テラーノベル
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翌日、七星は仕事に入る前、脳神経外科病棟のフロアで、きょろきょろと周囲を見回していた。
その様子に気づいた看護師長・小山内が声をかける。
「七星ちゃん、誰か探してるの?」
呼びかけられた七星は立ち止まり、振り返った。
「あ、師長、おはようございます。えっと……新しく入った先生は……?」
「ああ、尾崎先生? 今日は遅番だから、お昼前に来るんじゃない?」
「そっか……」
「何か用事があるなら伝えておくけど?」
その言葉に七星は一瞬ためらったが、小山内に小さなプラスチック容器を差し出した。
「じゃあ、先生が来たら、これ渡してください」
「何? 食べ物?」
「“つくし”です」
「え?」
「昨日、私がつくしを採っているところに偶然先生が来て、食べたことないって言うから……」
「へぇ……尾崎先生、“つくし”食べたことないんだ」
「びっくりですよね」
「うん。でもまあ、東京の人はほとんどそうなんじゃない?」
「やっぱそうなのかな~。じゃあ、お願いします」
七星は小山内に容器を渡し、ぺこりと頭を下げて歩き出したが、ふと思い出したように振り返った。
「あ、食べる前に少し“チン”したほうが美味しいですって伝えてください」
「分かったわ。これ、卵とじ?」
「そうでーす」
満面の笑みを残して七星は仕事場へ戻っていった。
その後ろ姿を見送りながら、小山内は微笑む。
そこへ、ちょうど院長の野中が通りかかった。
「師長、朝から何笑ってんですか?」
「あ、院長。おはようございます」
「おはよう。何かあったの?」
「いえ、七星ちゃんがこれを尾崎先生にって……」
言い終わらないうちに、小山内はまた笑みをこぼした。
野中は彼女が持っている容器を不思議そうに見つめる。
「これ、食べ物?」
「はい。つくしの卵とじですって。尾崎先生に食べてほしくて作ってきたみたいですよ」
「ええっ!」
いつの間にそんな展開になっていたのかと、野中は驚いた。
「たまたま、つくしを採っているところに先生が現れたらしくて。食べたことないと聞いて、食べさせようと思ったみたいです」
説明を聞き、野中はようやく納得したようにうなずいた。
「なるほど。まあ確かに、彼は“つくし”なんて食べたことないだろうな。生まれも育ちも東京のど真ん中のシティボーイだから」
「やだ、院長。“シティボーイ” なんて昭和の死語ですよ」
「ははは、そうだったね」
二人は顔を見合わせて笑った。
笑いが落ち着くと、小山内が小声で言う。
「彼女、尾崎先生の心を溶かしてくれるかもしれませんね」
「ん?」
「七星ちゃんに瓜二つの方と結婚された後輩って……尾崎先生のことですよね?」
その言葉に、野中は表情を引き締めた。
「さすが師長。覚えてましたか」
「ええ。年を取っても、記憶力はまだまだ衰えてませんから」
「さすが、頼もしいな」
野中は大げさに肩をすくめてみせる。
「ねえ院長。もしかして……あえて彼をこの病院に呼んだんじゃありません?」
鋭い指摘に、野中は目を丸くし、にやりと笑った。
「さすが師長。洞察力もピカイチだなあ……」
「ふふっ、あなたのことは子供のころから見てきてるんです。すぐに分かりますよ」
「うっ……師長の前じゃ悪いことできないなあ……」
「そういうことです」
「参ったな。まあ、あの二人のこと、よろしく頼みますよ」
「お任せください。では持ち場に戻りますね」
「よろしくお願いします」
二人は軽く目で合図を交わし、それぞれの仕事へ戻っていった。
#幼なじみ
お昼前、優人が出勤してきた。
担当患者の病室を回ったあとナースステーションに寄ると、小山内が声をかける。
「先生、医局に戻られますか?」
「はい。何か?」
小山内は休憩室の小さな冷蔵庫からプラスチック容器を取り出し、優人に手渡した。
「これは?」
「七星ちゃんからの差し入れです」
「え?」
「先生が食べたことのない“つくし”を、卵とじにして持ってきてくれたみたいですよ。少し温めてから召し上がってくださいって」
「…………」
優人は驚きすぎて言葉が出なかった。
ちょうどそのとき、遅番の看護師たちがぞろぞろと入ってきた。
その中には平子由希の姿もある。
小山内は慌てて優人の背中を押し、医局へ戻るよう促した。優人は素直に従う。
医局には誰もおらず、優人は言われた通り容器をレンジで温め、自分の席へ持っていった。
蓋を開けると、昨日見たつくしがしんなりと卵でとじられている。
優人はそれを一口食べてみた。
春のほろ苦さとシャキシャキした食感、甘辛い味付けが絶妙だった。
(うん、いける。つくしって、けっこう美味いんだな……)
早めの昼食を済ませていたにもかかわらず、優人はあっという間に平らげてしまった。
食べ終えると、容器を丁寧に洗い、きれいに拭き上げる。
そして、ふと手を止めた。
(これ、いつ返せばいいんだ?)
まだ仕事は始まったばかりだ。
少し考えた末、優人は洗った容器をそっと机の引き出しにしまった。
コメント
15件
素朴なつくし料理を作ってあげる優しさに癒やされる꒰ ๓'ᵕ'๓ ꒱⊹ᕷ アピールとか下心がない七星ちゃん💕優人さんの心に響いたらよいなぁ(*´꒳`*)ニマッ♡
最高援護隊が出来たようですね♪ つくしかぁ・・私も食べた事ないです(^_^;) PCと携帯、連動してないのが謎です・・・ヒトリゴト
つくし料理懐かしいです。 子どもの頃、佃煮や天ぷらにしたのを食べていました✨️