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一週間後、瑠璃子は新しい職場にもうすっかり慣れていた。

指導員の木村がいなくても全ての事を一通りをこなせるようになっていた。


この日も瑠璃子は内分泌内科の病棟を回り患者一人一人の健康チェックをしていた。

この病棟に入院している患者の病気は主に糖尿病と甲状腺の二種類だった。

瑠璃子はまず4人部屋のヌシでもある60代の鈴木(すずき)という患者の元へ行く。鈴木は糖尿病患者で食事制限が必要なのにいつも隠れておやつを食べてしまうので担当の佐川医師からは怒られてばかりだ。

瑠璃子が近付くと鈴木が口を開いた。


「瑠璃ちゃん、もうあれからおやつは食べていないからねぇ」

「本当ですか? 鈴木さん偉いです」

「だってあのいつも穏やかな佐川先生にこっぴどく叱られたんですもん。我慢するしかないじゃない」

「鈴木さんは本当に頑張ってて偉いです。でも食欲の秋に食事制限なんて辛いですよねぇ……まああと少しの辛抱ですから頑張りましょう」

「うん、頑張るわ。それにしても瑠璃ちゃんが来てくれたから内科病棟が華やいでいいわぁ。今度また東京の話でも聞かせてよ」

「はーい、時間がある時に来ますねー」


瑠璃子は笑顔で返事をすると、次に向かいにいる22歳の高橋真美(たかはしまみ)のベッドへ移動した。

真美は就職してすぐにバセドウ病の症状が表れかなり悪い状態での緊急入院となった。

今は投与治療で症状は落ち着いていたが精神的なフォローが必要な患者だった。

バセドウ病はホルモンの増減時に鬱に似た症状が表れるので注意が必要だ。


「真美ちゃん、具合はいかがですか?」

「はい、特に変わりはありません」


真美は消え入りそうな声で答える。真美はここ最近食欲が落ち気分が沈む日が増えている。


「真美ちゃん、良かったら気分転換に談話室に行きませんか?」

「はい」


真美は素直に瑠璃子について来た。きっと誰かと話したかったのだろう。

午前中の談話室には誰もいなかった。

瑠璃子は無料で飲めるお茶を紙コップに入れると真美の前に置いた。


「不安ですよねー、気持ちわかります。私が前にいた東京の病院でも同じような患者さんがいたから」

「私と同じ? そうなんですか?」

「はい、その方は男性で就職して2年目にバセドウ病を発症してね。バセドウ病って女性の方がかかる率が高いのになんで自分はなってしまったんだろうってずっと悔しそうだったわ。それに彼の場合、結局自分から辞める形で仕事を退職させられたみたい」

「可哀想……じゃあ休職扱いにして見守ってくれているうちの会社はいい方なんですね」

「そうよ。それにこの前会社の方がお見舞いに来てくれたんでしょう? いい会社じゃない」

「はい。この前来てくれたのは課長なんですが焦らずゆっくり治しなさいって言ってくれました。入社以来ずっと父親のように接してくれる課長なんです。でもそう言って貰えるのって実は幸せな事なんですね」

「そうよ、いい会社で良かったじゃない」

「瑠璃子さん、ありがとう。私、頑張って治します。病気になんて負けてられないわ」

「その調子よ。薬を飲んで安静にしていればきっと良くなるわ、だから焦らず治しましょう。そういえば真美ちゃんは読書が好きだったわよね? 今度私本を持ってきてあげる。私も読書が好きでオススメがいっぱいあるのよ。今は時間がいっぱいあるんだから読書にでも専念したら? 会社に戻ったらそんな時間も持てなくなるだろうし今のうちに」

「うわぁ瑠璃子さんありがとう。是非読みたいです」


真美は先ほどまでの鬱々した姿はどこへやら今は満面の笑顔を見せていた。


その時談話室の廊下には大輔がいた。大輔は手術予定患者のデータを内科まで取りに来ていた。

談話室の廊下を通りかかった時、瑠璃子と真美の会話が聞こえて来たので思わず足を止めた。

その後二人が楽しそうに本の話を始めたので大輔は緩んだ頬のまま静かに医局へ戻って行った。


その日の昼休み、瑠璃子は病院の裏庭のベンチにいた。

指導員の木村の手を離れ単独で行動するようになってからは弁当持参でここで食べている。

10月初旬の岩見沢は朝晩は冷え込む日が増えていたが、日中は晴れるとぽかぽかして気持ちがいい。

自然が好きな瑠璃子は誰もいない裏庭のベンチへ座り弁当を食べ始めた。

目の前には白樺や落葉樹が並んでいてちょうど紅葉が見頃だ。ハラハラと落ちていく赤く染まった葉を眺めていると心が落ち着く。


瑠璃子は弁当を食べ終えると先ほど自販機で買った缶コーヒーを開けて一口飲んだ。

その時突然携帯が鳴った。電話は母からだった。


「もしもし、お母さん?」

「やっと繋がった! びっくりしたわよ、もうっ! 事後報告なんて! で、今は岩見沢なの?」

「うん、今月から新しい職場で働き始めたところ。ほら、岩見沢の大学病院」

「ああ、あそこなのね」


母は瑠璃子が大学病院で働いている事を知りホッとしたようだ。


「でもどうして急に? 道夫(みちお)さんも驚いていたわ。転職するなら道夫さんの知り合いの病院がいっぱいあるんだから一言相談してくれれば良かったのにって」


母が言う『道夫さん』とは母の再婚相手で医師をしている瑠璃子の義理の父の事だ。


「ごめんなさい。なんか急に岩見沢に行きたくなっちゃって、で、その時ちょうど求人があったから受けてみたの。あ、ごめんお母さん、もうすぐ昼休みが終わっちゃう。また今度ゆっくり電話をするから、じゃあまたね」


瑠璃子は電話を切るとフーッと息を吐いた。その時誰かが瑠璃子の傍へ近づいて来た。

瑠璃子が顔を上げると、そこにはネイビーのスクラブスーツに白衣を羽織った大輔が立っていた。


瑠璃子はびっくりして立ち上がるとこの前の礼を言う。


「先日はありがとうございました」

「いえ、ここに座ってもいいですか?」

「はい」


瑠璃子が返事をすると大輔はベンチに座り缶コーヒーを開けて飲み始めた。

瑠璃子は少し緊張気味に食べ終えた弁当箱を片付けながら大輔に言った。


「こちらにお勤めだったのですね」

「はい、4階の外科にいます」


二人の間に一瞬沈黙が流れる。しかし今度は大輔が口を開いた。


「もう慣れましたか?」

「はい。皆さん親切なのでもうすっかり」


瑠璃子は再び缶コーヒーを手に取ると一口飲んだ。

その時大輔は瑠璃子の方を向き瑠璃子が左胸につけている名札を見ながら言った。


「下のお名前は瑠璃子さんなんですね」


大輔が突然名前の事を言ったので瑠璃子はびっくりする。

まさかそんな事を聞かれるとは思わなかったからだ。


「はい、亡くなった父が瑠璃色が好きだったのでこの名前をつけたみたいです」

「そうでしたか。お母様はご健在ですか?」

「はい。母は私が高校生の時に再婚して今は義理の父と東京にいます」


瑠璃子の言葉を聞いた大輔は何か納得したような顔をしてから一言だけ返した。


「そうでしたか…」


その時瑠璃子は時計を見てハッとした。


「そろそろ時間なので戻りますね」


瑠璃子は荷物をまとめると大輔に軽く会釈をしてから病院内へ戻って行った。

その場に残された大輔は缶コーヒーをグイッと飲んでから青く澄んだ爽やかな秋空をじっと見つめ続けた。


その時たまたま裏庭近くの渡り廊下を歩いていた長谷川は、二人のやり取りを微笑みを浮かべながら見つめていた。

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