その日一日、華子は美咲に徹底的にしごかれた。
美咲に言われた通りにやっているのにいちいちダメ出しをする。
まるで重箱の隅をつつくようなその態度に、
(私は嫁でお前は姑か…)
と突っ込みたくなる。
とにかく美咲は、華子のやる事なす事全てが気に入らないようだ。
美咲が華子に注意する内容が、誰に対しても同じ内容なら文句を言うつもりはない。
しかし、店長の中澤が華子と同じ事をしているのに、美咲は店長に対しては何も言わない。
そこが納得がいかない。
それに注意する際も店長がいない時ばかりを狙ってくる。
(私に一体なんの恨みがあるっていうのよ…)
華子は忌々し気に呟く。
今までの華子だったらここで即アルバイトを辞めていた。
しかし今は辞める訳にはいかない。
自分は一度死んで生まれ変わったのだ。
どんなに辛くても、なんとか踏ん張らなくてはいけない。
自分で自分を裏切るような行為は絶対にしたくはなかった。
なんとかこらえてやり過ごそう。
美咲とは毎日顔を合わせる訳ではないのだから…
そう自分に言い聞かせて頑張った。
そして漸く閉店時刻を迎える。
美咲はパートの野村と同じ時間帯での勤務だったので、華子よりも三十分早く上がり先程帰った。
美咲がいなくなると華子はホッと息をつく。
一気にストレスがなくなった。
それから店長の中澤と閉店作業を続け、華子の勤務も終わった。
ロッカーへ行くと思わず大きなため息が出る。
精神的にへとへとで心が折れそうだ。
少し前の華子なら、喧嘩を売ってくる相手に対しはギャフンとやり返すだけの気力があった。
しかし今はそんなパワーはない。
(ふぅっ…これから彼女と同じシフトの日は気が重いわ……)
そう思いながら華子はエプロンをはずし控室を出た。
厨房を通り抜けようとすると、バータイム料理人の本間が既に出勤していた。
既に料理を始めている。
華子は邪魔をしないように小さな声で、
「お先に失礼します」
と声をかけその場を通り過ぎようとした。
すると本間が顔を上げて華子に言った。
「おつかれさん! 急いでいないなら、ちょいと味見をしてもらってもいいかな?」
突然そんな事を言われたので華子はびっくりする。
「えっ? 私でいいんですか?」
「もちろん! たまには若い人の感想も聞きたくてねぇ…」
本間はそう言って、カクテルグラスに入ったマリネのようなものを華子の前に置いた。
カクテルグラスの中には、小さなサイコロ状に切ったアボカドやトマト、そして小エビが入っている。
三種の具材が絶妙なバランスで混ざり合い、上にはチャービルが添えられていた。
さすが、元一流ホテルのシェフをしていただけある。
見た目も美しく味も期待出来そうだ。
「凄く素敵! まるで宝石箱みたいね」
「素敵な誉め言葉だな。じゃあ宝石の味も見てもらおうか…」
本間は笑みを浮かべながらフォークを渡した。
華子は早速味見をしてみる。
しばらくモグモグしてからみるみる笑顔になる。
「凄く美味しいわ! レモンが効いていて爽やかね。あとは…ケッパーかしら? それが味を引き締めているわ。白ワインが飲みたくなっちゃう」
「お嬢さんは舌が肥えているね。そう、あとは松の実も入っているんだよ」
本間は目尻に皺を寄せて嬉しそうに言った。
「松の実かぁ…なるほどね! さすが一流ホテルにいただけあるわね。上品かつインパクトのあるお味だわ」
「お褒めに預かり光栄です」
本間は右眉を少しだけ上げると、手を胸の前に当ててうやうやしくお辞儀をした。
「こんなに美味しいおつまみが出るのなら、今度バーに飲みに来ようかしら」
「是非いらっしゃい。今度は変な男とじゃなく、一人でおいで」
本間の言葉に華子はドキッとする。
「いやだわ…もしかしてこの前の見られちゃった?」
「ハハッ、たまたまカウンターに料理を持って行った時にちょいとね」
本間はそう言ってウィンクをした。
「恥ずかしいわ…あんな黒歴史、もう消しゴムで消しちゃいたいくらいよ」
「ハハッ、大丈夫だ! 君はまだ若い。これからきっと楽しい事がいっぱい待っているさ」
本間はカクテルに飾る為に用意してあったデンファレの花を一輪手に取ると、華子に渡した。
その時華子は胸の奥がジーンと熱くなるのを感じた。
父親がまだ生きているとしたら、きっと本間くらいの年齢だろうか?
父親の記憶が全くない華子は、この年代の男性を見ると
つい想像してしまう。
自分の父はどんな人だったのだろうかと。
華子は手のひらの上のデンファレを見つめながら言った。
「ありがとう…私の下の名前はね、『ハナコ』って言うのよ。字は違うけれどね…」
「華やかな方の『ハナコ』かな? だったら、お嬢さんには笑顔が似合うな! まぁ色々あるだろうが、辛くなったらいつでもここへおいで」
本間は優しい声で言った。
本間は全て見ていた。
あの日華子が愛人の野崎とこの店へ来て怒鳴られていた事も、
青ざめて震える華子が陸に連れられてこの店へ戻ってきた事も、
そして今日美咲にいびられていた事も。
本間は全部見ていたのだ。
本間には華子と同じ歳くらいの愛娘が一人いた。
だから華子に声をかけずにはいられなかったのだ。
そんな本間の思いやり溢れる言葉を聞いて、つい目が潤んでしまう。
しかし華子は泣くのを必死にこらえると、微笑んで言った。
「ありがとう、元気が出たわ! じゃあまたね」
華子そう言って店を後にした。
コメント
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一度死んだ華子はしなやかに強くなって人生をリセットしたんだね✨🌹 理不尽なイジメをしてくる美咲の事も我慢して仕事をこなしたのはとてもスゴイし頑張ったね📣 華子の周りには陸さんや本間さんがいて応援してくれてるよ😊👍🌺
陸さんや、本間さんも....💐✨ちゃんと見てくれている人や、応援してくれる人もいるよ🍀 華子チャン、頑張ってね✊‼️