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諒の車が到着したのは、街からやや離れた高台にある展望広場だった。そこはこの街の夜景スポットだ。週末にはカップルなどが多くやって来る場所らしいが、今日は平日だからか、それらしいシルエットは二組だけだった。
エンジンを止めて車を降りた諒は、助手席側のドアを開けて私を外へと促す。
「せっかくだ。外に出てみようか」
地面に足を下ろし、目を上げてすぐ、私は感動の声をもらす。
「綺麗ねぇ」
街の灯りがきらめいて見えた。夜空には星も輝いている。私はまばゆい光景に見とれていた。
「ベンチがある。あっちに座ろう」
「うん」
諒の提案に頷いて歩き出そうとしたが、不意に彼に手を握られて驚く。
「りょ、諒ちゃん?」
彼は私に微笑みかける。
「足元が暗いから」
彼の手を振り払うことなどできない。どきどきしながら彼に手を引かれてベンチに向かう。到着したところで彼から離れようとしたが、その一瞬、私を引き留めるかのように、繋ぐ彼の手に力が込められたような気がした。
「諒ちゃん、手を……」
高鳴る鼓動に声が震えそうになりながら、私は彼の横顔を見上げた。
彼は思いの外あっさりと手を離し、私にベンチを目で示す。
「座ろうか」
「そ、そうだね……」
私はおずおずとベンチに腰を下ろした。
彼は私の隣に座ったが、あまりにも距離が近すぎて、さっきから鳴りっぱなしの鼓動の音が彼に伝わってしまいそうだった。少し離れようと体をずらしかけた時、諒が私を気遣う言葉を口にした。
「空気が少し冷たいな。寒くないか?」
「大丈夫よ」
鼓動がさらに大きくなったのは、諒の声がやけに近くで聞こえるせいだ。どきどきする胸を早く落ち着かせたいと思いながら、私は話題を探した。夜景に目を向けたまま口を開く。
「そう言えば、やっぱり仕事、忙しいんでしょ?ドクターって、激務だって聞くもの」
「今いる病院は勤務体制がしっかり考えられているから、休みはいい感じにもらえてるんだ。それに俺、体力には自信がある。だから大丈夫だよ」
「それならいいけど……」
「心配してくれるの?」
「だって本当は、家でゆっくりしたかったんじゃないのかな、って思ったから。こんな風に、わざわざ私につき合ったりして、時間がもったいないでしょ。本当に大丈夫?」
諒を気遣って言ったつもりだった。彼のとある言葉を思い出してのものだ。例の泥酔事件の夜、ことの顛末を私に説明する際、彼はそのようなことを口にしたのだ。
諒は苦笑する。
「何を言い出すかと思えば……。大丈夫じゃなかったら、食事に行こうなんて誘わないよ。それに、あんなことがあった後のお前を、一人にしておけるわけがないだろ。そもそも、俺がしたくてこうしてるんだ。瑞月は何も気にしなくていい」
彼の本心が分からないからこそ、その優しさに胸が苦しくなる。いっそ彼に確かめてみようかと思った。しかし、将司への言葉がやはり単なる方便だったことが分かってしまったら、と思うと怖くて確かめられない。
それならば、と思う。気持ちを隠し、これまで通り幼なじみの関係であり続ける方が断然いい。だからこそ、可笑しなこの関係はもうやめるべきだ。
私は舌先で唇を湿らせて口を開く。
「ねぇ、諒ちゃん。私、諒ちゃんの『恋人役』っていうの、やっぱりできないよ。諒ちゃんはさ、私とこうやって無駄な時間を過ごしていないで、早くちゃんと恋人になってくれる人を探した方がいいと思うんだ。その方がお互いのために絶対にいい。諒ちゃんなら、すぐに素敵な人が見つかるよ」
「ちょっと待て。瑞月といる時間が、無駄だって?」
諒は恐ろしいほど低い声でゆっくりと私に訊き返した。
「『お互いのために』ってどういう意味だ?俺とこうやって過ごす時間が、お前にとっては無駄だって言いたいのか?俺と一緒にはいたくないってこと?俺のこと、嫌いになった?」
私ははっとして口をつぐんだ。
諒の顔には悲しみの色がにじんでいた。
私としては諒のことを思って言った言葉だった。しかし、彼にとってはそうではなかったらしい。彼を傷つけるつもりはなかったのにと後悔し、私はうつむいた。耳に諒の静かな声が聞こえる。
「さっきの男とやり直そうっていう気にでもなったのか?」
「えっ」
私は驚いて顔を上げ、諒の言葉を即座に否定する。
「それはないよ。諒ちゃんもあの場にいたんだから、分かるでしょ?」
彼は私の顔を覗き込み、念を押すように訊ねる。
「本当か?」
「本当よ」
大きく頷く私を見て、諒はほっとした表情を見せる。
「だったらさ、もうしばらくは俺の恋人役、やってくれよ。なんならこのまま俺のこと、好きになってくれて構わないぜ」
彼の言葉に胸がざわめいた。冗談か本気か分からない今の言葉を真に受けて、私が気持ちを伝えたとしたら、この幼なじみはいったいどんな顔をするのだろう。本当は素直に頷きたい。けれど、私は嫌味混じりの言葉を返す。
「ずいぶんと上から目線なのね。ドクターだからってことで周りにチヤホヤされて、勘違いするようになっちゃったの?諒ちゃんって、こんなに自信たっぷりな人だったかしらね」
可愛げのない私の物言いに対して、諒もまた皮肉たっぷりの軽口で応戦してくると思っていた。
ところが彼は静かにぽつんとつぶやく。
「そんなんじゃないよ」
諒は私の腰に腕を絡め、ぐいっと私を抱き寄せた。
その弾みで私は彼の胸にもたれかかってしまった。そこから伝わってくる彼の体温に息苦しくなるほどどきどきする。
「お前に関しては、自信なんてまったくないんだ」
「諒ちゃん、離して」
私は彼から離れようと抵抗した。
しかし諒は私を抱いた手を離さなかった。ふと何かを思い出したかのように囁く。
「俺たちって、今は一応恋人同士ってことになってるんだよな」
「恋人役」を引き受けることになった夜のことには触れまい、と思っていた。けれど、そこについてははっきりさせておきたい。私は顔を熱くしながら言葉を返す。
「諒ちゃんに脅されて仕方なくでしょ」
「そうだよな。俺が無理やり瑞月に引き受けさせたんだよな」
諒は自嘲するように言った。
「そうよ。分かってるんなら、もうやめよう」
彼は私の言葉を聞き流す。
「もう、ここにいるのは俺たちだけなんだな。……じゃあ、いいよな」
ぼそりと言うなり、諒は突然私に口づけた。
抵抗しようと思えばできた。しかし、そうしなかった。探るように私の唇に触れた諒の舌を、私は受け入れた。彼の深い口づけに、体中が熱を持ち出す。このまま彼のキスにすべてを絡め取られてもいいと思った。
けれど冷静な部分がそれにブレーキをかける。諒の手が私の頭を抱いた時、私は我に返り、彼の体を押し返した。
諒はキスをやめ、無言で私を離した。
間近に見たその顔には名残惜しさがのぞく。私の鼓動は早鐘を打つようにどきどきと鳴り響いていた。