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放課後の花火部の部室には、文化祭で使った道具や、次の活動に向けた資料が残っていた。
窓の外では、運動部の掛け声が聞こえている。美咲は机の上に広げた画用紙を片づけながら、向かい側で資料をまとめている直人を何度も見た。
以前なら、目が合うだけで慌てていた。
今も少し緊張する。でも、直人と話せる時間が増えるほど、もっと話したいという気持ちのほうが大きくなっていた。
「直人先輩、今日も残るん?」
「うん。これだけ整理してから帰ろうと思ってる」
「そっか。私も手伝うわ」
「ありがとう。でも、無理せんでもええで」
「無理ちゃうもん。私が手伝いたいんやから」
美咲はそう言って、直人の隣に椅子を引いた。
以前なら、手伝いを申し出るだけでも、迷惑ではないかと考えていたかもしれない。けれど最近は、自分がしたいことを、少しずつ口にできるようになっていた。
直人は美咲の手元に資料を置いた。
「じゃあ、こっちを頼んでもええ?」
「任せとき」
二人で作業を進めていると、廊下から亮介の声がした。
「おーい、まだおるんか。二人とも、戸締まり忘れんなよ」
「亮介こそ、また何か忘れ物したんちゃうん?」
「失礼やな。今日は忘れてへんわ!」
「今日は、って自分で認めてるやん」
美咲が笑うと、亮介も得意げに笑い返した。
「ほな、先帰るで。直人先輩、戸締まり頼んだわ」
「分かった」
亮介の足音が遠ざかる。
部室には、また二人だけが残った。
美咲は資料をそろえながら、さっきまでの会話を思い返していた。
こういう何でもない時間が好きだった。
特別な場所へ出かけなくても、何か大きな出来事がなくても、直人と一緒にいると一日が少し楽しくなる。
それが恋なのだと、もう自分でも分かっていた。
だからこそ、言えないことが増えていた。
直人が卒業した後も、こうして会えるのだろうか。
自分が進路を決められずにいることを、どう思っているのだろう。
そして、直人は自分との未来を、少しでも考えたことがあるのだろうか。
考え始めると、聞きたいことはいくらでも出てきた。
けれど、答えを聞くのが怖かった。
「美咲?」
呼ばれて顔を上げる。
「ん?」
「さっきから、手が止まってるで」
「えっ、あ、ごめん!」
「謝らんでええよ。疲れたんやったら、今日はここまでにしようか」
「ちゃうねん。ちょっと考え事してただけ」
「そっか」
直人はそれ以上、無理に聞かなかった。
その気遣いがありがたい一方で、美咲は少しだけもどかしかった。
聞いてほしい。
でも、自分から話す勇気が出ない。
相手が踏み込んでくれるのを待っているだけでは、何も変わらないと分かっているのに。
「……直人先輩ってさ」
「うん?」
「卒業したら、ほんまに忙しくなるん?」
直人は手にしていた資料を置いた。
「そうやな。進学したら、今までみたいに毎日学校に来るわけやないし。新しい生活にも慣れなあかんから、最初は余裕ないかもしれへん」
「そっか」
「でも、花火部に顔出すつもりやで。約束したしな」
「うん。前にも言うてくれたもんな」
美咲は笑った。
それを聞きたかったのかもしれない。
卒業しても、完全にいなくなるわけではない。そう思えば、少し安心できた。
けれど、本当に聞きたかったことは、まだ別にあった。
花火部の先輩としてではなく。
自分の好きな人として。
卒業してからも、自分と会いたいと思ってくれるのか。
自分たちの関係を、これからも続けていきたいと思ってくれているのか。
「美咲は、卒業したらどうするん?」
突然尋ねられ、美咲は言葉に詰まった。
「……まだ決めてへん」
「そっか」
「みんな、進路とか考えてるやん。紗季はちゃんと勉強してるし、亮介も何やかんや言いながら調べてるし。でも、私、何がしたいんかよう分からへんねん」
美咲は机の端を指先でなぞった。
「高校卒業したら、何かせなあかんのは分かってる。でも、何になりたいとか、どこに行きたいとか、そういうのが全然浮かばへん」
「うん」
「好きなことはあるで。花火も好きやし、みんなとおる時間も好きやし。でも、それを仕事にしたいかって聞かれたら、そういうわけでもないし」
自分の言葉を聞きながら、美咲は少しずつ情けなくなってきた。
何も考えていないわけではない。
ただ、考えても答えが出ないのだ。
周りが少しずつ自分の未来を決めていく中で、自分だけが同じ場所に取り残されているような気がする。
「私、このままで大丈夫なんかな」
直人はすぐには答えなかった。
慰めるための言葉を探しているのではなく、どう返すべきかを考えているようだった。
「大丈夫かどうかは、俺にも分からへん」
美咲は顔を上げた。
「……そっか」
「ただ、今すぐ決められへんことと、何も考えてへんことは違うと思うで」
直人は静かに続けた。
「美咲は、ちゃんと考えてるやろ。考えてるから、分からんことが気になるんやと思う」
「でも、考えてるだけで何も決まらへんかったら、意味ないんちゃう?」
「そう思うこともあるやろな。でも、焦って決めたら、それが自分の望んでることやったんか、後から分からんようになるかもしれへん」
直人は窓の外に目を向けた。
「俺も、進路を決めたからって、これから先のことが全部分かってるわけやないで。選んだ先で何があるかなんて、行ってみな分からんことも多いと思う」
「直人先輩でも、分からへんことあるんや」
「そらあるよ。俺かて、何でも分かるわけやない」
少し照れたように笑う直人を見て、美咲も笑った。
直人は、いつも正しい答えを持っている人だと思っていた。
けれど、そうではないのかもしれない。
自分で考え、決めて、その先に何があるのか分からなくても進もうとしている。
その姿が好きだった。
だから、自分もそうなりたいと思う。
誰かが決めた正解を探すのではなく、自分がどうしたいのかを、自分で選べるようになりたい。
「……私も、もうちょっと考えてみる」
「うん。美咲が決めることやからな」
その言葉に、美咲は小さくうなずいた。
けれど、心の中には、まだ一つだけ残っている問いがあった。
自分の進路は、自分で決める。
それは分かった。
では、直人との未来はどうなのだろう。
自分一人で決めるものではない。
直人が何を望んでいるのかも知らなければ、二人で考えることさえできない。
そのことが、急に怖くなった。
帰り道、二人は駅まで一緒に歩いた。
以前よりも会話は増えたし、隣を歩くことにも慣れてきた。直人が歩く速度を少し落としてくれることにも、美咲は気づいていた。
そうした小さなことがうれしい。
けれど、うれしいと思うほど、失いたくない気持ちも大きくなっていく。
「直人先輩」
「ん?」
「卒業しても、私と会ってくれる?」
口にした瞬間、美咲は自分の質問が思っていた以上に直接的だったことに気づいた。
「……あ、ごめん。何か、変な聞き方してもうた」
「変やないで」
直人は足を止めた。
美咲も少し遅れて立ち止まる。
「会いたいと思ってるよ」
あまりにも自然な返事だった。
美咲は、すぐに言葉を返せなかった。
「美咲と話すんは楽しいし、一緒におる時間も好きやから」
直人は少し困ったように笑った。
「ただ、卒業したら今までと同じようにはいかへんと思う。会える日も減るかもしれへんし、俺も新しい生活に慣れるまで余裕がないかもしれん」
「……うん」
「せやから、何も変わらへんとは言われへん。でも、変わることと、会いたくなくなることは別やと思ってる」
美咲はその言葉を、心の中で何度も繰り返した。
何も変わらないわけではない。
それでも、会いたいと思ってくれている。
自分が勝手に怖がっていたことを、直人は簡単に否定するのではなく、変わる可能性も含めて答えてくれた。
それがうれしかった。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
再び歩き始める。
駅に着くまでの間、美咲はさっきよりも自然に話せるようになっていた。
けれど、別れ際になって、また言葉が喉につかえた。
本当は、もっと聞きたい。
直人の隣にいる自分を、これから先も想像していいのか。
自分が直人のことを好きなように、直人も自分を大切に思ってくれているのか。
聞けば答えてくれるかもしれない。
けれど、答えを聞いたら、その言葉に期待してしまう。
期待した分だけ、もし叶わなかったときに傷つく。
そんなことを考えている自分が、少し嫌だった。
「ほな、また明日な」
直人が手を振る。
「うん。また明日!」
美咲も笑って手を振り返した。
電車に乗ってから、窓に映る自分の顔を見た。
頬が少し緩んでいる。
会いたいと言ってくれた。
一緒にいる時間が好きだと言ってくれた。
それだけで、今日は十分うれしかった。
けれど、美咲はまだ知らなかった。
好きな人と一緒にいたいと願うことと、その人と同じ未来を選べるかどうかは、別の問題なのだということを。
翌日、花火部の部室で、紗季が美咲の顔を見てすぐに言った。
「美咲、何かあったやろ」
「何でやねん」
「顔が違う」
「顔って何やねん。昨日と同じ顔やわ」
「いや、何かうれしそうやもん」
美咲は思わず顔を押さえた。
「そんな分かりやすい?」
「分かりやすいで。亮介も気づくと思うわ」
「えっ、ほんまに?」
「冗談や。あいつは自分のことしか見てへんときあるから」
「聞こえてるぞ、紗季!」
部室の入口から亮介が顔を出した。
「誰が自分のことしか見てへんねん!」
「今の反応が答えやん」
「何やそれ!」
二人のやり取りに、美咲は笑った。
いつもの花火部だった。
紗季がいて、亮介がいて、直人がいる。
卒業が近づけば、この顔ぶれが毎日そろうことはなくなる。分かっていたつもりだったが、昨日、直人と進路の話をしてから、そのことが以前よりも現実味を帯びて感じられるようになっていた。
「で?」
紗季が美咲の隣に座った。
「何があったん?」
「……別に、大したことちゃうねん」
「直人先輩?」
美咲は返事をしなかった。
それだけで、紗季には伝わったらしい。
「ふうん」
「何、その顔!」
「いや、別に?」
「絶対、何か思ってるやん!」
紗季は笑いながら、少しだけ声を落とした。
「うまくいってるんやったら、よかったやん」
その言葉に、美咲は顔を上げた。
からかわれると思っていた。
けれど、紗季の表情はいつもより穏やかだった。
「……うん」
「でも、美咲が何を考えてるかは、美咲が言わな分からへんで。直人先輩も同じやと思う」
「分かってる」
「ほんまに?」
「……分かってるつもり」
美咲は机の上に置かれた資料を見つめた。
直人が卒業した後のこと。
自分の進路のこと。
二人で過ごす時間が変わっていくこと。
考えなければならないことは、いくつもある。
そして、その中には、自分一人で答えを出せないこともある。
いつか、直人とちゃんと話さなければならない。
自分がどうしたいのか。
直人はどうしたいのか。
二人で何を望み、何を選ぶのか。
今はまだ、その問いに答えを出すことができない。
それでも、美咲は初めて、答えが出ないことから逃げずにいたいと思った。
自分の人生だから。
直人を好きになったのも、自分だ。
これから先、何を選ぶにしても、誰かに決めてもらうのではなく、自分の気持ちを知ったうえで選びたい。
窓の外では、風に揺れた木の葉が光を反射していた。
美咲はその景色を眺めながら、胸の中に残る不安を、すぐに消そうとはしなかった。
不安があるからといって、好きな気持ちまでなかったことにする必要はない。
今はまだ、分からないことだらけだ。
だからこそ、少しずつ考えていけばいい。
そう思えるようになったことが、美咲にとっては小さな変化だった。
けれど、将来について考えるということは、いつか自分の選択が、誰かの人生にも関わっていくということだった。
その重さを、美咲はまだ知らない。
ただ今は、明日も直人に会いたいと思っていた。
それだけは、迷わずに言える気がした。
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コメント
1件
美咲の「卒業しても会ってくれる?」って問い、すごく胸にきました。直人が「変わることと会いたくなくなることは別」って応えたのも優しくて。進路も恋も「自分で選びたい」と思い始めた美咲の成長がじんわり伝わってきて、とても好きな回でした🌸