二人が乗った車は、葉月おすすめのカフェへ向かって走りだした。
そのカフェは、海沿いの道から少し入った住宅街にある。
カフェの名は『groundswell』。
地元の有名なサーファーが経営している店で、葉月は航太郎を連れて何度かランチに行ったことがある。
店に到着すると、車を駐車場に停め、二人は車を降りた。
「いい感じの店だね」
賢太郎は、シャビーなブルーグレーの外観を見て気に入ったようだ。
「テラス席にする?」
「いいね」
「じゃ、座ってて」
葉月はスタッフに、テラス席に座ることを伝えに行った。
賢太郎が一番奥の席へ腰を下ろした時、かすかな潮の香りが鼻を突いた。
そこへ、葉月がメニューを持って戻ってきた。
「この店にはよく来るの?」
「時々ね。航太郎が、ここのロコモコが好きなのよ」
「へぇ…俺も食べてみたいな」
「じゃあ今度三人で来る?」
「いいね」
賢太郎は、穏やかな笑みを浮かべながら頷いた。
そして二人はメニューを見た。
「夕食前だけど、なんか甘いものが食べたいから、パフェにしようかなー」
「パフェ、いいね。実は俺も食べたかったんだ」
「え? パフェなんて食べるの?」
「食べるよ。特にバナナ系が好物!」
「へぇー、甘党男子なんだ」
「まあね」
その時、サーファー風のバイトの男性が注文を取りに来た。
賢太郎はバナナとチョコのパフェを、葉月はマンゴーとパイナップルのパフェを頼んだ。
「航太郎には内緒ね! 絶対『ずるい』って言うから」
「了解!」
そこで、二人は同時にクスッと笑った。
賢太郎は両腕を上げ、大きく伸びをしながら言った。
「ここから海は見えないけど、なんとなく海を感じるね」
「坂の下から海風が上がって来るからじゃない?」
「葉月の家の庭と同じ感じだ」
「うん。この海風が好きなんだ」
「わかる気がするよ」
そこで葉月は、さきほどのことを思い出し、賢太郎に言った。
「さっきはありがとう。本当に助かったわ」
「うん。でも、葉月は他の女性とは違うんだな。普通だったら、大富豪のイケオジから求愛されたら、すぐに着いて行きそうなのに」
「私に、あの派手な車に乗れっていうの?」
「あ、そうか……」
そこで、二人はまた同時に笑った。
それから葉月が話し始めた。
「啓介がね、昔、ああいう感じだったの。だから、同じ轍を踏むわけにはいかないのよ」
「そういうことか」
「若い時って、ついその人の上っ面ばかりを見ちゃうのよね」
「そう?」
「うん。若い頃は世間知らずだったから、あっさり騙されちゃったわ」
「パイロットってだけで、グッとくるしね」
「そう。だから失敗したのは自分の責任なんだけどね」
「で、今回は冷静に判断したと……」
「うん」
「でも、それって、航太郎がいるからだろう?」
「そうね。母親になると、どうしても子供のことが一番になっちゃうのよ」
「だから、男はいつまでたっても女には叶わないんだな」
「え?」
「母性には、どんな男も勝てないし、どうやっても抗えない」
「フフッ、大袈裟ね」
賢太郎はグラスの水を一口飲み、穏やかに言った。
「葉月は、前の結婚で、こういう何気ないことも話したかったんじゃないの?」
突然の賢太郎の言葉に、葉月は驚きを隠せなかった。
「え? どうしたの? 急にそんなこと……」
「いや、なんとなーく、そう思っただけ」
その時、葉月の脳裏には、千尋から教えてもらった心理テストのことが思い浮かんだ。
テストの結果、葉月がパートナーに求めているものは、『どんな時でもきちんと向き合い話をしてくれる人』だった。
「フフッ、鋭いわね。当たりよ」
「だと思った」
「前に千尋が教えてくれた心理テストをやったらね、私がパートナーに求めている条件は、『どんな時でもきちんと向き合い話をしてくれる人』だったの」
「そうなんだ。じゃあ、俺なんかぴったりじゃん」
賢太郎はそう言って笑った。
確かに葉月もそう感じていた。
なぜなら葉月は、賢太郎になら自分の気持ちを素直にさらけ出せるような気がしていたからだ。
そこで葉月は、以前から抱いていた疑問を賢太郎に尋ねた。
「ねぇ、なぜあなたは、いつもそんなに穏やかで優しいの?」
葉月からの質問に、賢太郎は目を見開いている。
「突然どうしたの?」
「うん、前からずっと思ってたの」
「自分では意識したことないけど……なんでかな?」
「あのね、あなたといると、心がすごく穏やかになるの。話していても、ちゃんと尊重してもらえてるって感じるし。だから、あなたのそういう雰囲気って、どこから来ているのかなーってずっと不思議に思ってたんだ」
「うーん……何だろうなぁ。しいて言うなら、実家が大家族だったから?」
「何人家族なの?」
「両親、祖父母、それに兄弟が二人いるから七人か」
「うわ、多いのね。兄弟は?」
「兄と弟。あ、それに、犬が一匹と猫が二匹いるよ」
「航太郎が聞いたら、絶対に羨ましがるわ」
「どうして?」
「あの子、猫を飼いたがっているのよ」
「だったら、飼えばいいじゃん」
「そうなんだけど、私が子供の頃に飼っていた猫が亡くなってからは、なんとなく……ね」
葉月は、幼い頃飼っていた『こむぎ』のことをふと思い出していた。
ちょうどその時、パフェが運ばれてきた。
「美味そうだな」
「ほんと、パフェは久しぶり」
二人は早速食べ始めた。
葉月は、あまりにも美味しそうに食べる賢太郎を見て、チョコバナナパフェが気になる。
「美味しい?」
「美味いよ。一口食べてみる?」
当たり前のように賢太郎が差し出したので、葉月は一口もらった。
「美味しい! やっぱりバナナはチョコに合う~」
「マンゴーもくれ~」
葉月が差し出す前に、賢太郎はマンゴーをサッとすくい取った。
「あ、ズルい!」
「美味い!」
そこで二人は、顔を見合わせて微笑む。
今、二人の心は重なり合い、同じ気持ちで満たされていた。
そして、潮の香りを感じながら、緩やかな時間が流れていく。
その時、海の方角の空が、淡いピンク色に染まり始めた。
「夕焼け?」
「だね」
「夕焼けと鉄道の写真も撮ったりするの?」
「うん。結構撮ってるよ」
賢太郎はそう言うと、ポケットから携帯を取り出し、保存してある写真を見せてくれた。
その一枚に、海に近い無人駅に停車する電車が、サーモンピンクの夕日を背景に静かに佇んでいる写真があった。
それは鉄道写真の枠を超えた、抒情的でとても美しい見事な作品だった。
「すごい、綺麗……。ここはどこ?」
「新潟県の青海川駅」
「へぇ……なんか神秘的で素敵!」
「ありがとう。ちなみに、それは昔賞を取った写真なんだ」
「やっぱり! すごく素敵だもの。額に入れて飾りたいくらいよ」
「じゃあ、今度プリントアウトして贈るよ」
「本当? 嬉しい!」
「そんなのでよければ、いつでもどうぞ」
賢太郎はそう言って、指で葉月の唇に触れる。
「クリームがついてる……」
「あ……」
賢太郎は指についたクリームをぺろりと舐めた。
「やだ…子供みたいね、恥ずかしい……」
「照れてる葉月も可愛いな……」
「やめてよ、年上のおばさんをからかわないで」
「おばさんって言わないの! 葉月は本当に可愛いんだから……」
「…………」
葉月は胸がいっぱいになり、何も言い返せない。
次の瞬間、辺り一面、一斉に深いピンク色へと染まり始めた。
その幻想的な色は、二人の間に流れる穏やかな時間をすっぽりと包み込んでいく。
思いがけず訪れた賢太郎との楽しいひと時を、葉月はピンク色に染まる夕日と共に、しっかりと心の奥に刻み込んでいった。
コメント
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やっぱり菊田さんのお店だぁ〜\(^o^)/💞💞
何でも話せるっていいよね꒰ ੭ˊ꒳ˋ ू ꒱穏やかで優しい賢太郎さんは大家族で育ったとは意外🤭 話せば話す程惹かれてくね💗 ピンクに染まった空💕まるで2人の心のような情景描写もほんと素敵( ˶'ᵕ'🫶🏻)💕
素敵な2人のシーンですね。