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次の週。
七星は昼休み、久しぶりに病院の目の前に広がる砂浜に寝転がっていた。
春は新人看護助手の指導もあって、何かと慌ただしい。
ここ最近、のんびりできる時間などほとんどなかった。
暇な時期には、こうして浜辺に寝転がりながら煙草を吸うのが七星の日課だった。
空を見上げると、真っ青な空に白くふんわりした雲がぽっかりと浮かび、ゆっくり流れていく。
かすかに漂う潮の香りと、寄せては返す波の音が心地よく、七星は次第にまぶたが重くなっていった。
そんなとき、遠くから話し声が聞こえてきた。
「先生、お散歩ですか?」
その声を聞いた瞬間、七星はぴんときた。
看護師・平子由希の声だ。どうやら道路の向こう、病院の敷地内から呼びかけているらしい。
なぜすぐに分かったのか。
それは七星が由希を大の苦手としているからだ。
苦手な相手の声というものは、一度覚えると忘れない。
誰を呼び止めたのだろうと思いながらも、七星はぽかぽかとした日差しに包まれ、また目を閉じかける。
道路から一段低い草むらの陰に寝転がっている七星には、二人とも気づいていないようだった。
そのとき、由希に呼び止められた人物が答えた。
「はい。海が近いのに一度も浜に降りていないので、ちょっと見てきます」
続いて、由希の媚びたような甲高い声が、波音に負けないほどの大きさで響く。
「残念だわ~。私も遅番だったらご一緒したのに! どうぞごゆっくり」
「ありがとうございます」
男性はそう答えると、道路から砂浜へ降りる階段を下りてきた。
(どこかで聞いた声だな……)
煙草をくわえたまま、七星はぼんやりと空を見上げ、先ほどまで追っていた雲を探す。
そして見つけた瞬間、ふふっと笑った。
その雲が、子供の頃に祖母の家で飼っていた柴犬“ポチ”にそっくりだったからだ。
階段を下りてきた人物は、七星のかすかな笑い声に気づき、足を止めた。
そして草むらの陰から七星を覗き込む。
「ああ、キミか……」
その声で、七星はようやく相手が優人だと気づいた。
優人は七星のそばまで来て言った。
「この前は“つくしの卵とじ”をありがとう。とっても美味しかったよ」
改まって礼を言われた七星は、けだるげに上半身を起こし、答えた。
「食べたことないって言ってたから……。でも、お口に合ったのならよかったです」
優人は微笑むと、七星の隣に腰を下ろした。
「先生、汚れちゃうよ」
「今日は手術はないからいいよ」
そう言って、優人は両手を上げて「うーん」と伸びをした。
「この前の広田さんの手術、うまくいったんだってね」
「うん。もうじき退院できそうだから、よかったよ」
「先生が“名医”っていうのは、本当だったんだね」
「ははっ。名医なんて大げさだけど、昔は結構難しい手術をしてたのは本当かな」
「有名な政治家とか?」
「知ってるんだ」
「うん。噂になってるよ」
「そっか。こっちに来たら変な噂に振り回されなくて済むかと思ったけど、違ったな」
優人は困ったように苦笑した。
その表情を見て、七星はきっぱりと言う。
「噂なんて気にしなければいいじゃん。そのうち消えるし」
「そう?」
「うん。私がここで働き始めたとき、ずいぶん噂されたけど、今はもう何も言われないよ」
「噂? どんな噂、流されたの?」
「派手な金髪のキャバ嬢が、頭を黒くしてきた……ってさ」
「そっか……。キャバ嬢やってたんだ」
「あれ? 先生は驚かないんだ……」
「驚かないっていったら嘘になるけど、今、目の前にいるキミは普通の看護助手にしか見えないしね」
「ほら、だったら先生もそうだよ」
「そうって?」
「いろいろ噂されても、最後は腕の立つ医師にちゃんと戻るから」
七星が自分を慰めてくれたのだと気づき、優人は微笑んで礼を言った。
#幼なじみ
「ありがとう。君に励まされたら、心強いよ」
「別に励ましたわけじゃないし……」
七星は煙草を最後にもう一度吸うと、砂浜の石でもみ消した。
「煙草、血管に悪いぞ」
その言葉に、七星は「あはは」と笑う。
「さすが、脳神経外科医!」
「いや、マジで。百害あって一利なしだから」
「そうなんだ」
「そうだよ。最近は若い子でも脳血管の病気になる子、多いからね。気をつけて」
「はいはい。分かりました。じゃあ、休憩終わりだから行くね」
「うん。午後も頑張って」
階段へ向かう七星の後ろ姿を見送りながら、優人は穏やかな笑みを浮かべた。
思いがけず七星に会い、“つくし”のお礼を伝えられた。
彼女とはまだ知り合って間もないのに、なぜかざっくばらんに話すことができた。
初対面に近い女性と、こんなふうに自然に会話できたことに、優人は自分でも驚いていた。
(意外だな……どうでもいい会話が、こんなに心地よく感じるなんて……)
そして優人は、美奈子と初めて見合いで会った日のことを思い返す。
あの日、美奈子に一目惚れした優人は、緊張のあまりまともに言葉が出てこなかった。
そんな彼を見て、美奈子がおかしそうにはにかんでいたのが懐かしい。
(美奈子のときとは全然違う。まるで昔からの知り合いみたいに、自然に話せたな……)
そう思いながら、優人は太陽に反射してきらめく海面と、どこまでも続く青空を見つめた。
そして、海から吹くやわらかな風が頬を撫でると、胸の奥がすがすがしい空気に満たされていくのを、静かに感じていた。
コメント
14件
誰かの媚びた声の時の返事は堅苦しい言葉だけど七星ちゃんとは普通に話せている 七星ちゃんの噂なんて気にしなければって言葉良いな(*゚∀゚*)先生の心きっと軽くなっていく感じするな
優人先生と七星ちゃんは互いの波長が合うんだね✨これは好きになる予兆💖😍💘 声が嫌いなのは無理無理! 無理のない自然体で話せる二人👫 🚬ともそのうちご縁が切れそうだね、七星ちゃん✨
いいね、いいね💓 心地よい会話は気持ちが落ち着いてきますね😊 このまま少しずつ近づいていって〜✨✨✨