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次の稽古は、はっきり失敗だった。
台本を開いても、声が合わない。立ち位置を決めても、誰かの視線が泳ぐ。言葉の切れ目ごとに、誤解と気まずさが入り込んで、場面が立ち上がらない。
ヌバーが無理やり明るくしようとして、余計に空回りした。
「はいはい、じゃあ次、橋の下で偶然恋に落ちる感じで」
「落ちねえよ」
モルリが即座に突っ込むが、その声にもいつもの勢いがない。
デシアは読み手のところで詰まり、紙をめくる指が止まる。サベリオは今日は来ていたが、壁際で立ったまま、場に入ろうとしない。
ホレが予定表を持ったまま困った顔をしていた。
「一回、休憩にする?」
誰も「続けよう」と言わなかった。
休憩になった瞬間、サベリオは入口の方へ向かった。逃げる気配があまりにも露骨で、モルリが慌てて立ち上がる。
「ちょっと、どこ行くの」
「空気悪いだろ」
「作ってんの、みんなだから」
「俺も入ってる」
サベリオはそう言ったが、振り返らない。
デシアが一歩だけ前へ出た。
「待って」
その声へ、サベリオの肩が止まる。
「昨日まで一緒に記録見てたのに、今日だけ急に黙るの、ずるい」
「ずるいのはそっちだろ」
ようやく振り返った顔は、ひどく疲れていた。
「真実に近づいたみたいな顔して、でも肝心なとこはまだ言わない。俺に前へ出ろって空気だけ作って、転ぶ時のことは誰も言わない」
シェルターが静まり返る。
その言葉はデシアだけでなく、皆の胸にも刺さった。
ミゲロが口を開きかけ、閉じる。ヌバーもいつもの軽口を飲み込んだ。
デシアは何も言えないまま、台本の端を強く握った。
その白い指先を見て、サベリオは苦い顔をした。
「……悪い」
だが謝っても、空気は戻らない。
サベリオはそのまま外へ出ていった。足音が階段を上がり、橋の下から消える。
残された沈黙の中で、デシアは台本を見下ろした。
数秒後、紙がかすかに鳴る。
破りかけたのだと気づいたのは、サラがその手を押さえた瞬間だった。
夜間診療所の帰りらしいサラは、薄いカーディガンのまま入口に立っていた。いつの間に来たのか、誰も気づかなかった。
「それやったら、あとで自分が一番しんどいよ」
デシアの手から、力が抜ける。
サラは破れかけた台本をそっと机に戻した。
「言えなかった理由はあるんだろうけど、もう守り方を変えた方がいい」
デシアは唇を結ぶ。
「今さら言ったら、もっと傷つくかもしれない」
「今さらまで黙ったから、今の傷になってる」
きっぱり言われて、デシアは目を伏せた。
外では、風が急に強くなっていた。橋の隙間を抜けてくる夜気が、シェルターの湿った壁をなでていく。
サラは帰り際、振り向かずに言った。
「誰を守った夜だったのか、それだけでも伝えな」
残った皆は、言葉を持たなかった。
デシアだけが、机の上の台本へ触れたまま動けなかった。