テラーノベル
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タクシーで十分程走ると目的の店へ着いた。ステーキ店はビルの三階にあるようだ。
二人はタクシーを降りると、すぐにエレベーターで三階まで上がる。
三階の廊下の突き当たりにその店はあった。
陸がドアを開けて待っていてくれたので華子は先に店に入った。
普通のステーキ店だと思っていた華子は、入ってみてその予想が見事に外れた事に気づく。
この店は鉄板焼き専門の高級店だった。
いわゆる、目の前でショーのようにステーキを焼いてくれる店だ。
銀座のクラブにいた時、同伴でこういう店に連れて行ってくれた客がいた。
だから華子もこういった店には何度か来ている。
でもまさかジムの後にふらりとこんな高級店に来るとは思ってもいなかった。
(ジムの帰りにフラッとこんな高級店に女を連れて来るなんて、コイツ一体何者?)
華子はそう思いながら、陸の隣のカウンター席へ腰を下ろした。
そこへ店主らしき30代後半くらいの男性がやって来て笑顔で陸に声をかける。
「陸さんいらっしゃい! 久しぶりですね」
「ちょっと間が空いちゃったな。相変わらず繁盛しているね」
「お陰様でありがとうございますっ!」
店主はそう言うと、二人におしぼりを渡す。
どうやら二人は以前からの知り合いのようだ。
店主が華子を見て言った。
「陸さんの彼女っすか?」
「ハハッ、どうだろうね?」
そこで華子が鼻息を荒くして言った。
「違いますっ!」
すると店主が声を出して笑った。
「いやー、陸さんが女性を連れて来るのは初めてだったのでつい余計な事を。大変失礼致しました」
店主はそう言って頭を下げると自己紹介を始める。
「私は以前陸さんの直属の部下だった杉田と申します」
「え? 部下?」
「はい。私も元自衛官なんです」
それを聞き華子はなるほどと納得した。
なぜなら店主は陸よりは若干太ってはいるが、陸と同じでかなり鍛え上げた身体をしていたからだ。
「っていう事は、『りくじ』ですか?」
「はい、そうです。私も陸自の空挺レンジャーでした」
「くうていれんじゃあ?」
「はいっ、第二空挺団所属でした」
「だいにくうていだん?」
そこで陸が口を挟んだ。
「陸上自衛隊の中には様々な任務のグループがあって、その中の一つだ」
「ふぅん…」
華子はなんだかよく分からなかったので適当に返事をする。
「いやいや陸さん、そこはちゃんと説明しないと! 第二空挺団というのはですねぇ、陸上自衛隊最強の精鋭部隊と言われてい
るんですよ。あっ、僕も入っていたからちょっと自慢みたいになっちゃいますけどね! とにかく精神的にも肉体的にも最強の
奴らの集団なんですわ!」
「へぇー、そう言えばテレビでそういうのを見た事があるわ。それって飛行機からパラシュートで降りて来ます?」
「そうそうそれです! 山ごもりの厳しい訓練がある部隊ですよ。よくテレビ取材で取り上げられますね」
「あ、それもなんか見た事あるわ。何日間か厳しい訓練があるのよね?」
「そうです。三日三晩山籠もりに耐えるやつです!」
華子は驚いていた。先月ちょうどその番組を見たばかりだ。
愛人の野崎は自衛隊の特番は毎回欠かさず見ていると言い、華子のマンションに来た時に二時間その番組を見ていた。
華子は興味はなかったが、チラッと見ていると結構面白そうだったので最後の方は一緒に見ていた。
最低限の水と食料だけを持ち重い荷物を背負って三日三晩山で過ごすのだ。
途中、体調を崩す人も続出するほどの過酷な訓練に耐えなければならない。
食料がなくなれば自分で調達しなくてはならないので、隊員は森で捕まえた何かの幼虫を食べていた。
それを見てゾッとしたのを華子は覚えている。
「私がテレビで見た時は虫を食べていたわ!」
「そうです。虫以外にも蛇とか虫とかカエルは、貴重なたんぱく源ですからねー」
「キャアッ、やっぱり! えっと…このお店でカエルは出ないわよね?」
華子はおそるおそる聞いてみた。
その瞬間男性陣二人が声を出して笑った。
「大丈夫ですよ、カエルはまあまあ美味しいですがうちの店では出しません。うちで扱っている肉は、正真正銘最上級の常陸牛
なのでご安心を!」
「あー良かったぁ、心配しちゃった!」
華子が心から安堵しているのを見て、また男性陣二人が笑う。
陸は相当可笑しかったのか、目に涙を浮かべて笑っていた。
それから杉田は、二人に『お任せコース』のメニューを作り始める。
まずは先付と真鯛のカルパッチョを二人の前に置いた。
陸と華子はビールを注文し、飲みながらそれを食べ始める。
真鯛はとても鮮度が良く、ソースもさっぱりとした上品な味でとても美味しかった。
次に杉田は、手際よく伊勢海老に火を通し始めた。
料理人と客がカウンター越しに会話を楽しみながら食べるのも鉄板焼きの醍醐味だ。
華子は目の前で繰り広げられている、まるでショーのような杉田の鮮やかな手付きに見とれていた。
杉田は調理しながら言った。
「陸さんはね、レンジャーの中でもトップクラスの精鋭だったんですよ。中でも特に射撃の腕前は一番でしたね」
「過去の話だろう。怪我以降はさっぱりだ…」
「まあ、あれは本当に不運でしたね」
「不運って?」
「陸さんの怪我は本当に不運だったんですよ。大規模火山噴火の際、我々は取り残された人がいないかをヘリで確認しに行って
いたんです。そうしたら人が立ち入れない場所に人がいて…後で分かった事なのですが、登山届を出していなかった数名が立ち
入り禁止区域に入っていて急遽その人達を救助する事になったのですが、その中の一人が救助を拒否して手間取ってしまい…あ
の時もっと早くヘリに乗ってくれていたらあんな事にはならなかったのに…」
杉田は悔しそうに言う。
「そうなの?」
華子は陸の方を向いて聞いた。
しかし陸は笑みを浮かべただけで静かにビールを飲んでいる。
すると杉田が続けた。
「そうなんですよ。その方がすぐに我々の指示に従ってヘリに乗ってくれていたら、陸さんも火山岩にやられる事はなかったで
すから。あの時はものすごい量の火山岩や石がガンガン飛んできていましたから、一刻も早くあの場を離れるべきだったんで
す」
「え? という事はその人達がいなかったら陸は怪我をしていなかったって事?」
「そういう事です」
華子は驚いて陸を見た。
しかし陸は相変わらず穏やかな表情でビールを飲んでいる。
「ばっかじゃないの! そんなルールも守れない人達なんか見捨ててさっさと避難すれば良かったのに!」
華子が捲し立てるように言うと、漸く陸が口を開く。
「そういう訳にはいかないさ。俺達の任務は国民の命を守る事なんだから」
と言って穏やかに笑った。
コメント
1件
一般人は華子の考えになると思うけど、陸さんのように使命として活動している人たちは逃げるわけには行かないし助けるべくベストを尽くした結果が今だしね。過去を悔やんでも悔やみきれないよね🥺 それより「彼女?」って聞かれて即否定したけど、どのタイミングでその気持ちに変化が起きるのかとても興味津々🤭👍💕