記事も、過不足なく保存されていた。
連続失踪事件。
被疑者・黒瀬――有罪。
担当刑事・久我――功績により昇進。
どこにも、破綻はない。
それが、最初の異常だった。
通常、歪みは痕跡を残す。
証言の齟齬、供述の食い違い、過剰な修正痕。
だがこの事件には、それがない。
整いすぎている。
私は、失踪者三名の資料から手を付けた。
年齢も職業も、表向きの接点もばらばら。
だが一つだけ、共通項があった。
数年前。
ある不正事件の内部資料に、彼らの名前が揃って載っている。
告発はされなかった。
裁かれたのは、末端の実行者だけだ。
上層の責任者は、誰一人として法廷に立っていない。
失踪者たちは、
「知らなかった」
「覚えていない」
「関わっていない」
そう口を揃えて証言した人物だった。
次に、黒瀬の足取りを追った。
彼は、失踪者全員と接触している。
日時、場所、方法。
すべてが記録に残っている。
だが――
決定的な行為だけが、存在しない。
監禁の証拠は曖昧。
暴行の痕跡はない。
殺害を示す物証も、遺体もない。
それでも、有罪。
理由は単純だ。
黒瀬が、何も否定しなかったからだ。
取調べでも、公判でも、彼は語らない。
弁護側の戦略を、彼自身が潰している。
私は、久我の報告書に目を移した。
言葉は慎重で、冷静で、感情を排している。
だが、ところどころに、奇妙な余白がある。
断定できる箇所で、断定していない。
推認できる点で、一歩引いている。
彼は、踏み込めたはずだ。
だが、踏み込まなかった。
では、なぜ?
私は、封印扱いになっていた別件ファイルを開いた。
十年以上前の、地方署の事件。
冤罪が疑われ、裁判記録だけを残して、実質的に闇に葬られた案件。
担当刑事の名前に、久我があった。
その瞬間、線がつながった。
黒瀬は、知っていた。
久我の過去も、警察組織の癖も、
「正義が通らない場所」の構造も。
黒瀬は、真犯人の名前を言えば、
事件がひっくり返ることを理解していた。
同時に、
久我が再び、
「正しさのために歪める側」に立たされることも。
だから彼は、語らなかった。
自分が罪を被ることで、
久我に「選ばせない」道を作った。
それは、復讐ではない。
正義でもない。
選別だ。
最後に、真犯人――
不正事件の中心人物について調べた。
今も、社会的には成功者だ。
当時の関係者は沈黙し、
失踪事件との関連は、公式には存在しない。
だが、一人の失踪者の行方だけが、
彼の周辺で途切れている。
偶然と呼ぶには、あまりにも都合がいい。
すべてを読み終えたとき、
私はようやく理解した。
この事件は、
真実が隠された事件ではない。
真実が、意図的に“使われなかった”事件だ。
黒瀬は檻に入った。
久我は外に出た。
だが、
どちらが自由かを、
断言できる人間はいない。
資料を閉じた私は、しばらく動けなかった。
調べれば調べるほど、
正しい結論が遠ざかる。
それが、この事件の本質だ。
――正しさを、
選ばなかった者たちの記録。
そして、
選ばせないために、
すべてを背負った一人の男の、
静かな犯罪。
この事件は、
今も終わっていない。
ただ、
誰も口にしないだけだ。