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――2026年7月21日 午前十二時五十四分
■■県童ノ宮市湯湯山町東新大群■■―■■ 童ノ宮神社
【童ノ宮市が誇る千年の伝統を持つ奇祭・夏渡りの儀】
湯山の里(現・夢ノ宮市新大群)では、かつて地獄から現れた疫鬼が人々を苦しめたと伝わっています。
助けを求める人々の祈りに応えた御祭神カガヒコノミコト(稚児天狗)は数珠を噛み砕き、自らの分身をいくつも生みだして、疫鬼どもを退けました。
この伝承にちなみ、毎夏の「夏渡りの儀」では子ども達が稚児天狗に扮し、街を巡って家々を祓い清める「子ども鬼ばらい祭り」が行われています――。
受け付けで手渡された観光客向けのパンフレットにはそんなことが書かれていた。
ご丁寧にも、祭りで使うであろう稚児装束を貸し出す店の紹介と電話番号まで添えて。
意外に商魂たくましい土地柄なのかもしれない.
そう思いながらマキオの手を引き民宿のロビーを後にする。
見知らぬ街で迷いはしないかと少し心配だったが、受け付けで教えてもらった通り、民宿「ふもと」から待ち合わせの場所――童ノ宮神社までほぼ一本道の道路だった。
その道路は、地元の人か私達のような観光客かは判断つかないけど、どこか浮かれた様子の大勢の人達でごった返し、おまけに時々車まで侵入してくるので、私はマキオの手を離さないよう神経を使わなければならなかった。
道路のあちこちにはたくさんの出店が立ち並んでいて、ジュウジュウと音を立て醤油がこうばしく焼ける香りが立ち昇り、シャキシャキと鉄板をへらでこする音が聞こえてくる。
軽く食欲を刺激され、焼きそばの出店の行列に加わりたい欲求に駆られるがそれでは待ち合わせの時間に間に合わないと断念。
大人って辛いよね、っと思いながら道なりに道路の角を左に曲がると、少し開けた場所にたどり着いた。
朱色の鳥居を入り口とした、コンクリートの玉垣で取り囲まれた広い空間。
誰かに尋ねて確認するまでもない。風に乗ってどこからともなく太鼓や笛の音が聞こえてくるそこは神社――童ノ宮だ。
「じゃ、取りあえず……神さまにご挨拶って言うか、お参りでもさせてもらおっか。一応、名目はロケハンなわけだし」
「うん!」
独り言のような私の問いかけにマキオが満面の笑顔で応えてくれる。恐らくあまり意味は理解できていないだろうが、それでもいい。可愛いから。
それから岡崎社長のことも思い出す。
このロケは業務命令とはいえ、実質観光旅行のようなものだ。直前、いろいろあったから親子水入らずでゆっくりして、英気を養ってから次の仕事に頑張りなさいということなのだろう。
「この旅行が何ごともなく楽しく終わりますように、ってお祈りするんだよ」
「わかった! マー君、お祈りする!」
ハキハキとした良いお返事。その元気の良さに逆に軽く不安を覚えながら、手水舎で手を洗い清め、拝殿と思しき社殿へと向かった。
五、六メートルほどの比較的急勾配な石段を登り切ったところで――、ハッとマキオが息を飲む声が聞こえた。
「ちょっ、ちょっとマー君! いきなり止まっちゃダメだよ。足を滑らせたら怪我じゃすまないかもしれないでしょ……」
だけど、マキオの反応はない。
マキオはただギュッと握りしめたまま、呼吸をすることを忘れているかのようにただ前だけを凝視している。何ごとなの、と私はマキオの視線を追っていた。
賽銭箱の前で静かにたたずむ参拝者がいた。
浴衣姿の女の子だ。頭の後ろで髪を二つに結び、とても小柄な体格からして恐らく小学校の三、四年生ぐらいだろう。
女の子は静かに瞳を閉じ、拝殿に向かって両手を合わせていた。
その姿は清楚で可愛らしくて――、それでいてどこか近づき難い、みだりに触れていけないようなオーラが醸し出されていた。
邪魔しちゃ悪いな……。
何とも言い表しがたい居心地の悪さを覚え、私は石段の上でモジモジとしていた。
と、お祈りを終えたのか、女の子がふり返る。反射的に私は小さく微笑み、軽く会釈をする。
女の子は少し驚いたような、戸惑っているような表情を浮かべたが――
「あの、ひょっとして――、いきなり失礼かもやけど……」
「えっ」
「栗原マキオ君とお母さん、やんね?」
あ、そっか。岡崎社長の言っていた。
この神社、童ノ宮の氏子総代を先祖代々務めている塚森家の人に私達親子のガイドをやってもらうよう手配するって。
まさか、こんな子供が寄こされるとは思っていなかった。私の想像では土地の歴史を知り尽くしたお年寄りが……。
「え、ええ、そうです」
ぎこちない笑顔で私は女の子にうなづき返す。
「私がマキオの母親で――、マネージャーもしています。栗原ミサキです。お世話になります。あの……」
「やっぱり! うち、塚森のお遣いなんよ」
少し舌足らずな口調でそう言って女の子がペコリと頭を下げてくれる。
「お父さん、じゃなくて――当主の塚森レイジからお二人をご案内するよう言われてるから……仲良うしたってな」
頭をあげた女の子の顔には大輪の花が咲いたような笑顔。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
自然と口もとがほころぶのを感じながら、私は隣で固まっているマキオの手を握ったままの手を揺すり、小さく語りかける。
「ほら、マー君も……。お姉さんにお世話になります、って――」
ご挨拶して? と、私の言葉が終わらないうちに私の手を振り払ってマキオの身体が素早く前に動いた。
えっ、何? と声をあげる暇もなく――マキオは女の子の足元に、まるでセミのサナギのように身体を丸めひれ伏す。
――ジャ、ジャンピング土下座?
息子の突然の行動に私は度肝を抜かれてしまう。
時々、突拍子もないことをする傾向にあったが、ここまでアクティブな行動は……。
一体、どこでこんな仕草を覚えたんだろう? 週一回、芸能事務所に所属するマキオは週一で演劇スクールに通っているが、そこで友達から教わったのだろうか?
「ちょっとマー君! 何してんの! 服、汚れちゃうでしょ! 早く起きなさい!」
「……すまぬ、本当にすまぬ」
絞り出すような声をマキオがあげる。
額を地面にこすりつけたまま、小さな肩を揺らして。マキオは泣きじゃくり、嗚咽していた。
「そなたら墓守衆には……、特にそなたには辛く苦しい想いをさせている。……全ては千年前まろが心に抱いたケガレのせいだ」
思わず私は女の子を見た。
女の子は私ではなく、マキオを見つめていた.
「頼む。どうかまろを許しておくれ――」
「そんなんせんでええから、顔をあげて?」
囁くような優しい声で言って女の子がマキオの前で膝を曲げる。
震えながらマキオが顔をあげる。マキオの顔は涙でビショビショになっていた。
その顔に女の子がそっとハンカチを当てて、
「大丈夫。うちは――ううん、うちらは神様がいつも一生懸命守ってくれてるってちゃんと分かってるから。……だから、泣かんといて」
この子、今、マキオのことを神様って言わなかった?
何の躊躇いもなく。
なんで?
私の息子は栗原マキオと言う名前があるのにどうして……。
混乱しながらも、その様子を私は固唾を飲んで見守るしかなかった。
と、唐突にマキオが泣くのをピタリと止めた。
その表情に悲しみはなく、ただただ、困惑しているようだった。
そして、その場でモタモタとした動きで立ち上がり――
「……ママ?」
瞳に涙をいっぱい貯めたまま、私を振り返り不思議そうに言う。
「どうしたの? そんなところで? ……何してんの?」
いや、それはこっちの台詞だっての。
ていうか、今のは一体何なの? その女の子と以前から知り合いだったっていうこと?
いや、そんなことありえないでしょ……。
突っ込みや疑問が次々へとよぎったけれど――それどころじゃない。
私は石段を駆けあがっていた。
「マー君! マー君、大丈夫なの!? 今朝から様子がおかしかったし、もし体の具合が悪いなら今すぐ……!」
声が震えた。幼い息子の小さな身体を私は力一杯抱きしめる。
そうしなければ、マキオが私の知らないどこか別の世界に連れ去られそうな気がして。
「――大丈夫やで、ミサキさん」
声をかけてきたのは女の子だった。
「ここ、童ノ宮ではようあることやから。お稚児様――、童ノ宮の神様の神気が満ち溢れとるから。マキオ君、ちょっと障ってもうただけや思う」
この子はまた何を言ってるんだ、と思う。
全く理解ができないから、どう答えればいいのか判断できない。
使っているのは私と同じ日本語なのに、まるで宇宙人が喋っているような気持ちにすらなる。
いや、ここは神社だから神様か……。
私が言葉を失っているのをどう受け取ったのか――。
「あっ、そう言えば、まだ自己紹介してへんかったよね」
ハッとして女の子が言う。
「うちはキミカ――。塚森キミカって言うねん」
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