テラーノベル
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美咲たちの高校生活は、特別なことばかりでできていたわけではない。
花火部の活動がある日も、何もない日も、彼女たちは顔を合わせた。準備に追われる日もあれば、作業が早く終わり、帰る時間までくだらない話をして過ごす日もあった。
その一つ一つが、いつか戻れなくなる日々だなんて、誰も考えていなかった。
「美咲、またノート忘れたん?」
放課後の部室で、紗季が呆れた顔をした。
美咲は鞄の中をひっくり返し、机の上に教科書や筆箱を並べていた。探しているものが見つからないたびに、鞄の底を覗き込んでいる。
「おかしいなあ。朝は持ってきたはずやねんけど」
「その言い方、先週も聞いたで」
「先週はほんまに忘れただけやん。今日は持ってきた記憶があるもん」
「記憶だけあってもノートは出てけえへんねん」
向かいの机で亮介が笑った。
「美咲、とうとう自分の記憶まで信用できんようになったんか」
「亮介、あんたのノート見せて」
「なんで俺やねん」
「字が読めるから」
「理由になってへんやろ!」
紗季が吹き出し、直人まで肩を揺らした。
結局、ノートは美咲の教科書の間から見つかった。
「ほら! やっぱり持ってきてた!」
「それ、最初に見たとこやん」
「……見落としただけや」
「それを忘れたって言うねん」
美咲は紗季に言い返そうとして、先に笑ってしまった。
部室には、開け放した窓から風が入ってきていた。机の上には活動記録、地域の花火大会に関する資料、作業予定を書き込んだ紙が広がっている。壁に貼られた年間予定表には、これから先の行事がいくつも並んでいた。
夏の大会が終わっても、秋には地域のイベントがある。三年生が引退したあとも、部は続いていく。
当たり前のことだった。
だからこそ、彼女たちは何の疑いもなく、次の予定を決めていた。
「なあ、夏のイベント終わったら、みんなでどっか行かへん?」
亮介が椅子を後ろに傾けながら言った。
「どっかってどこやねん」
紗季が尋ねる。
「海とか」
「もう夏終わりかけやで」
「ほな、秋の海」
「それ、ただ寒いだけちゃう?」
「じゃあ遊園地!」
美咲が勢いよく手を挙げた。
「美咲は絶叫系、乗れるん?」
直人が尋ねると、美咲は一瞬だけ黙った。
「……乗れる」
「今、間があったで」
「乗れるって! たぶん!」
「たぶんなんかい」
亮介が笑い転げ、紗季も机に突っ伏した。
美咲はむっとして腕を組んだ。
「何やねん。乗ったことないだけやん。乗ったら好きになるかもしれへんやろ」
「ほな、最初に一番怖いやつ乗ってもらおか」
「なんでやねん!」
「克服するなら早いほうがええやろ」
「亮介、あんた絶対あとで覚えときや!」
騒がしい部室に、また笑い声が広がった。
そのときの彼女たちには、遊園地へ行く約束が、ただの約束だった。
来月でも、来年でも、都合が合えば行けばいい。
予定が合わなかったら、また別の日にすればいい。
会いたければ会える。話したければ話せる。明日も学校へ行けば、きっと誰かがいつもの調子で声をかけてくる。
そんなふうに思えることが、どれほど恵まれたことなのか、まだ誰も知らなかった。
活動が終わる頃には、外が少しずつ赤くなっていた。
直人が記録用の資料をまとめ、紗季が机の上を片づける。亮介は最後まで遊園地の話を引っ張り、美咲は帰り支度をしながら、行ったことのないアトラクションについて熱弁していた。
「ほんまに乗れるんやな?」
亮介が念を押す。
「乗れる言うてるやろ!」
「途中で泣いても写真撮るからな」
「撮らんといて!」
「記念や、記念」
「その記念、一生恨むやつやん!」
「一生って。大げさやなあ」
亮介は笑っていた。
美咲も笑い返した。
一生、という言葉を、二人とも深く考えてはいなかった。
部室の鍵を閉める前、直人が壁の予定表を確認した。
「次の活動は木曜や。資料、忘れんようにな」
「分かってるって!」
美咲が答える。
紗季が横から口を挟んだ。
「美咲の場合、分かってても忘れるからなあ」
「今日はノート持ってきてたもん!」
「見つけるのに何分かかったと思ってんの」
「もう、その話は終わり!」
四人で校門まで歩いた。
途中で亮介がコンビニに寄ると言い出し、紗季が夕飯の買い物を頼まれていたことを思い出し、直人は駅までの道を少し変えた。誰かの都合に合わせて歩く道が変わることも、よくあることだった。
駅前でそれぞれの帰り道が分かれた。
「ほな、また木曜な!」
美咲が手を振る。
「ノート忘れんなよ!」
亮介が遠くから叫んだ。
「忘れへんわ!」
紗季は笑いながら、美咲の腕を軽く引いた。
「ほら、帰るで。うちらまで電車逃すやん」
「分かってるってば!」
美咲は最後にもう一度、二人に手を振った。
それから紗季と並んで歩き出した。
帰り道、二人は学校の話をした。課題が多いこと、昼休みに見たテレビのこと、クラスで流行っている話題。花火部とは関係のない話ばかりだった。
「なあ、紗季」
「何?」
「卒業しても、たまには遊ぼうな」
紗季は少しだけ美咲を見た。
「何やねん、急に」
「いや、別に。卒業したら、今みたいに毎日会われへんやろ」
「そらそうやけど。遊びたいんやったら遊んだらええやん」
「ほんま?」
「当たり前やろ。美咲が誘ってくるんやったら、予定くらい空けたるわ」
「何それ。私がいつも誘うみたいやん」
「実際そうやん」
「紗季かて誘ってくるやん!」
「はいはい」
紗季は笑って、歩く速度を少し落とした。
美咲もそれに合わせた。
二人の間には、わざわざ言葉にしなくても通じることがいくつもあった。腹が立ったときは遠慮なく言い合う。困ったときには助けを求める。相手が落ち込んでいれば、理由を聞く前に隣に座ることもある。
ずっと一緒にいる保証なんて、どこにもない。
それでも、明日も会えると思っていた。
家に帰ると、美咲は玄関で靴を脱ぎながら、今日あったことを話し始めた。
「今日な、亮介が遊園地行こうって言い出してん。ほんで、私が絶叫系乗れるかどうかで、めっちゃ笑われてんけど!」
家の中から返事が返ってくる。
「そら、美咲は乗る前から騒ぎそうやなあ」
「そんなことないって!」
「ほな、今度ほんまに行ってみたらええやん」
「行くもん! 絶対乗るもん!」
美咲は鞄を置き、制服のまま台所へ顔を出した。
「紗季も行くって言うてたし、直人先輩も来てくれると思うねん。亮介は絶対、私が怖がるところ見たがってるけど」
話しながら、美咲は今日の出来事を何度も思い出して笑った。
部活の話をするときの美咲は、いつも少し早口になった。誰が何を言ったか、どこで失敗したか、どんなことで笑ったか。話したいことが多すぎて、夕飯の時間になっても話が終わらないことがあった。
その日もそうだった。
家族にとっては、いつもの美咲だった。
よく笑い、よくしゃべり、忘れ物をしては騒ぎ、明日の予定を楽しみにする高校生。
彼女は自分の部屋に戻ると、机の上に置いていた写真を手に取った。
花火部の仲間たちと撮った一枚だった。
紗季は少しだけ呆れた顔をしていて、亮介はカメラに向かってふざけたポーズをしている。直人は後ろで笑っていた。美咲自身も、口を大きく開けて笑っている。
写真を撮る直前、亮介が変なことを言ったのだ。
そのせいで、みんなが笑ってしまった。
「ほんま、しょうもないなあ」
美咲は写真を見ながら呟いた。
けれど、その顔は笑っていた。
写真立てに入れようかと考えたものの、机の上には教科書やら筆記用具やらが散らばっていて、置く場所がない。結局、写真を引き出しにしまおうとして、少し迷った。
そして、引き出しではなく、机の隅に立てかけた。
明日も見るかもしれないと思ったからだった。
翌朝、写真はそのまま机の上にあった。
美咲は目を覚まし、寝ぼけたままそれを見て、今日の活動を思い出した。
「あ、今日、資料持ってかなあかんやん!」
慌てて鞄を開ける。
今度こそ忘れないように、資料を入れ、ノートを入れ、筆箱を確かめた。
その様子を見て、家族が笑った。
「美咲、朝から何騒いどんねん」
「今日は忘れ物せえへんための確認!」
「昨日も確認してたんちゃうんか」
「昨日とは違うねん!」
美咲は鞄を閉じ、玄関へ向かった。
「行ってきます!」
扉を開けると、朝の空気が頬に触れた。
いつもの道。いつもの駅。いつもの学校。
そこへ行けば、紗季がいて、亮介がいて、直人がいる。
今日も何か言い合って、笑って、活動が終わったら帰るのだろう。
明日も、その次の日も。
美咲は疑わなかった。
この時間が永遠ではないことを。
美咲はまだ、明日も明後日も、こんな日々が続いていくと思っていた。
紗季と笑い、亮介とふざけ合い、直人に呆れられながら、花火部で過ごす毎日。
いつか恋をして、誰かを大切に思うようになることも、自分の人生が大きく変わることも、まだ知らない。
ただ、今日が楽しみだった。
それだけで、十分だった。
そして、何年も経ったあと。
写真を見つめる花は、そこに写る母親が、どんな声で笑っていたのかを想像することになる。
自分の知らない母親。
自分が生まれる前から、誰かの友達で、誰かに笑わされ、誰かと約束をしていた一人の女の子。
花はまだ、その笑顔の続きを知らない。
けれど、写真の中の美咲は確かに生きていた。
誰かを守るためだけに生きていたのではない。
誰かに残すためだけに笑っていたのでもない。
美咲自身の人生が、そこにはあった。
その日々が、いつか誰かにとって宝物になるなんて。
あの頃の美咲たちは、まだ知らなかった。
コメント
1件
うわあ…最後の花ちゃんの視点で一気に切なくなった😭💔 美咲たちの何でもない日常の会話が、全部“いつか戻れない日々”の伏線になってて胸がぎゅっとなる…。特に写真を見て“母親の笑い声を想像する”とこ、言葉にできないエモさが込み上げたよ。 宝物になるって知らずに笑い合える時間って、本当に尊いね✨ 素敵なエピソードだった!!
ruruha
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要 九十九
10,705
星キラリ

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