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2026年7月23日午後5時20分/■■県童ノ宮市湯湯山町東新大群■■―■■童ノ宮神社・祈祷所/浮足坊主
ものの本にはこう記されている。淀んだ水から生じた陰の気と地獄道より現世に浮かび上がった邪気が混じり合い、形を成したものを浮足坊主と呼ぶと。
生じた時より無貌ゆえ、霊毒を凝り固めてこしらえた白い笑面をかぶり、みすぼらしく卑小な体躯を持り、本来水辺で子供を襲い溺死させる程度のことしかできない取るに足らぬ小鬼である。
しかし、その性質は悪逆非道・冷酷無比にて、常に己より弱いものを虐げる事しか頭になく、その心は嗜虐に満ちている。
例えば――。
この世に数多存在する浮足坊主のうちの一匹は、不用意に己の縄張りである川に近づいた幼子を絞め殺し、その遺体が弔われることがないよう雨で濁った流れに落とした。
更にその子供の母親、我が子を失い悲嘆に暮れる女の心に忍び込んで霊毒で満たし、女が壊れてゆく様を心の底から堪能した。
ただ、予想外だったのは絞め殺し捨てたはずの子供が傷一つないピンピンとした姿で女のもとに現れたことだ。
女の心はずっと蝕み続けてはいたものの、いざ息の根を止めようとするとその子供が邪魔をする。神に通じるための唱え事をするわけではない。祭具を振りかざし威嚇してくるわけでもない。
ただジッと凝視してくるだけだ。一点の曇りもない幼いまなざしで。人の目には映らないはずの浮足坊主がそこにいると分かっているかのように。
そのたびに浮足坊主は得体の知れぬ、とんでもないものと自分が相対しているような心持ちとなり、女の心の奥底にある更に暗い場所に逃げ込み、子供の目から身を隠すほか術がなかった。
そうこうしている内に――、まんまとこんな田舎町まで連れてこられてしまった。あの嫌な目をする子供の中に潜むナニカに謀られたのだと浮足坊主が気がついた時は後の祭りだった。
異界に女を引きずり込み取って喰らおうとしたまでは良かったが、突然殴り込みをかけて来た子供に腕を切り落とされるわ、先程も祈祷によって女から引き剥がされ危うく散滅させられそうになるわで、散々な目に遭った。
残った力を振り絞り、その場で実体化することで消滅の危機を回避した浮足坊主だったが――、息をつく暇もなく襲いかかって来たのは三人の人間達だった。
一人は神職姿の中年男。
そいつ自身はただの人間だがその実には得体の知れない力が一体化しているのが分かり、薄気味が悪い。手にした錫杖――これまた、浮足坊主にとって不快な気配で満ちている――で浮足坊主を滅多打ちにして来る。
二人目は大柄な若い男。
この大男は普通の人間なら触れただけで即、狂死するよう呪物、亡者の怨みが憑いた物騒な鉄槌を振り回し浮足坊主に殴りかかって来た。
こいつは隙を突いて頭を食い千切ってやったが、早目に始末ができたのは幸いだったかもしれない。
そして、三人目は女だった。
浮足坊主は怪異として数百年間この世に居座り続けてきたが、こんな女は他に見たことがなかった。ひょっとすれば女は人間などではなく、浮足坊主の同類、怪異かも知れない。
女は異形だった。おぞましさにおいて、浮足坊主に勝るとも劣らないほどの。
女の背中の肉を内側から大きく裂き、外に長く伸び出ているのは触手だった。ムカデのような節足動物を思わせる禍々しいシルエットを持つ計八本の触手群。鈍くメタリックな銀で彩られている。
触手群はそれぞれが独自の意識を持ちながらも、宿主である女の身を護ることを至上命令として結束しているようだった。まず四本の触手が左右に大きく開き、足代わりとなって女を運び、素早く移動させる。
残り二本は防御役。互いを交差させ、怒声をあげて浮足坊主の突き出した岩のような大きな拳をしっかりとガードする。
そして、もう二本の触手は先端部を花弁状に大きく展開。その内側にびっしりと生え並んだ鉤のように曲がった牙で噛みつきをしかけてくる。
牙は鋭かったが、浮足坊主の剛毛はそれ以上に深く、硬い。それに阻まれ、牙は浮足坊主に致命的なダメージを与えるまでには至らない。
だが、しかし。
「――おい、どうした。さっきから動きが鈍いぞ」
浮足坊主が繰り出した鞭のようにしなる蹴りを軽々とかわし、女が右に回り込みながら話しかけてくる。
「全く情けないやつだな。そんなデカい図体をして。息もあがって来たんじゃないのか?」
そう言って女はニヤニヤと笑っている。丸く膨らんだ腹を両手で庇いながら。驚いたことに女は身籠っていた。
言葉による安い挑発よりも、浮足坊主にとってその事実の方が何倍も腹立たしい。人であろうと怪異であろうと子を孕んだ女が自ら立ち向かってくるなど、浮足坊主がこの世に生じて以来あり得ないことだった。
皆、泣き喚いて逃げ惑い命乞いをしてきた。無駄と知りつつ。
なのに、この女は――。
「柴崎さん。挑発するのも程々に」
タンッ、と足音を響かせ――、左側から浮足坊主に接近してきたのは神職姿の男。
「こいつら怪異を侮ってはいけません。どんな術を隠し持っているか、分かったものじゃないですからね」
「あぁ? 塚森レイジ。あなたは本当に口うるさいね。心配してくれるのは分かるが、そういうとこ、キミカちゃんにウザがられてるだろ」
「いや、ウザがられてはいませんから」
なんだこいつらは。
浮足坊主の左右両側を挟み込み、それぞれの得物で手数の多い攻撃を繰り出しながら男女が気の抜けたような会話を続けている。浮足坊主は苛立ちや怒りを通り越して、呆れかえっていた。
どんな馬鹿な人間でも人食いの獣を前にすればもっと緊張した素振りを見せるものだ。
なのにこいつらは、二人がどんな関係かは知らないが、まるでこの後晩飯の買い物にでも出かけそうな雰囲気を出してやがる……。
と、神職姿の男が口をすぼめ――、フーッと煙を吐きつけてきた。一瞬のうちに視界が白で塗り潰される。
ご丁寧なことに、煙には怪異に対する毒性が仕込まれているらしく、浮足坊主は己の内側から腐り果ててゆくような感覚に襲われてた。
「――よし! 捕えた!」
嬉々とした女の声が響く。ガシャガシャと金属が擦り合わされるような音を立てて触手が数本、煙の中から飛び出してくる。獲物を見つけたムカデのようにそれらは浮足坊主の腕や足に絡みついて来る。
馬鹿が、と浮足坊主は内心ほくそ笑む。この女は手強いが、やはり素人だ。触手を信頼しすぎる余り、八本総がかりでも浮足坊主を拘束するほどの膂力はないと忘れている。
捕まえたのはこっちのほうだ。触手ごと引き寄せて――、ゆっくりむさぼり食ってやる。腹を切り裂き、胎児を引きずり出して。
女の胎に宿った人ではない人の子は一体どんな味がするだろう?
浮足坊主が咥内に生唾が溜まるのを覚えた時だった。
「あああああああああああああああああああああ!」
煙に潜む触手の女とは別の、もう一人の女の声が聞こえた。直前まで浮足坊主が憑依していた女だ。
自分を自分で追い詰め、心から愛しているにもかかわらず結果、我が子を遠ざけた愚かでくだらない女。厄介な神職姿の男や触手の女を殺した後、たっぷりと味わい直してやるつもりだった。
なのに、今は浮足坊主に向かって叫び声をあげている。明確な怒りと憎悪、殺意を向けている。ただ自己嫌悪に沈んでいるだけだったのに。
女の変わり様は浮足坊主にとって愉快なものではなかった。
だから、一瞬、目の前にいる対処すべき敵から意識が逸れた。いや、逸らされた。
そして、そこにさらに追い打ちをかけるように、
「――よお、大将。久しぶり」
眼前に首が落ちて来て挨拶をした。女が投げつけたのだ。浮足坊主が食い千切り、血まみれになった男の首を。
そんなバカな、と浮足坊主は戦慄する。
どうして、こいつは生きていられる? どんな人間でも首を食い千切られたら死ぬはずだった。そう、人間ならば。
首に張り付いているのは半ば笑い、半ば怒っているような表情。カッと目を見開いたまま、生首は浮足坊主に激突してくる。
「たまにはお前も味わってみろ。食い千切られたやつの気持ちをな」
低くしゃがれた声で生首がそう呻き――次の瞬間、浮足坊主の首筋に、その剛毛深くにうずまって歯を突き立てていた。焼きつくような激痛が走り、粘つく黒い体液がほとばしる。
浮足坊主はすっかり混乱していた。今日は奇妙な人間どもに驚かされっぱなしだが、これは格別だった。窮鼠猫を噛むというが、食い千切った生首に噛みつき返されるなど聞いたこともない。
喰いつかれた痛みと鬱陶しさに怒りがこみ上げ、浮足坊主は怒声をあげ、生首を振り払おうと滅茶苦茶に暴れようとする。
しかし、そこまでだった。生首の襲撃に気を囚われているうちに、畳の上を這い寄って来た女の触手が近寄り、足首に巻き付いたのだ。
そのまま強い力で足元をすくわれ、グラリと視界が揺れた。浮足坊主はそのまま仰向けに、畳の上に転倒していた。
血まみれの生首が畳の上に転がり落ちながら大声で叫ぶ。
「今だ、レイジやれ!」
「――わかってる!」
感情を一切排した声で短くそう応え、神職姿の男が浮足坊主の胸元に飛び乗る。錫杖を両手でヘリコプターのローターのように回転させながら。見下ろす男の眼光は鋭く、冷たかった。
まずい。これはまずい。全身から血の気が引くのを覚え、無理矢理上体を起こそうとした。
そこに容赦ない一撃――、錫杖の先端、宝珠を模した石突が勢いよく振り下ろされる。浮足坊主の顔面、見る者に吐き気をもよおわせるニヤニヤと笑う白い仮面に。
破片が粉となって飛び散り、その下から浮足坊主の素顔が露わになってゆく。その造形にその場にいた誰もが息を飲んでいた。トドメを刺すべく、錫杖を振るっていた神職姿の男でさえ一瞬、動きを止めていた。
浮足坊主は本来無貌の怪異であり仮面の下にあるのは意味のないただの肉塊だったが、長時間憑依することにより、その宿主の影響を受けることがある。
そして、打ち砕かれた仮面の下から現れたのは、つい先ほどまで浮足坊主が憑依していた女を模倣したグロテスクなデスマスクもどき。
ゴムのような質感の皮はたるみあまり切っており、真っ黒なガラス玉のような瞳には一切の光がない。そして、ポカンと縦に開かれた口には歯もなければ舌もなかった。まるで、そこだけ作るのが面倒になって雑に投げ出したかのように。
悲鳴があがった。声の主はオリジナル――、浮足坊主に憑依されていた女だ。ワナワナと全身を震わせながら、両手で顔を抑えている。指の隙間から覗く目が血走っていた。
「柴崎さん! 栗原さんを後ろに下がらせて! こんなもの――、彼女には関係ない! キミカにも、他の誰にもだ! だから、だから……」
だから殺す、土地を吐くような息おで男が呻く。嫌だ、と女の顔のまま浮足坊主は喚いた。
故郷である地獄に送り返されるのは嫌だ。あそこは何もない。悲鳴もない、涙もない、血すら一滴も流れない。ただただ果てのない闇が広がっているだけで退屈だ。
だから、この世に少しでも留まりたい。爪跡を残したい。その為にはもっともっと、人を殺さなくては。それも、ただ殺すだけではなく、心がグチャグチャに壊れるまで追い詰めてやらなくては。
「これで終わりだ。……死ね」
とどめの一撃を加えるべく神職姿の男が錫杖を振りかざした時――、跳ね上がるようにして浮足坊主はその場に立ち上がっていた。両腕を広げ天を仰ぎ叫ぶ。
「けぇええええええええええええええええええええええええッ……!」
そして、全てが闇に呑まれた――。
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コメント
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おおお、この話やばかったわ…! 浮足坊主の視点で語られる展開、めっちゃ新鮮だった。敵側の内面って作品によっては軽く流しがちだけど、ここまでしっかり描かれてると逆に感情移入しそうになったわ(笑)特に、仮面の下から出てきた宿主のデスマスクもどきの描写がグロくてゾッとした…。 あと、首食い千切られても生きてるあの大男、キッチリ帰ってきて「たまにはお前も味わってみろ」って噛みつくのが熱すぎる。チーム全体の連携もかっこよかったし、ラストの「全てが闇に呑まれた」からの次回が待ち遠しい🔥