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#怪異
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#和風ファンタジー
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245
#怪異
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汗だくになりながら山道を歩き続けること、数十分――。
白乳色の濃厚な霧の中から現れたのは、思わず足がすくむほど大きな、古びた石造りの鳥居だった。
その向こうに見えたのは、岩肌を穿たれた黒々とした洞穴の入り口。まるで巨大な動物がポッカリと大口を開いたようなそれの奧から漂う、冷たく湿った気配にうちは身に覚えがあった。
「……キミカちゃん。ここ、憶えてる?」
男の子が額の汗をぬぐい、そう、問いかけてくる。
うちはうなずき返す。忘れるわけがない。
あの時うちは十歳、小学四年生だったから三年ぐらい前か。この『御穴』の底はうちが初めて童ノ宮の神様に出会った場所なんやから。
あそこでうちは塚森家の一員になった。戸籍の上ではとっくにお父さんの娘だったけれど。本当の意味で.それを守るためなら――、うちは多分なんでもすると思う。
『御穴』の前に立ち尽くしたまま、うちと男の子はしばらくの間、黙り込んでいた。
「それで……」
先に沈黙を破ったのはうちだった。
「ここでデイジーチェーンは何をするつもりなん?」
「えっ? デイジーチェーンって?」
「いや、さっきあんたが口にしてたやん。いつまでも名無しじゃ何かあれやし……。嫌やったら他の呼び方でもええけど」
「別に嫌じゃない。いいよ、それで。たった今からわたしはデイジーチェーンだ」
アハハハッと男の子、いや、デイジーチェーンは笑う。それが苦笑いとかじゃなくて――うちもほんの少し嬉しくなる。
「で、その質問への答えだけど……。それはわたしにもよくわからない」
「わ、わからへんの? わからへんのにこんな朝っぱらから登山?」
「だって、しょうがないじゃないか。わたしはまだ生まれたばかりの赤ん坊なんだから」
思わずツッコミを入れてしまったうちにデイジーチェーンは頬を膨らませる。
「あの御方も肝心なことは何も教えてくれないからね。こっちが呼びかけても大体は無反応だし」
「そ、そうなんや」
「何かを命令する時はいつも一方的だしさ。神様って言うのは、どうしてあんなに偉そうなんだろうね」
そら、神様やからやろうね。思わず余計なことを言いそうになり、うちは咳き込んだふりをして誤魔化す。
「だけど――」
そう言ってデイジーチェーンは洞穴を、『御穴』を改めて振り返る。その幼いまなざしは真剣そのものだった。
「あそこまで降りて行けば自然と思い出す気がするんだ。ここは何もかもが始まった神域だから」
『御穴』はその名の通り、半径五百メートル、深さ八百メートルほどの巨大な天然の縦穴。その壁面に取り付けられた螺旋状の石造りの階段をスマホのライトを頼りにくだってゆく。
漆黒の奈落に向かって一段一段、這いつくばるように。
「へっぴり腰だね、キミカちゃん」
すぐ隣でデイジーチェーンが鈴を鳴らすような声で笑っている。
「ここ、初めてじゃないんでしょ? どうして、そんなに怖がるの?」
うっさいわ、とうちは思った。
初めてじゃなかろうと、百回目であろうと怖いものは怖い。
淵には一応、安全のためワイヤーロープが張り巡らされているが万が一、転落したらひとたまりもない。文字通り、陽の光が届かない闇の底に真っ逆さまなんて嫌すぎる。
たっぷり三十分以上かけてうちらは石段をくだり切っていた。
「あっ、あそこは――!」
ハッと息を飲み、デイジーチェーンが駆け出す。
「ちょ、待って! ここ、足元悪いんやから!」
……小さい子供の相手って、こんなしんどいんやな。
気まぐれで、好き勝手動き回るからついていくだけでもやれやっと。ミサキさんもマー君の面倒をみるの、大変やったんやろか。
内心、ため息をつきながら懐中電灯代わりのスマホの灯りを前方に向けながら、うちは歩きだした。
幸い、と言うべきだろう。さほど時間をかけず、こっちに小さな背中を向けてたたずんでいるデイジーチェーンに追いつくことができた。
その前には見覚えのある巨大な石の塊。それは周辺を八角形の形に切り出された石舞台だった。一見すると六年前と何も変わらないように見えるが、張り巡らされた注連縄などは新調されているようだった。
「……ここ、他の場所よりあの方の霊気が濃厚だね」
石舞台を指さし、静かにデイジーチェーンが告げる。
「そ、そうやろね」
ぎこちなくうちも頷いていた。
「うちが初めて童ノ宮の神様を見たんはこの上やったし。あの時、うちは神様に縁結びしてもろて外法を――」
授けてもろたんよ、とうちが告げるよりも早く、デイジーチェーンが前へと動いていた。それからフワリと驚くほど軽やかな身のこなしで石舞台の上に飛び乗っていた。
「ちょ、あかんて! そんなことしたら!」
怪異に襲われた時とは別種類の恐怖にうちは声を震わせていた。
「そこは神様の大切な……滑って転んだら大怪我するやろ! 早よ降りといで!」
4
必死になって呼びかけるが、デイジーチェーンの耳に届く様子はなかった。少し腰をかがめ、氷上を統べるような足取りで舞台の中央へと進んでゆく。鳥が翼を広げるように両手、両腕を左右にピンと伸ばし、静かに両目を閉じる。それから片足だけで爪先立って――。
くるり。
独楽のように全身を一回転させる。
最初は右回りに。次は反対、左回りに。
三度目はその反対から時計回りに。
くるり、くるり、くるり――。
誰の目からもそれは小さな子供が戯れ、遊んでいるようにしか見えなかっただろうし、実際そうだったのかも知れない。
だけど、うちのスマホが灯す光以外一切が闇に塗りたくられた空間の中、確かな軌跡を描き、思わず息を飲むほど美しい円を生み出し続けていた。
ああ、これは御神楽や。
そう、うちは思った。急ごしらえでお囃子の一つもなければ、誰一人見る者さえいなかったけれど。
やがて、デイジーチェーンの回転がゆっくりと止まり――ドサッと音を立てて、小さな身体が横倒れに倒れる。
思わずうちは瞳を瞬かせていた。まるで、夢か幻を長時間見続けたような心持ちだった。
それから悲鳴にならない悲鳴をあげて、石舞台の上に駆けあがる。
もはや、神様に無礼とか言ってる場合じゃない。それに、そもそもデイジーチェーンは神様の分身やって言ってたやんか。
「しっかりし! あんた、大丈夫なん?」
「キミカちゃん……」
うちに背中を抱き起され、うっすらとデイジーチェーンが瞳を開く。
つぶらで可愛い目だな、とうちは思った。当たり前だけどマー君と同じぐらい。
「マキオが母上様にちごてんぐ伝説の本を読んで聞かせてもらったことがあったんだけど――、その時、わたしも一緒に聞いていたんだよね」
デイジーチェーンの声は疲れ切っていたけれど、虚ろじゃなかった。うちは小さな身体を支える手にしっかり力を込めたまま、次の言葉を待つ。
「わたしにはどうしても一つ、理解できないことがあったの」
「……理解できないって何が?」
「どうして、あの御方は神様になんかなったのかな?」
その問いかけにうちは言葉を詰まらせていた。
何の嫌味も感じさせないデイジーチェーンのそのつぶやきは、心の底から浮き出た疑問をただ口にしたと言う感じだった。
「生まれた時から親には疎まれ命すら狙われて、こんな片田舎で祈祷師の真似事なんかする羽目になってさ。それでも周囲の大人たちの都合でいいようにこき使われ、死んじゃったんだもん。そりゃ怨霊にだってなっちゃうよね」
「……」
うちは血の気が引くのを覚えていた。
怪異の類に襲われた時とは、また別の意味で。
――まろとて、好きで神になど成ったわけではない。
――まろはマキオが羨ましい。
――まろは神や天狗になるよりも――、母上様の子供になりたかった。
脳裏に蘇って来たのは、昨日、ふれあいミュージアムで直前までマー君だった男の子が涙ながらに語った言葉。
やっぱりあの時のあの子は、稚児天狗……童ノ宮の神様だったんだろう。デイジーチェーンの言葉を借りれば、その残滓と言うことになるのだろうが。
「だから、人間を守ろうとするあの御方の気持ちがどうしてもわからなくて……。そしたら、ここに行けば思い出すし、力も増す。そう言われたんだ」
余りのことに、しばらく二の句が続けられなかった。
だけど、黙っているわけにはいかなかった。
うちは塚森家の立ち会い人。
引き受けた以上、その役割は果たさなあかん。
だけど。だけど、それでも。
「そんなん、何もあんたが思い出すことなかったやん」
どうしようもなく声が震えた。抑えようとはしたけれど、涙が頬が伝い落ちるのを留めようがなかった。
「だって、あんたかてまだ生まれたばかりの赤ちゃんなんやろ。それをこんな――」
「いいんだ」
ニッコリとデイジーチェーンが微笑む。
「マキオに同じ思いをさせるよりはいい。全て肩代わりできないのは辛いけど、やっぱりあの子にはできるだけのことをしてあげたいからね」
しばらくの間――、冷たい『御穴』の闇の中で響くのは、うちのすすり泣く声だけだった。そんなうちの耳元で優しい声が告げた。
「そろそろ童ノ宮に戻ろう、キミカちゃん。……わたしには最後の大仕事が残ってるから」
コメント
1件
ああ、この回は特に胸に来ました……。石舞台の上でデイジーチェーンがくるりくるりと舞う場面、すごく美しくて、同時に切なかったです。そして「どうしてあの御方は神様になんかなったのかな」という問いかけに、キミカちゃんが言葉を詰まらせるのもよくわかります。「いいんだ」と微笑むデイジーチェーンにいろんな思いが込み上げてしまいました。背負い方の優しさと覚悟がにじんでいて、もう一層この物語に引き込まれました。