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「……ふふ、ふふふふっ」
静寂を切り裂くように、トオルの不気味な笑い声が戦場に響いた。透き通っているのに底が知れない、どこか現実味のない涼やかな笑い声だ。
「……何笑ってやがる。ボロボロの俺が、そんなに面白いかよ」
俺は折れそうな膝を叱咤し、口内に溜まった血を吐き捨てて睨みつけた。全身の筋肉が悲鳴を上げている。分身にリソースを割きすぎたせいで、視界もチカチカと明滅していた。
「いえ……。ただね、あまりにも君たちが『期待通り』なもので」
トオルは優雅に肩をすくめると、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「っ、喰らえっ!」
俺は残った力を拳に込め、トオルの顔面に叩きつけた。だが――当たらない。右ストレートも、返しの左フックも、死角からの蹴りですら、トオルはまるで見えているかのように、最小限の動きですべて回避していく。
(……チッ、こいつの『予知』は、俺の攻撃がすべて見えてるってのか……!?)
空を切る拳が虚しい。まるで、最初からそこに俺の攻撃が届かないことが決まっているかのような、不気味な感覚。
「不思議ですか? 驚くことはありません。これがワタシの視ている『正解』ですから」
トオルは攻撃をかわしながら、慈しむような、それでいてどこか冷たい瞳で俺を見つめた。
「……理解できませんね。こんな絶望的な状況で、どうして君は諦めないんですか?」
「……諦める、だと?」
俺は乱れる息を整え、口角を吊り上げた。トオルが予知できない「イレギュラー」が、もうすぐ背後に迫っていることを確信しながら。
「諦めねぇよ。……『あいつ』が、もうここに来るからな」
その言葉を聞いた瞬間、トオルの目が細められた。驚きではない。まるで、待ちわびていたプレゼントが届くのを喜ぶ子供のような、純粋な歓喜。
「ええ、知っていますよ。……楽しみです」
ドォォォォォォォォォンッ!
背後の壁が、爆圧と共に内側から弾け飛んだ。瓦礫の煙の中から現れたのは、ボロボロのレイと、そして――もう一人の、俺(分身)だ。
「……ケッ、ちゃんと戻ってきたな、俺」
「当たり前だ。あっちのゴミ掃除は終わったよ」
二人の俺が、一人の俺を見つめ、互いに歩み寄る。
そして、重なり合うように溶け合った。バキバキ、グチャッ、と肉と骨が歪な音を立てて再構築されていく。剥き出しになった筋肉がのたうち回り、裂けた皮膚が無理やり繋がる。
あまりの苦痛に視界が真っ赤に染まるが、俺は歯を食いしばって耐えた。
「……本当に分身してたんだ。うわぁ……やっぱり近くで見るとキモいね、No.1」
レイが、汚物でも見るような冷めた目で俺を凝視している。
「仕方ねぇだろ! 俺は勝つためならなんでもするんだよ! 死ぬギリギリまで足掻いて、ようやくこの場に繋いだんだ!」
俺が怒鳴り返すと、今まで無言だったトオルが、優雅に口元を歪めて追い打ちをかけてきた。
「……ええ。同感です。客観的に見て、非常にキモいですね、今の君は」
「てめぇ、どの口が……!」
イラつく俺を無視して、レイは興味深そうにトオルを観察し始めた。
「……ふーん。あの人がトオル? なんであんな変なマスクしてるの? 掃除の時、邪魔じゃない?」
「ああ、あの怪しすぎるツラした野郎が、予知の覚醒者だ」
「予知かぁ。ねぇ、トオルさん? 覚醒者の秘密、教えてよ」
レイの奴、あいつを前にしてよくそんな軽口が叩けるな。俺の横で、レイは散歩のついでに道を聞くような気楽さでトオルに問いかけていた。
「ふふふ。焦らないでください。とりあえず、ワタシに『参った』と言わせることができたら、教えて差し上げましょう」
トオルが肩を揺らして笑う。ワタシ――。その独特な響きの一人称が、耳障りなほど滑らかに鼓膜を撫でる。
「……また。デッドQの時と一緒じゃん。嘘じゃないよね?」
レイが露骨に嫌そうな顔をして溜息をついた。デッドQ……あの死刑囚とやり合った時のことを言ってるのか。
マスクの奥で、トオルの目が細められる。ハッタリじゃねぇ。こいつは本気で、俺たちの「敗北」を確定した未来として視てやがるんだ。
「分かった。とりあえず予知を超えて、貴方に一撃入れてあげるよ」
レイは淡々と言い放つと、親指を後ろにいる俺へ向けた。
「No.1。戦えるの? 戦えないなら邪魔だから退いててね」
「な……っ! 戦えるに決まって――」
言い返そうとして、言葉が詰まった。レイとトオル。二人の怪物の視線が、同時に俺を射抜いたからだ。
「「無理でしょ?」」
声まで完璧に重なった。レイの冷徹な演算と、トオルの絶対的な予知。二つの異なる「予測」が、俺の限界という一点で一致しやがったんだ。
「君がここまで耐えたこと、それだけで今は『合格』ですよ」
トオルが、もはや俺を戦力としてすらカウントしていない、残酷なほど静かな声で告げる。
「これ以上の無駄な悪足掻きは、ワタシたちの未来には必要ありません」
ワタシたちの、未来。
その言葉の違和感に引っかかる暇もなかった。……クソッ。癪だが、膝が笑ってやがる。立っているのが精一杯なのは、俺自身が一番よく分かっていた。
俺は壁に背を預けたまま、地面に座り込んだ。俺の役割は、ここまでだ。あとは、このふざけた「本物の覚醒者」に託すしかねぇ。
「レイ! あいつの予知を超え、未来を変えろ!」
俺の怒号のような叫びに、レイは振り返りもせず、ただ静かに答えた。
「もちろん。決まってる未来なんて、面白くないもんね」
刹那、レイの足元から『黒い影』が爆発的に展開された。同期(シンクロ)。アレンが捉えきれなかったトオルの死角へ、レイが瞬時に滑り込む。
だが――トオルは踊るような足捌きで、それを当然のように回避した。予知。やはり、レイの動きすらも、あの男の網膜には「既に起きた出来事」として映っているのか。
「……予知って、未来を見てるんだよね?」
回避されたレイが、空中で独り言のように呟く。着地と同時に、レイの周囲の空気がさらに熱を帯び、視界が歪んだ。
「やっぱり理不尽には理不尽、理解不能には理解不能をぶつけよう。……解釈を広げる」
レイが両手を広げる。その左右に、一対の影が現れた。コンマ数秒先の『未来の影』。そして、今この場にいたはずの『過去の影』。「同期(シンクロ)。」レイがその二つの影に、自らの肉体を無理やり重ね合わせた。過去、現在、未来――三つの時間軸の『レイ』が一つの座標に固定される。
「これは……」
トオルが初めて、その動きを止め、驚嘆に目を見開いた。いや、違う。あの男、あんな化け物を前にして……笑ってやがる。
「……この二つの影に自分を重ねることで、あなたの『予知』から、僕という個体を消したんだ」
三位一体となったレイの姿が、陽炎のように揺らめく。予知とは「未来の事象」を視る力。だが、今のレイは「過去」と「未来」を同時に確定させ続けることで、『予知されるべき現在』を消滅させていた。
「さあ、トオルさん。これなら、君の眼にも僕は映らないでしょ?」
陽炎のように揺らめくレイを前に、トオルは静かに、そして深く息を吐いた。驚愕ではない。それは、長年の疑問が氷解したかのような、清々しいまでの納得。
「……なるほど。わかりました。だから、この場面だけはワタシの予知にも映らなかったのですね」
トオルはマスクの奥で、慈しむような、それでいて狂気すら孕んだ笑みを浮かべる。
「知れてよかった。――おめでとう。これで君も、合格です」
その言葉が響いた瞬間、俺は肌が粟立つのを感じた。レイが予知を破ったことすら、こいつにとっては「正解への確認作業」に過ぎなかったのか……?
不気味な静寂が戦場を支配する。「合格」を告げられたレイと、すべてを視通すトオル。二人の怪物の視線が交差したまま、物語はさらなる深淵へと加速していく。