テラーノベル
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翌日から、シェルターは稽古場というより作戦室みたいになった。
長机の上には台本より先に養生テープが置かれ、ホレの進行表には「読み合わせ」の文字より大きく「雨対策」と書かれている。グルナラは予算を何度も見直し、ミゲロは橋の下へ水が吹き込む角度を測り、ヴィタノフは濡れても使える灯りと使えない灯りを分けていく。
「椅子、全部拭ける素材にする?」
ホレが聞く。
「その前に足りない」
グルナラが答える。
「借りる数増やすと運搬費も増える」
「じゃあ客席、詰めるしかないか」
ヌバーが両手を広げる。
「えー。人気芝居みたいに見せたいのに」
「実際人気なら詰めても成立する」
パルテナが淡々と言う。
「その励まし方ある?」
モルリは入口で雨除け用の透明シートを広げていた。広げ方を誤って、自分の顔にぺたっと張り付き、ハルティナに笑われる。
「それ、本番でやったらダメですよ」
ハルティナが言う。
「大丈夫、本番でやるのはもっと違う失敗だから」
「安心できない」
そんなやり取りが続く中で、サラは奥の椅子に座らせたジャスパートへ温かいお茶を渡した。
ジャスパートは昨夜から、雨音を前提にした音の組み直しをほとんど寝ずに考えていたらしい。目の下が少し暗い。
「倒れたら音響以前の問題」
サラが静かに言う。
「倒れない。今はまだ」
ジャスパートはカップを受け取った。
「でも、雨の音が増えるのは悪くない。扱えれば」
「扱えなかったら?」
「その時は、雨に負けた音になる」
彼らしい答えだった。
一方、サベリオは橋の下から外へ何度も出入りしていた。客席から舞台までの動線、濡れた床で滑りやすい場所、避難させる時の通り道。頭の中で何本も線を引き直している。
デシアが後ろから声をかけた。
「台本、少し変える」
「どこ」
「雨待ちの場面、増やす」
彼女はメモを見せる。
「観客が本当に雨の中にいるなら、舞台の中でも雨を待っていい」
サベリオはその案に、少しだけ息をついた。
「デシアって、現実が来ると余計書けるんだ」
「追い詰められると開き直る方」
彼女は小さく笑った。
その時、グルナラが険しい顔で戻ってきた。手には電話。
嫌な報せの時の歩き方だと、皆すぐ分かる。
「電源車」
彼女が言う。
「押さえられなかった」
「え?」
モルリが振り向く。
「市の手配、先に本命側へ回った」
グルナラは眉間を押さえる。
「豪雨対応で優先順位が変わったって」
しんとする。
ヌバーが信じられない顔をした。
「いや、ずるくない?」
「ずるいかどうかで言えば、かなり」
パルテナが冷えた声で言う。
「でも、向こうの現場も混乱してるはず。今の体制なら、強い方に先に回す」
「だからって」
モルリが噛みしめる。
ニカットはその場にいなかったが、彼の顔が皆の頭をよぎる。責めたい気持ちと、責めるだけで進まない現実が、橋の下でぶつかる。
ホレが進行表へ視線を落とした。
「電源前提の演出、減らすしかない」
ヴィタノフが短く言う。
「減らすじゃない。切る」
その潔さに、空気が一段落ちる。けれど、それは諦める音ではない。余計なものを削ぎ落とす時の音だった。
サベリオはゆっくり頷いた。
「派手さで勝つのは、最初から無理だった」
ジャスパートがカップを置く。
「だったら耳で勝つ」
その一言が、橋の下の真ん中へ置かれた。
雨が増えるなら、その分だけ拾える音も増える。電源が薄いなら、人の声と反響で組むしかない。勝ち目を失ったのではなく、違う勝ち筋がむき出しになったのだと、皆が少しずつ理解し始める。
デシアが台本を閉じる。
「通り雨じゃ済まないなら」
彼女はサベリオを見る。
「こっちも、通り雨みたいな芝居はやめよう」
サベリオはその言葉に、静かに頷いた。
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