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第26話:カードを使わない決意
文化祭の翌朝、天野ミオは自宅の机にカードケースを広げていた。
赤とベージュのデザインに包まれたウルトラレアカード《一目惚れの再定義》は、ほとんど傷がないまま、光を反射している。
机の上には、これまで使わなかった《共感》《鼓動伝達》《距離の調整》などのカードも整然と並んでいた。
どれも、誰かとの関係を前に進めるための“演出道具”だった。
今日のミオは、制服ではなく淡いグレーのカットソーとモカのプリーツスカートを着ていた。
髪は前髪を上げてピンで留め、顔をはっきりと見せている。
窓から差し込む光で、彼女の輪郭が少し柔らかく見えた。
彼女は、カードケースのフタを静かに閉じた。
そして、レンアイCARD株式会社が提供する“カード封印申請フォーム”を開き、ウルトラレアカードの無期限保管申請を行った。
その処理を終えると、スマホの画面に
「あなたの手で、恋のかたちを決めてください」という文字だけが表示されていた。
学校に向かう道すがら、ミオのポケットにはスマホだけ。
カードは持っていなかった。
人混みのなかを歩いていても、誰とも演出が重ならないことに、安心とほんの少しの怖さを感じていた。
校門をくぐると、大山トキヤがいた。
今日はシャツに深緑のカーディガン、ズボンは制服そのままだが、首元に何も巻いていない。
手ぶらで、ポケットには何も入っていないようだった。
ふたりの目が合う。
会話はなかった。
だが、ミオの視線が、はっきりと“伝えたいもの”を持っていた。
そのまま教室に入ると、いつもならスマホを開く生徒たちの指が、今日は少しだけ鈍かった。
文化祭でのアプリ暴走が、思っていた以上に深く響いていた。
使用履歴の公開停止を求める申請数は過去最多。
一部の生徒はカードを持たずに登校するようになり、アプリのランキング機能も非表示設定が急増していた。
そしてその日、教室の後ろの掲示板に、ミオの名前が載っていた。
「演出未使用による、独立恋愛実践者」
これは、レンアイCARD社が“演出なき恋の記録”として認定した、新しいカテゴリーだった。
ミオはその紙を見て、少しだけ顔をしかめた。
自分の決意まで、誰かに分類される。
それでも、今日は胸の奥がすっきりしていた。
大山トキヤが隣で呟くように、口を動かした。
ミオはそれに対し、ただ静かに頷いた。
恋をするということが、誰かに証明されなくても成立する。
その一歩目を、ようやく自分の足で踏み出せた気がした。