テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#幼なじみ
翌日、優人は机の引き出しからプラスチック容器を取り出し、看護助手たちの控室へ向かった。
そっと部屋をのぞくと、主任の杉本がデスクで事務作業をしているところだった。
「杉本主任、失礼します」
声に気づいた杉本が顔を上げ、驚いたように目を丸くした。
「あらまあ先生、どうしたの? こんなところまで」
医師が看護助手の控室に来ることはほとんどないため、杉本は驚いていた。
優人はデスクへ近づき、容器を差し出した。
「遠坂さんにこの容器を返そうと思って」
「容器?」
「昨日差し入れをいただいたので……」
「七星ちゃんが先生に差し入れを? あら、そうだったのね。それはわざわざありがとうございます」
「一応、軽く洗っておきました」
「まあ、ご丁寧に。で、差し入れは何だったの?」
「“つくし”の卵とじです」
「つくし?」
杉本は驚いたように目を見開いた。
「たまたま彼女がつくしを摘んでいるところを見て、僕が食べたことないと言ったら作ってきてくれたみたいで」
「へぇ~、そうだったのね。で、お味はどうでした?」
「すごく美味しかったです。春の苦みがちょうどよくて」
「それなら良かったわ。あの子、ああ見えても、お料理の腕は抜群なのよね」
「そうなんですか?」
「ええ。小さい頃から台所に立ってたみたいでね。たまにパンやケーキを焼いて持ってきてくれるんだけど、それがもうプロ並みに美味しくて」
優人は意外そうに眉を上げながら、容器を机の上に置いた。
そのとき、杉本が書いていた勤務シフト表が目に入った。
「勤務シフトですか? 大変ですね」
「ええ。今の若い子たちは土日は休みたいだのなんだのって、要望が多くてねぇ。毎月憂鬱よ」
「それは医師も同じですよ」
書類を覗き込んでいた優人は、一番上の勤務表が七星のものであることに気づいた。
「それ、遠坂さんの?」
「そう。あの子は我儘を言わないから助かるのよ。土日も率先して出てくれるし」
「そうなんですか……」
そのとき、“遠坂”の横に書かれた“七星”の漢字が目に留まった。
「遠坂さんの下の名前って、“七つの星”って書いて“ななせ”って読むんですね」
「そうよ。素敵な名前よね」
「それって、もしかしてテントウムシの“ななほし”から取ったのかな?」
優人が言った瞬間、杉本は目を見開いて大笑いした。
「あははは、先生ったら、もうやだ~」
「え?」
「親が娘に“虫”の名前をつけるわけないでしょう?」
優人は顔を真っ赤にし、頭を掻いた。
「……ですよね。じゃあ……」
「七つの星といえば北斗七星よ。ほら、夜空の」
「ああ……なるほど」
「昔、七星ちゃんから聞いたんだけど、お父さんが天文好きだったらしくてね。それで北斗七星から取って名付けたんですって」
「そうでしたか……」
「そんなお父さんでも娘を捨てちゃうんだから……ひどい話よね……」
「娘を捨てる……?」
杉本はハッとし、声を潜めた。
「彼女、幼いころにご両親が蒸発しちゃって、おばあさんに育てられたの。ああ見えて、けっこう苦労してる子なのよ。あ、ここだけの話よ」
「…………」
七星の意外な過去を知り、優人は神妙な表情になった。
「でも今は明るく元気に頑張ってるから、先生、心配しなくても大丈夫よ。なんたって、“つくし”を食べたことのない人に、こうやって食べさせてあげるくらい余裕があるんだから」
その言葉に、優人は大きく頷いた。
「たしかに……。あ、じゃあ彼女に“ごちそうさまでした”と伝えていただけますか?」
「承知しました。わざわざありがとうございます」
優人は軽く会釈し、看護助手控室を後にした。
医局へ戻る廊下を歩きながら、優人は考える。
(性格は美奈子と真逆だけど、育った環境も美奈子と真逆みたいだな……)
亡き妻・美奈子の家族のことが思い出される。
美奈子の父親は医者家系に生まれ、自身も名医として名を馳せていた。
親戚にも医師や病院経営者が多く、いわゆる“名家”の出だ。
美奈子自身も教授の一人娘として蝶よ花よと育てられ、幼稚園から大学まで名門私立に通った。
大学卒業後は就職せず大学院へ進み、その後は母親が趣味で経営するセレクトショップを手伝っていた。
とはいえ実質は家事手伝いのような生活で、旅行や習い事に明け暮れる日々だったようだ。
そんな頃、優人と見合いをしたのだった。
(顔は似ているのに、性格や育った環境はまったくの正反対……不思議な感じだな……)
優人が物思いにふけっていると、院長の野中が前から歩いてきた。
「よっ、優人! 少しは慣れたか?」
「あ、先輩……じゃなかった、院長。お疲れ様です」
「先輩でいいよ。ところで、七星ちゃんから“つくし”をごちそうになったんだってな」
あまりの情報の早さに、優人は思わず目を丸くした。
「どうしてそれを?」
「看護師長の小山内さんは、俺にとって大事な諜報員だからな」
「諜報員……それはまた物騒ですね」
「ははっ、冗談だよ。でも病院経営ってのは、細かいところまで目を光らせておかないといけないからな」
「たしかに経営力って大事ですからね。さすが先輩です」
「で、味はどうだった? 生まれて初めての“つくし”の味は?」
「春の苦みがあって美味しかったです」
優人の返答に、野中は彼の肩をパシッと叩き、豪快に笑った。
「だろう? 春は体が苦みを欲するから、旬のものは美味しく感じるんだよ。こっちには海の幸や山の幸、まだまだ美味いものがいっぱいある。たくさん食って、早くお前の一流の腕を見せてくれよ」
「ご期待に沿えるよう頑張ります」
「まあ焦らずにぼちぼちと……ね」
野中は優人の肩をもう一度叩き、笑いながら立ち去っていった。
コメント
14件
ああ見えて料理上手で、ああ見えて苦労人…🤔 優人先生、無意識のうちに七星ちゃんに惹かれ、目が離せなくなってきているかも…!?♡♡♡
亡き妻美奈子さんとは性格も育った境遇も真逆な七星ちゃん。命名が北斗七星からだったとは神秘的💫 優人先生は七星ちゃんの情報のギャップに少し惹かれてる⁉️っぽいけど七星ちゃんはまだみたいね😅男性関係は初心者🔰かな❗️ それにしても華はなハナさんと同感で、何となく病院の方々がお口が軽いなぁ〜💦って感じちゃいましたね⚠️
優人先生 七星ちゃんがてんとう虫を探している所思い出して てんとう虫から名前をつけたのかな?と思ったのかな(*^o^*) でも北斗七星から名前をいただいたとなると七星ちゃんは優人先生のぶれない道標になるべく生まれてきたのかと思えてきました それにお料理も上手なんてもう先生手放せませんね^_^