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#王子
すっこ
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#主人公最強
杯雪乃
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「『まだ死んでない』って言いました」
柿崎先生の言葉を聞いて、
私は何も言えなかった。
母の死亡診断書。
死亡時刻。
午後十時四十分。
でも、
午後十一時十二分。
母は柿崎先生へ電話をかけている。
「本当に母だったんですか」
私は訊いた。
「声だけですよね」
「はい」
「誰かが母のスマートフォンを使った可能性もある」
真壁刑事が言う。
当然の疑いだった。
誰かが、
母の名前を使ってきた。
私の名前も。
父の名前も。
なら、
母の声だって。
「録音は?」
真壁が訊く。
柿崎は頷いた。
「あります」
私は顔を上げた。
「録音したんですか」
「自動録音です」
柿崎がスマートフォンを操作する。
一件の音声。
日時。
母が死んだ夜。
23:12
再生。
雑音。
そして、
女の声。
『先生』
私は動けなくなった。
母だった。
十二年近く、
まともに話していない。
それでも分かる。
忘れるはずがない。
柿崎の声。
『千佳さん?』
『はい』
弱い。
息が荒い。
『どうしました』
数秒。
そして母。
『まだ死んでない』
背中が冷たくなった。
録音の柿崎が、
『何を言ってるんです。今どこですか』
と訊く。
母は答えない。
『救急車を呼います。住所はご自宅ですね?』
『呼ばないで』
『でも』
『来たら駄目』
『誰が?』
沈黙。
『先生』
『はい』
『死亡診断書、何時になってます?』
私は息を止めた。
母は、
自分の死亡診断書がすでに存在することを知っていた。
『何の話ですか』
『十時四十分?』
柿崎は答えない。
『やっぱり』
『千佳さん、説明してください』
母が小さく笑った。
『先に死んだことにされた』
ぞっとした。
『誰にです』
『分からない』
『警察へ――』
『駄目』
『なぜ』
『澪が疑われる』
また私。
『先生』
母の声がさらに小さくなる。
『十一時四十分までに見つけて』
『何を』
雑音。
『本当の――』
そこで、
大きな音。
何かが倒れた。
『千佳さん?』
返事はない。
『千佳さん!』
通話は、
十一時十四分に切れている。
病室が静まり返った。
私は再生画面を見る。
母は、
午後十一時十二分まで生きていた。
少なくとも、
声を出せる状態だった。
「警察には?」
真壁が訊いた。
柿崎が目を伏せる。
「すぐ通報しました」
「記録は?」
「あります」
「なら、なぜ母の死が午後十時四十分になってるんです」
柿崎は答えなかった。
「先生」
「私が家へ着いたときには」
ようやく言う。
「すでに救急隊がいました」
「何時?」
「午後十一時三十五分ごろ」
「母は?」
「リビングに倒れていた」
「生きてた?」
沈黙。
「先生!」
「脈がありました」
私は息を止めた。
「生きてた?」
「微弱ですが」
「じゃあ母はその時点でも死んでない!」
「はい」
午後十一時三十五分。
死亡診断書では、
五十五分前に死んでいる。
「救急搬送は?」
「されました」
初めて聞いた。
私は母が、
自宅で死亡確認されたと思っていた。
「どこへ?」
分かっている気がした。
「岸本総合病院です」
やっぱり。
「何時に着いたんですか」
「十一時五十二分」
午後十一時四十分を、
十二分過ぎている。
「そのときは?」
柿崎が唇を噛む。
「心肺停止」
「死亡確認?」
「まだです」
「じゃあ蘇生した?」
「はい」
「どれくらい?」
柿崎は答えづらそうにした。
「四十三分」
私は息を止めた。
「午前零時三十五分まで?」
「はい」
「死亡確認は?」
「零時三十七分」
私は頭が追いつかなかった。
母の本当の死亡時刻は、
翌日。
午前零時三十七分。
なのに、
死亡診断書には、
前日の午後十時四十分。
約二時間も違う。
「誰が死亡診断書を書いたんです」
真壁が訊いた。
柿崎は答えない。
「あなたではない?」
「違います」
「医師名は?」
柿崎の顔が強張った。
「記録上は」
一度、
言葉を切った。
「私です」
私は椅子から立ち上がった。
「先生が書いたことになってる?」
「はい」
「でも書いてない」
「書いていません」
「署名は?」
「私のものに見えます」
高瀬の未来の死亡診断書と同じ。
柿崎の名前を使った、
偽造。
「じゃあ誰かが」
私は言った。
「母が実際に死ぬ前に、死亡診断書を作ってた」
真壁が頷く。
「その可能性が高い」
しかも、
死亡時刻まで決めて。
午後十時四十分。
「なぜ十時四十分なんです」
私は訊いた。
「いつもの十一時四十分じゃない」
柿崎が私を見る。
「そこが、私にも分からなかった」
「一時間早い」
私は口にして、
止まった。
一時間。
死亡診断書だけが、
一時間早い。
母は十一時十二分に電話。
十一時三十五分に生存確認。
十一時四十分。
何が起きた?
「先生」
私は訊いた。
「十一時四十分のとき、母はどこにいたんです」
「救急車の中です」
「状態は?」
「記録を確認すれば」
真壁がすぐに病院へ照会する。
数分。
搬送記録が届いた。
午後十一時三十九分。
心拍あり。
十一時四十分。
意識レベル低下。
十一時四十一分。
心拍停止。
私は画面を見つめた。
「一分後……」
母は、
十一時四十一分に心停止している。
あの時刻を、
一分だけ越えていた。
「死亡通知は十一時四十分」
私が言う。
「でも母は死ななかった」
「はい」
柿崎が答える。
「少なくとも、その瞬間は」
そして四十三分の蘇生措置。
午前零時三十七分。
正式に死亡。
「じゃあ死亡通知は外れた?」
私は訊いた。
柿崎は首を振った。
「私は、そうは思いません」
「どうして」
「千佳さんが電話で言った言葉です」
十一時四十分までに見つけて。
何を?
本当の――
そこで切れた。
「死亡通知を?」
真壁が言った。
「あるいは」
柿崎が答える。
「誰が死ぬのかを」
私は眉を寄せた。
「母じゃない?」
「千佳さんは、自分の死亡時刻が十時四十分になっていると知っていた」
「はい」
「なのに、十一時四十分を気にしていた」
「はい」
つまり、
母が恐れていたのは、
自分の死亡予定ではなかった。
そのとき、
真壁のスマートフォンが鳴った。
「真壁です」
短いやり取り。
表情が変わる。
「分かりました。送ってください」
「何ですか」
「水城千佳さんの搬送時の記録を洗い直してもらっていました」
画像が届く。
救急隊の活動記録。
私は時刻を追う。
午後十一時三十四分。
現場到着。
三十五分。
母を確認。
三十七分。
搬送開始。
その下。
同乗者一名。
私は指を止めた。
「誰か救急車に乗ってた?」
「そう記録されています」
「家族?」
父はその場にいなかった。
私は呼ばれていない。
「名前は?」
真壁が欄を拡大する。
そこには、
手書きで一人の女性の名前。
私は知らない。
でも、
柿崎先生は知っていた。
顔色が変わる。
「先生?」
彼は画面を見たまま呟いた。
「あり得ない」
「誰なんです」
柿崎が答える。
「二十九年前」
声が震える。
「千佳さんが出産した夜にいた看護師です」
「今も病院に?」
「いいえ」
「じゃあ」
柿崎は私を見る。
「十五年前に死んでいます」
また、
死んだ人間の名前。
「その人が、母の救急車に乗ってた?」
記録上は。
そうなっている。
そして、その同乗者欄の横。
小さく追記。
23:40 途中下車。
救急車が、
搬送途中で誰かを降ろした。
「どこで?」
真壁が確認する。
住所ではない。
地点だけ。
市内を流れる川の近く。
私はその場所を見て、
息を止めた。
相原奈緒が、
十五年前に車ごと転落した場所だった。
死亡診断書の時刻は違っていた。
母は、
公式には死んだあとも生きていた。
そして本当に死ぬ直前、
救急車には、
十五年前に死んだはずの女が乗っていた。
コメント
1件
うわ……これはぞっとしましたね。死亡診断書の時刻が実際より一時間早いってだけで十分不気味なのに、母が「まだ死んでない」と電話してきて、しかも自分の死亡診断書が存在することを知っていた——その時点でもう背筋が冷えました。そして救急車に十五年前に死んだ看護師が同乗していた、という終盤の畳みかけ。柿崎先生の名前が使われた偽造診断書といい、時間軸のトリックが巧妙に積み重ねられていて、読みながら自然と息を止めてしまいました。連載中とのことですが、この伏線の張り方、本当に上手いです。