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#王子
すっこ
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#主人公最強
杯雪乃
1,309
九月六日。
午後十一時三十九分。
父は県警の保護室にいた。
窓はない。
刃物もない。
持ち込める物はすべて確認されている。
入口には警察官が二人。
室内には真壁刑事。
そして私。
三枚目の死亡通知には、
水城雅彦。
九月六日 午後十一時四十分。
水城千佳旧居。
刺殺。
でも父は、
母の家にはいない。
刺す人間もいない。
「あと三十秒」
私は時計を見た。
父は椅子に座ったまま、
妙に静かだった。
「怖くない?」
「怖いよ」
以前と同じ答え。
「でも紙は怖くない」
父は言った。
「人間の方が怖い」
午後十一時三十九分五十秒。
五十一。
五十二。
私は父の手を見る。
震えていない。
午後十一時四十分。
その瞬間。
何も起きなかった。
父は座っている。
呼吸している。
血も出ていない。
一秒。
二秒。
十秒。
私は息を吐いた。
「……生きてる」
父が時計を見る。
午後十一時四十分二十秒。
「父さん」
返事がある。
「終わった?」
父はすぐには答えなかった。
午後十一時四十一分。
私は初めて、
本当に安心した。
「助かった」
真壁も腕時計を見る。
「少なくとも、通知に書かれた死亡時刻は過ぎました」
私は椅子に座った。
力が抜ける。
高瀬は死んだ。
久我も死んだ。
でも今回は、
死なせなかった。
「死亡通知は絶対じゃない」
私は言った。
父が小さく笑った。
「最初からそう言ってる」
「だったら、これで証明できたでしょう」
「何が」
「誰も死ななくて済むってこと」
父の笑顔が消えた。
「まだ分からない」
「時間は過ぎたよ」
「雅彦さん」
真壁も父を見る。
「何か気になることが?」
父は答えなかった。
代わりに、
「病院へ電話してくれ」
と言った。
「岸本総合病院?」
「ああ」
「なぜ」
「千佳が映ったって言ってた」
私は思い出す。
防犯カメラ。
死亡した母が、
病院内に映っていた。
警察は当然、
本人ではないと考えていた。
似た女性。
映像の誤認。
あるいは誰かの変装。
「今それが何?」
「確認したい」
真壁が無線で連絡する。
数十秒。
返事が来ない。
もう一度。
「岸本総合病院、応答してください」
雑音。
「真壁です。院内確認班、応答を」
やっと声。
『こちら岸本総合病院』
「異常は?」
少し間があった。
『……一件あります』
父の顔が変わる。
「何です」
真壁が訊く。
『女性が倒れています』
私は立ち上がった。
「誰?」
無線の向こう。
『現在、救命処置中』
「場所は?」
『旧精神科病棟』
母が十五年前に入院していた場所。
柿崎先生が襲われた場所。
「年齢は?」
『六十歳前後』
母と近い。
「名前は?」
『身分証がありません』
私は父を見る。
「母じゃないよ」
「分かってる」
でも父の顔は青ざめていた。
「行く」
「水城さん」
真壁が止める。
「私も行きます」
「ここにいてください」
「三枚目が終わったなら、もう――」
「終わったかどうか確認するために行くんです」
その言葉で、
何も言えなくなった。
*
午前零時二十六分。
岸本総合病院。
旧精神科病棟の廊下には、
警察官と病院スタッフが集まっていた。
倒れていた女性は、
救命救急センターへ運ばれたという。
「亡くなったんですか」
私は訊いた。
真壁が首を振る。
「まだです」
「なら助かるかもしれない」
「はい」
その返事は、
妙に重かった。
「何かあるんですか」
真壁は床を指した。
女性が倒れていた場所。
そこに、
血はない。
刃物もない。
ただ、
白い紙が一枚落ちていた。
透明袋に入れられている。
死亡通知。
「誰の?」
私は覗き込んだ。
名前の欄は、
黒く塗られている。
死亡日。
九月六日。
死亡時刻。
午後十一時四十分。
死亡場所。
岸本総合病院。
死因。
刺殺。
「刺されてる?」
「外傷は確認されていません」
「じゃあ、また内容が違う」
父は死ななかった。
女性も刺されていない。
「本当に死亡通知なの?」
私は呟いた。
真壁が紙の裏を見せた。
赤い文字。
三人目、変更完了。
胸が冷たくなる。
「変更?」
その下。
水城雅彦 対象外。
父は助かった。
でも、
誰かが代わりに三人目になった。
「この女の人が?」
「可能性はあります」
「誰なんですか」
「今、身元を調べています」
そのとき、
救命救急センターから医師が走ってきた。
「真壁さん」
「どうしました」
医師の表情で、
私は分かった。
「女性は?」
医師が首を振る。
「午前零時三十一分、死亡を確認しました」
「死因は?」
「まだ断定できません」
「刺傷は?」
「ありません」
「じゃあ何で」
医師は言いにくそうにした。
「心停止です」
また。
母と同じ。
「突然?」
「搬送中は会話もできていました」
「何を話したんですか」
医師は少し考えた。
「名前を訊きました」
私は一歩近づく。
「答えた?」
「はい」
「誰ですか」
医師が答えた。
「水城千佳、と」
世界が止まった。
「そんなはずない!」
私の声が廊下に響いた。
「母は死んでます!」
「分かっています」
「じゃあ別人です!」
当然だった。
六十二歳の母は、
すでに火葬している。
私自身が葬儀に立ち会った。
「顔は?」
真壁が訊く。
「水城千佳さんの写真と照合中です」
父が壁に手をついた。
「雅彦さん?」
「違う」
父が呟く。
「千佳じゃない」
「知ってる人なんですか」
私は父を見る。
父は女性の搬送時に撮影された確認写真を見ていた。
雨で濡れた白髪。
やつれた顔。
目を閉じている。
私は知らない。
でも、
父は知っている。
「誰なの」
父は答えない。
「父さん!」
「二十九年前に一度だけ会った」
「誰?」
父が震える指で、
写真の女性を指した。
「千佳と奈緒が出産した夜」
心臓が跳ねる。
「病院にいた人?」
「ああ」
「看護師?」
父は首を振った。
「患者だ」
「何の?」
父は私を見る。
「三人目の妊婦だ」
私は意味を理解できなかった。
「三人目?」
二十九年前の五月十七日。
水城千佳。
相原奈緒。
二人の出産。
そう聞いていた。
「その日に出産した人が、もう一人いたの?」
父は頷いた。
「記録には残ってない」
「じゃあ、その人も子どもを?」
父が答える前に、
真壁のスマートフォンが鳴った。
身元照会の結果だった。
「真壁です」
数秒後、
顔が変わる。
「……本当に?」
私は訊いた。
「誰だったんですか」
真壁は画面を見たまま答えた。
「名前が分かりました」
「何て?」
篠宮恵美。
私は息を止めた。
篠宮。
ひかりの戸籍に使われていた名字。
「ひかりさんの……?」
父が低い声で言った。
「母親じゃない」
「じゃあ誰?」
父は死亡した女性の写真を見つめた。
「戸籍上では」
一度、
息を呑む。
「ひかりの祖母だ」
私は言葉を失った。
三枚目は父だった。
父は死ななかった。
代わりに、
これまで一度も名前すら出てこなかった女が死んだ。
二十九年前、
母と奈緒が出産した同じ夜に、
記録に残らない三人目の妊婦として病院にいた女。
そして、
その女の名字は、
篠宮。
私はようやく気づいた。
ひかりという少女には、
私たちが知らされていない、
もう一つの家族がある。
コメント
1件
あーもう、心臓バクバクしてる……! 父が助かったって安心した矢先の「変更完了」って、マジで鳥肌立ったわ。しかも代わりに死んだのが、ひかりの祖母で、29年前の出産日に三人目の妊婦がいたって——これ、物語の根幹がまた揺るがされた感あるね。伏線の貼り方が本当に上手いし、毎回「次どうなるんだ」って引き込まれる。続きが待ちきれない🔥