仕事を終えた杏樹と美奈子は駅近くの居酒屋へ向かう。二人で飲みに行く時にいつも行く店だ。
この店は女子が好むメニューが多く半個室の席で居心地もいい。
月曜日の早い時間なので店内は空いていた。
「ホタテときのこの味噌マヨ焼き食べたい! あとはサーモンの生春巻きもね」
「きのこのコロッケボルチーニクリームソースって新メニューかな? これもいいですか?」
「もちろん! 秋っぽいメニューが多くていいねぇ」
「あとは天ぷらも食べたいです」
「じゃあ盛り合わせにしよっか?」
料理を注文した後二人は生ビールで乾杯する。
「プハーッ、仕事の後のナマは美味いっ!」
「ですねぇ。でもまだ月曜ですよー、先が長いなぁ」
「まあさ、これで活力つけて明日からまた頑張ろうよ」
「はい、頑張りまーす」
そこで美奈子が聞いた。
「で、何があった?」
「____失恋しました。見事に振られました」
「…………」
美奈子は一瞬押し黙ったがすぐに口を開いた。
「杏樹の相手って森田さんでしょう?」
「えっ? 先輩、ど、どうして?」
杏樹は驚く。
杏樹は美奈子に正輝と付き合っている事を隠していたからだ。
「私敏感体質だからすぐにわかっちゃんだよねー」
美奈子は笑いながら言った。
「え? で、でも、いつから?」
「気付いたのはバレンタインの時かな? まああの時は相手まではわからなかったけどね」
「…………」
確かにあの頃は初めてのバレンタインだったので杏樹も少し浮かれていたかもしれない。
しかし思えばあの後から気持ちは徐々に下り坂だったような気がする。
「バレてたんだ! だったら言って下さいよー」
「フフッ、本人が隠したがっているんだから言える訳ないでしょう? 社内恋愛はデリケートだしね」
「すみません、隠していて」
「気にしなくていいわよ。で? いつ別れたの?」
「土曜日に突然呼び出されて言われました」
「___ったく森田さんもバカだよねー、だって付き合ってまだそんなに経ってないんじゃない?」
「1年ちょっとですね」
「やっぱり! そんなに簡単に別れるなら職場の女に手を出すなってーの」
「ですよね。仕事もやりにくくてなんだか憂鬱で」
「まだ周りに知られていないだけマシだけどねー」
「はい、それだけが不幸中の幸いでした」
「うん、ほんとそう。それに杏樹が森田さんと付き合う前にもし私が知ってたらーって結構後悔してる。いろいろ助言出来たのになーって」
「助言?」
「そう、森田さんの事」
「え? 何か悪い噂があるんですか?」
「うん。森田さん前は横浜支店にいたでしょう? その時に色々やらかしたのよ。同期が横浜支店にいるから色々聞いちゃってさ」
「え? やらかしたって何を?」
「女関係のトラブル。行内の女二人に二股」
「…………」
「それが原因で異動になってこっちに来たんだよ」
「嘘っ、信じられない」
「杏樹はあいつの表の顔に騙されちゃったわね」
「でも、付き合っている時にそんな様子は微塵もなかったのに?」
「森田さんってデートにちゃんとお金をかけてた?」
「____あんまり…かもしれません」
「でしょう? そういう男なんだよ。それはきっと他に使ってるって事!」
「でも二股はされていないと思います。多分被っていた時期はないはずだけど…」
「え? ちょっと待って! それってもしかして森田さんにはもう次がいるって事?」
「はい、好きな人が出来たから別れようって…」
「相手は誰か知ってる?」
「____早乙女家具のお嬢さんだそうです」
「…………」
美奈子はそれほど驚いた様子もなく黙り込む。
そして少し何かを考えてから口を開いた。
「そういう事か!」
「え? そういう事ってなんですか?」
「融資よ!」
「融資?」
「早乙女家具の担当は森田さんでうちの銀行からは多額の融資をしているわよね?」
「あ、はい……」
「つまりあいつが融資課の課長に口添えしてたっぷりと融資を引き出した…」
「そうなんですか? でも早乙女家具はうちの銀行の古くからの得意先だから元々太いパイプがあったんじゃ?」
「街中の普通の家具店だよー。融資するとしても店の建て替えとか改修費とか微々たるもんでしょ?」
「そう…かもしれませんが」
「多分森田さんと二代目の息子が意気投合したんだろうね。二人は同年代だし長男は外国帰りの意識高い系でしょう? だから余計に気が合うんじゃないの? 森田さんも表向きは意識高い系だから…」
「じゃあうちが多額の融資を始めたのは最近の事なんですか?」
「そう。ただの普通の家具店に高額融資をするなんてどうかしてるって北門課長が前に言ってたわ。まるでバブルの時みたいだって」
「そうなんですね…」
杏樹は融資課の業務については疎かったので美奈子にそう言われてもそんなものなのかなと思う。
「それにしても森田さんって一体何を狙ってるんだろうね? 逆玉なのか、それとも行内での出世を狙っているのかどっちだろう?」
「え?」
「森田さんは入行当時からかなり野心家だったって有名らしいよ。新人の頃から絶対本部に行って上を狙うって豪語してたらしいわ」
杏樹は驚いていた。
正輝が常に上を目指していたのは知っていたが、まさかそのせいで自分が振られるなどとは思ってもいなかったからだ。
「で? どう? 杏樹は立ち直れそう?」
美奈子が心配そうに聞く。
「はい。最近はデートも減っていたしなんとなく彼の気持ちが離れているな―というのは感じていたので、いつかこうなる事は自分でもわかっていたのかもしれません」
「そっか……まあ同じ職場で毎日顔を合わせるからしばらくは辛いだろうけど、何かあれば私が間に入るから遠慮なく言いなさいよ。まあそのうち時間が解決してくれるわ…」
美奈子はそう言いながら料理を杏樹の皿に取り分けてくれた。
「ありがとうございます。でも多分もう大丈夫です」
それは嘘ではなかった。
先ほど正輝に会って涙が出そうになったがなんとかこらえる事が出来た。それが杏樹の自信となっている。
そして今夜美奈子に全てを聞いてもらいかなり心が楽になっていた。
辛い出来事は誰かが共有してくるだけで心がグッと軽くなるのだなと杏樹は思った。
「じゃあ食べよう食べよう! 本当は飲もうって言いたいところだけれどまだ月曜だしねー」
「ですね、明日二日酔いで出勤なんて勘弁です」
「フフッ、私もよ」
そこから二人は美味しい料理を食べながら話題を楽しいお喋りへと切り替える。
「そういえば明日から新しい副支店長が来るんだよね。前田副支店長は明日までだから明日は二人で引継ぎかな? 今度はどんな人が来るんだろうー。うちに来るって事はエリートコースの人でしょう?」
「確かに。うちの副支店長を1~2年経験すると皆本部の重要なポストに行きますからねー」
「昔からそういう流れなんだよね。採用時からエリートコース確定で数年間一般業務をやってから海外へ行く。で、本部へ戻ってから一般の支店で副支店長を経験した後再び本部へ戻って要職に就く。もうさ、選ばれし者って感じだよねー。だから森田さんみたいに野心があってもかなわないっちゅーの」
「ほんとそうかも。おそらく頭の構造からして違いますよね。え? でも孝輔さんは本部に行ったじゃないですか? あ、孝輔さんは頭がいいからか!」
今杏樹が言った孝輔とは美奈子の恋人の吉川孝輔(よしかわこうすけ)だ。
孝輔は杏樹達と同じ銀行に勤めていて最近都心の支店から本部へ移ったばかりだ。
美奈子と孝輔は現在婚約中で今は結婚へ向けて資金を貯めている最中だった。
「でも先輩も孝輔さんももう充分お金は貯まっているのにまだ貯めるんですか?」
「うん。結婚と同時に新築分譲マンションに入りたいのよー」
「じゃあマンションを買うんですね?」
「そうそう。ほら、私のアパートは毎年ゴキちゃんが出る築古物件だし孝輔のマンションも結構古いし。だから結婚したら新しい所に住みたいのよー。孝輔は本部に移ったからこの先転勤はほぼないだろうしね」
「二人ともちゃんと考えていて偉いなー。金銭感覚の一致って大切ですよねー」
「そうそう、結婚相手を決めるならやっぱり金銭感覚が合わないとね。あと計画性とか将来の見取り図がしっかりした人がいいって思う」
「なるほど……勉強になります」
「もし今度男性と付き合う時はその辺をしっかり見極めた方がいいわよ。森田はブランド物ばっかり買ってたし金遣いが荒かったんじゃない?」
「はい…新車買ってもすぐに乗り換えてました」
「ほらね。だから結果的には別れて正解だったのよ。そういう人とは結婚しても苦労するのが目に見えてるわ」
「今になってみれば私もそう思います」
「杏樹は美人なんだから絶対にまたいい人が現れるわ」
「ありがとうございます。でももう恋愛は懲り懲りです」
そこで杏樹は今来た白ぶどうサワーを一口飲むと続けた。
「そういえば私引っ越すんです」
「え? あの綺麗なマンションから?」
美奈子は杏樹の家に何度か泊まった事があるので杏樹のマンションを知っていた。
「はい。伯父が所有しているマンションが空いたからそこへ」
「それって前に言ってたタワマン?」
「はい」
杏樹は満面の笑みで答える。
「うわー、実家…じゃなくて伯父が太いって羨ましいー。でもちょうど良かったじゃない、引越しって気分転換になるし。それに職場からも近いんでしょう? 最高じゃない」
「はい」
「で、いつ引っ越すの?」
「今度の土曜日です」
「うわっ、それは急だねー。手伝いに行こうか?」
「大丈夫です。ミニマリストブームに乗ってだいぶ荷物も減らしていましたから」
「そっか。じゃあ落ち着いた頃に新築祝いを兼ねてお邪魔しようっと! タワマン見学したいー」
「もちろん大歓迎です」
「やったー楽しみー」
その後は杏樹が引っ越すマンション近くにある店の話題で盛り上がった。
そして明日も仕事がある二人は少し早めの夜9時前に店を出た。
コメント
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新車やブランド物にはお金をかけるのに釣った魚にはかけないんだね
正輝はいずれ落ちて行くんじゃないかな?そうであってほしい…( ´-`) で、土曜日の引越しが楽しみすぎる~(*´艸`)イケメンに再会する日かな?( *´︶`*)
明日はとうとうご登場ですかね🤗ワクワクが止まりません🤭続きが読めて何より嬉しい💓💓💓杏樹ちゃん、別れて正解だったね。下衆男には天罰が下るわよ😆必ず!