テラーノベル
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とある日曜日の朝。うち、塚森キミカは動きやすいジャージを着て、童ノ宮神社へと向かった。
月に一度の定期奉仕、境内の大掃除に参加するためだ。
タイミングによっては面倒な時もあるけれど、基本、うちは掃除が好き。落ち葉なんかが降り積もったり、雑草が伸びたりしている場所が目に見えて綺麗になったりすると、やっぱり気分がいい。
それに童ノ宮の氏子さん達は若い人もお年寄りもみんな感じがよくて、一緒に何かするのはすごく楽しい。クラスの友達とも会えるし、掃除が終わった後に差し入れてもらえる直来(なおらい)、崇敬会のおばさん達が作ってくれたおにぎりはまた格別だったりする。
養女とはいえ、氏子総代の塚森家の人間であるうちが理由もなくサボるのは神様にも申し訳ないし……。
そんなわけでうちはこの日も張り切って、童ノ宮の広い境内の草むしりに励んでいた、というわけ。
そして、そろそろ終了の時間が近づき――引き抜いた雑草の山を処分するため、ゴミ袋を追加でもらってこようかなと腰を浮かせかけた時だった。
お祭りで使うための道具なんかを保管している社殿、宝物殿の向こうに小さな人影が歩いてゆくのが一瞬、視界の隅に入った。
あの子は誰やったっけ?
その小さな背中に見覚えがなくて、うちは首を傾げる。
わざわざ定期奉仕に参加するほど熱心な氏子さんのご家庭は塚森家とも縁が深くて、そこのお子さん達ともうちは大抵、顔見知りやねんけどな。
とたんに胸の中がザワザワとして来る。あんな所――、社殿の裏なんかであの子は何をしてるんやろ。
そして、一度気になりだしたらそればっかりになってしまうのがうちの性分だった。
「ごめん、ユカリ。ちょっとの間、ここお願いしてもええ?」
「あれ? キミちゃん、どこか行くの?」
「ん。ちょっとな……」
すぐ隣で作業をしていた親友の長谷川ユカリに曖昧な返事をし、うちは宝物殿に向かって歩き出した。
「あれ? ……誰もおらへんの?」
宝物殿の裏手に回り――、思わずうちはつぶやいていた。
童ノ宮の境内が広いとは言え、あくまで境内にしては、だ。
特に遮るものもないから、その真ん中に立てば容易に全体を見渡すことができる。
今だってほんの数秒前、子供がここに回って行くのを目にしたばかりだ。それなのに……。
もっともこの街、いや、うちの人生では今、そこにいたと思っていた人がいつの間にか消えていたなんてことは日常茶飯事だ。生きている人でも死んでいる人でも。
とは言え、このまま誰もいない場所で立ちつくしていても埒が明かない。肩をすくめうちが踵を返そうとした、その時だった。
思わずうちはそれを二度見してしまう。宝物殿の白い壁にクレヨンか何かでビッシリと執拗に落書きがされていたからだ。地面に近い、低い場所だったからすぐには気づかなかった……。
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し、信じられへん。ナンボなんでもアカンやろこれは。血の気が引く思いでうちはそれに近づいてゆく。
火を噴く大怪獣に光輝く剣を携えた甲冑姿の勇者。全身ミサイルだらけのロボットにタイヤも翼もない未来の乗り物……。
子供の夢というか願望というか妄想を、脳内からそのまま取り出したような、稚拙ではあるが驚くほど具体的な世界がそこに広がっていた。
「……キミちゃん?」
後ろから声をかけられる。ユカリがうちを追いかけてきたのだ。
「どうしたの? 大丈夫?」
「だ、大丈夫ちゃうよ!見てや、あれ!神聖な神様のお社にあんなことして!なんちゅー悪ガキや!」
泣きそうになりながらうちはユカリに言いつけていた。
それからしばらくの間が大変だった。すっかり頭に血が昇ってしまい、焦ったうちが「濡れた雑巾」でゴシゴシとやってしまったからだ。
結果、落書きを消すどころかクレヨンの油分を広げてしまい、壁の白い漆喰がまるで殺人現場のような凄惨な様相をうち自身の手で作り出してしまった。
幸いだったのはこの場にいたのが、うち一人じゃなかったことだろう。こんなことになるならさっきの方がまだマシやったと泣きじゃくるうちをユカリは「キミちゃん落ち着いて」となだめすかし、家の台所からメラミンスポンジを取ってくるよう辛抱強くアドバイスしてくれた。
それでこの日はなんとか収まったのだが――
落書きはそれからも毎日のように発見された。それも同じ場所、宝物殿の裏手の壁の下のほうで。
そのたびにうちや他の童ノ宮関係者の誰かが顔面蒼白になって、家からメラミンスポンジを取って来る羽目になった。
当たり前だけど、このことは童ノ宮崇敬会――、社務所で開かれる氏子さん達の会合でも議題として持ち上がった。
「まったく、大問題だよ! よりにもよって氏子総代が、宮司のレイジさんが不在の時に限ってこんなことが起きるなんて……!」
どこかのおじさんが今にも噴火しそうな火山のような表情でそう言うと、そうだそうだとみんなも頷いていた。
ちなみに宮司のレイジさん、と言うのは現・塚森家の当主でうちのお父さんのこと。養父やけど。
だからこんな時、気まずくなって――うちはみんながいる部屋の片隅で、元々小さな身体をさらに縮こませてしまう。そうしている間にも氏子さん達の会話は続いてゆく。
「警察にはこのことを伝えているのか?」
「そりゃもちろん。定期的に見回りに来てもらっているよ」
「だけど、落書きは続けられているし、こんなことを続けている不届き者はまだ見つかってない、と……」
「全く腹立たしい! お稚児様に祟られてしまえばいいのに!」
「ちょっと止めなさいよ」
ギョッとしたように言ったのは、どこかの氏子のおばさん。童ノ宮関係ではよく見る顔だけど、人の名前を覚えることが苦手なうちはいつも忘れてしまう。失礼だから、本人にはナイショだ。
「滅多なことを言うもんじゃありませんよ。もし、本当にお稚児様がお怒りになったら……どんなことになると思うの?」
お稚児様とはこのお宮で祀られている神様の愛称のようなもの。
正式な名称はカガヒコノミコトだが、世間的には別名である稚児天狗の方がはるかに有名だ。
氏子総代の娘であるうちとしてはおばさんの言うことに完全同意。
実際、神様が本気で怒ったところを何度か目にしているけれど、あれは本当に怖いし、生半可なことでは収拾がつかなくなる。
と言っても神様は神様だから基本的には優しいし、大抵のことは受け流してくれる。
だけど、決して起きてはいけないことがしょっちゅう起きるのが世の中だし、それはうちの大好きな童ノ宮でも同じなのだ。とても残念だけど。
「あ、そうだ。この際だからお宮の警備体制を強化して、境内の各ポイントに監視カメラを置くってのはどうだい?」
「おいおい、お宮は神様にとっての家だぞ? そんな場所に監視カメラだなんてとんでもない。不敬だよ、不敬」
「だけど……」
「神様にだってプライバシーはあるんだから。お前だって家に他人の目が入り込むのは嫌だろ?」
「それはそうかも知れないけど、だけど……」
「あんたはどう思うんだいキミカちゃん?」
不意に自分の名前を呼ばれ、思わずうちは顔を跳ね上げていた。
「この状況、どうしたら解決すると思う? いや、具体的な解決策はなくとも何か思うところはあるだろ? なんでもいいから言ってごらん」「え、ええっと……」
「わしらみたいなジジババだけじゃなく、若いやつもドンドン議論に参加せんと。日本の民主主義が死んじまう。……それに童ノ宮はあんたら塚森家の問題でもあるんだからな」
若干、引いているような笑い声が社務所のあちこちから漏れ聞こえる。
やめなさいよ中学生相手に、と眉を顰めるおばさん達もいたが――、確かにその苦言は筋が通っているように思えた。
血が繋がっていないとはいえ、この場にいる塚森家の人間はうちだけやったし、何しろうちはお父さんの、塚森家当主の代理としてこの場にいたはずだ。
いつもの緩い雰囲気で進行する定例会ならまだしも、今は落書きという軽微なものとは言え、童ノ宮が犯罪被害に遭っている真っ最中なのだ。確かに何も発言しないなんてありえない。
だけど、何を言えばええんやろ。うちは考えた。
頭を使うのはあまり得意じゃないけれど、おでこの真ん中が痛くなるほど真剣に。
「……おーい? ……ひょっとして寝てる?」
「あっ、いえっ! 起きてます! そらもう、ばっちし!」
自分で思っていたよりも長考モードに入っていたみたいで、慌ててうちは答えていた。
「あの、うち考えたんやけど――、スケッチブック買って来てあそこに置いとくっていうんはどうやろかって……」
「……うん? ……スケッチブック? それはまた、どうして」
「えっと、あくまでうちの印象やねんけど――、あの落書きを見た限り、あれ自体に悪意はあんまり感じなかったんです。どっちか言えば、自由にのびのび描いてるなって思えて……。場所さえ間違えてなかったら、うちも楽しい気持ちになれたかもしれへんなって」
「ま、待って。ちょっと待って、キミカちゃん。それはつまり、どういうこと?」
「つまり、落書き犯に悪気はなさそうやから、用意するもん用意してあげたら自然と悪戯も鎮まるんちゃうかなーって……」
そう言いながら、少し上目遣いになって氏子さん達を見回す。……社務所全体を微妙な空気が包んでいた。
しばらくの間、みんな、苦笑いを浮かべたり、天井を見上げたりしてうちと視線をなかなか合わせてくれようとはしなかった。中には大袈裟な溜息をつく人もいて、うちを震え上がらせたりした。
微妙な空気のまま何となく議題は進行し、来月街をあげて催す夏渡りの儀という大きな年間行事の話となり――、落書き対策は曖昧なまま会合は終了してしまった。
いまいち誰からも本気では相手にしてもらえていなかった感じだったが、うちは思いついたことはできるだけ実行に移したい人だ。
なので、その日の内に近くの文房具屋さんまで足を運び、スケッチブックを一冊購入した。それを持ってお宮へ行き、いつも落書きがされる宝物殿の裏へと回った。
『絵を描きたい人へ。お社ではなくこっちに描いてください』
そう書いたメモを表紙に貼り付けて、スケッチブックを壁に立てかけておいた。
そして翌日。確認のため、うちは再び宝物殿の裏手に回り――
えええっ、と思わず声を漏らしていた。驚いたというか、呆れたというか……。
たった一日しか経っていないというのに、スケッチブックは最後の一ページまで余白を余すことなく、落書きで埋め尽くされていた。もちろん、宝物殿の壁に残されたものと同じ筆致で。
そして、スケッチブックの背表紙には拙く幼い文字でこう大書きされていた。
ぜんぜんページがたりないんだけど――。
それが目に入ったのと同時、サァーッと血の気が引いて凄まじい眠気にうちは囚われていた。
それから自分が何をどうしていたのか、よく覚えていない。半分起きて半分眠っているような感じ。
ただボーッとしていたら、突然目の前に一組の大きな男の人の手が突き出て来て、パンッと互いの掌を打ち合わせた。
それがかしわ手だと悟った瞬間、うちは自分が自宅のリビングルームにいることに気がついた。
目の前には顔色のよくないお父さんがいて。あれ変やな、今、お父さんはお勤めで東京に出張中やのに。
大きな火事があって、両手じゃ足りないぐらいたくさんの身元不明なご遺体が発見された商業ビルのお祓いの真っ最中なはずやのに。
「……なんでお父さん、家におるん?」
「お稚児様が教えてくれたんだよ。このままじゃキミカに障りがあるかも知れない。早く帰っておやり、って」
そこまで言って、お父さんは急に表情を険しくしてテーブルの上を一瞥した。そこで初めてうちは自分が例のスケッチブックを家に持って帰って来てしまったと気がつく。
スケッチブックは買ったばかりの新品にもかかわらず、まるで風雨にさらされたかのようにボロボロで黒ずんでいた。険しい顔のまま、お父さんはスケッチブックの側にそっと立って
「これについている子はあまり良い逝き方をしなかったみたいだね。キミカに対する悪意は感じられないけれど。……とにかく、これはもう、この世にあって良いものじゃない」
両手を複雑に組み合わせ、お父さんは不動根本印と呼ばれるハンドサインを作る。それから低く振動するような声色で唱え事を始める。
オン アロマヤ テング スマンキ ソワカ。
オン ヒラヒラ ケン ヒラケンノウ ソワカ。
それっきり社殿が落書きで汚されることはなくなり――。毎日いろいろあるけれど、たくさんの人達の助けもあって、なんとかまあまあ元気にうちは生きている。
件のスケッチブックはというと具体的な供養の方法が決まるまで宝物殿の中で保管されることになった。
キミカはもうあれに触れちゃダメだよ、とお父さんは言った。
別に恨まれているとかではないし、どちらかと言えば感謝され好意を持たれているぐらいだけれど、ある意味相性が良すぎてうちはあっち側に引っ張り込まれてしまうらしい。
我ながら難儀な体質やなぁとは思うけど、今に始まった話でもない。
とにかくあのスケッチブックにはもう二度と近づくな、できれば視界にも入れるなと言われていたけれど、一度だけうちはその言いつけを破ってしまった。
ちょっとした事件に巻き込まれ、気は進まなかったけれどとある呪物を持ち出すためうちは宝物殿の中に足を踏み入れていた。
その際、偶然、棚の上に平積みに置かれたスケッチブックが視界の隅に入った。スケッチブックはその厚みを増していた。スクラップブックのように誰かの手によって、新しい紙が何十、何百枚と挟み込まれていたのだ。
きっとその一枚一枚には、余白が残らないほどたくさんの落書きでギュウギュウに埋め尽くされていて。
思わず鳥肌が立った半面、うちは楽しそうやな、とも思った。
そして、人でも怪異でも、本気で楽しいと思えることがあるうちは悪さを働こうとはせぇへんやろと。
落書きが描かれた紙はどんどん増えていって、そのうちスクラップブックでは収まり切れなくなるかもしれないけれど。
――まあ、その時はその時やんな。
そう自分に言い聞かせ、うちは宝物殿を後にしていた。
(了)
コメント
1件
わあっ、めっちゃ良かった…!!😭✨ キミカちゃんの関西弁の語り口がもうめっちゃかわいくて、お話にどんどん引き込まれたよ〜! あの落書きに悪意がなくて、むしろ楽しそうな感じがしてて、キミカちゃんが「スケッチブック置いてあげたら?」って発想するのが優しすぎるし、神様とかお父さんのエピソードも含めて世界観がめっちゃ丁寧に描かれてる…! そして最後の「楽しそうやな」って思うところがもう、全部許してる感あって泣ける…😢💕 続きめっちゃ気になる!!