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翌朝出勤した杏樹はいつものように窓口で開店準備を始める。

作業をしながらチラリと副支店長席を見ると優弥は電話を受けていた。先ほど本部からかかってきた電話はまだ続いているようだ。

そこへ2階から降りて来た正輝がやって来て後方の端末で通帳の記帳を始める。正輝を横目に見ながら杏樹は特に気にする風もなく仕事を続けた。

最近杏樹は正輝と廊下で会っても普通に挨拶を返せるようになっていた。


その日の昼休み杏樹はいつもよりも遅めに食堂へ行った。本当はもっと早く来る予定だったがお年寄りの接客に時間を要しこの時間になってしまった。時刻は既に13時半を過ぎていたので食堂には他に二人の行員しかいない。

杏樹は手を洗ってから朝子に声をかける。


「朝子さん遅くなってすみません、お願いします」

「杏樹ちゃん遅かったわねー、今日はフライ定食よ」

「わぁ、白身魚のフライ? 嬉しいー」


杏樹は笑顔でカウンターの前に立つ。朝子が作るタルタルソースが絶品なので杏樹はこのメニューが大好きだった。

そこへもう一人行員が入って来た。杏樹が振り返るとそこには正輝がいた。


(えっ、嘘っ! 得意先課がこんな遅くに来るなんて……)


外回り中心の得意先課がこの時間に来るのは珍しい。大抵皆一番に食事を終えてから午後の外回りに出かける。

だから正輝がこの時間にいるのは珍しかった。


正輝と目が合った杏樹は仕方なく会釈をする。すると正輝が声をかけた。


「お疲れ!」

「お疲れ様です」


正輝に気付いた朝子も声をかける。


「あーら森田さん遅いじゃないのー、珍しいわね」

「午前のお客さんにつかまってこんな時間になっちゃいました」

「外回りも大変ねー、お腹空いたでしょう? ご飯大盛りにしてあげるわね」

「ありがとうございます」

「じゃあ杏樹ちゃんが先ねー、はい、どうぞー」

「ありがとうございます、いただきます」


杏樹はグラスに水を入れてから逃げるようにその場を離れた。

そして空いている窓際の席へ座り食べ始める。正輝が来た事で一気に食堂の居心地が悪くなった。


「森田さんもはーい、ゆっくり召し上がれー」

「ありがとうございます」


カウンターの方から二人のやり取りが聞こえてきたが杏樹は気にせずに黙々と食べ続けた。

しかしその平和な時はすぐに終わりを告げる。

なぜならトレーを持った正輝が杏樹のテーブルまで来たからだ。


(!)


杏樹の身体に緊張が走る。


(何を考えてるの? テーブルは他にもいっぱい空いているのに)


二人は交際中も一緒のテーブルで食事をする事はなかった。そのくらいいつも人目を気にしていた。

それなのになぜ今更一緒のテーブルで食事をしなくてはならないのか?


「前に座ってもいい?」


正輝の言葉に対し杏樹は小声で言った。


「出来れば違うテーブルに行って欲しいんですけど」


すると正輝は苦笑いをしている。


「いいじゃん、今はただの同僚なんだし」

「それでも嫌なんです」

「冷たいなぁ…もしかして新しい男でも出来た?」


(ハッ? 何言ってんの?)


杏樹は怒りが湧いてくる。杏樹がその怒りを必死に抑えようとしていると正輝はさっさと前の席に座ってしまった。

杏樹は咄嗟に違う席へ移動しようかと考えたが同僚が見たら変に思うだろう。カウンター内にいる朝子にだって気付かれてしまう。

そう思った杏樹は仕方なく椅子に座ったまま正輝に聞いた。


「何か用ですか?」

「うん? いや、特にそういう訳じゃ」

「だったら今後はこういうのやめてもらえませんか? 私は一人でゆっくり食べたいんです」

「冷たいよなぁ、別れた途端手のひら返しみたいでさぁ」


(ハァッ? 振ったのは自分でしょう?)


杏樹はまた怒りが湧いてきたがここで興奮しても言い返せないのでそのまま黙り込む。

すると正輝が再び口を開いた。


「杏…あ、桐谷さんってもしかして引越した?」


突然正輝がそんな事を切り出したので杏樹は驚く。なぜ正輝は杏樹が引っ越した事を知っているのだろうか?

杏樹はその要因を探るべく住所変更届を庶務に出した時の事を思い返していた。


(あ、確か私が書類を庶務の沙織さんに持って行った時、近くに得意先課の須田さんがいたような? あの時の会話を須田さんが聞いていたのかな?)


杏樹は須田が正輝に話したのだろうと思った。


「はい、引っ越しました」

「やっぱりそうなんだ」

「はい。でもそれが何か?」

「じゃああのマンションにはもういないんだね」


正輝が『あのマンション』と口にしたので思わず杏樹は正輝を睨む。そして周りを見回した。

食事中の同僚達はテレビに夢中だったので杏樹はホッとする。


「あの、あまり個人的な話はしないで下さい。私はまだまだここで働き続ける予定なんですから」

「ごめんごめん、そうだよね。俺と付き合っていたのがバレたらまずいよね、銀行にも、誰かさんにも」

「?」


正輝の含みを持たせた言い方が気になったが正輝が何を言いたいのかわからずに杏樹は困惑する。


「何が言いたいのかわかりませんが、私はあなた達二人の邪魔はしませんから安心して下さい」

「ふーんそうなんだ。桐谷さんは今幸せだから余裕なんだねー」


正輝はニヤニヤしながら言う。


「ハァッ? 一体何を言いたいのですかっ?」


イラついた杏樹が小声でそう聞き返した時、また食堂に誰かが入って来た。


「朝子さんお願いします」

「あーら副支店長、今日は随分遅かったのねー」


入って来たのは優弥だった。


「今日は朝からバタバタと忙しくてねー、今やっと解放されましたよ」

「お疲れ様、じゃあお昼休みくらいはゆっくりしないとねー」


朝子は素早く料理を用意して差し出す。


「ありがとう」


トレーを受け取った優弥はグラスに水を入れてから杏樹達が座っているテーブルへ向かって来た。

そして二人に声をかける。


「ここに座ってもいいかな?」

「どうぞ」


杏樹だけが明るく答える。杏樹にとっては急遽現れた優弥が救世主のように思えた。

優弥は杏樹の隣に座ると食事を始めた。


「そうそう森田さん、15時の徳田税理士事務所さんの件、あれ今日課長も行く事になったから」

「え? 課長がですか?」

「うん、一つ気になる点があったみたいで一緒に行って確認したいらしい」

「わかりました」

「それ…と、桐谷さんは昨日双葉自動車の社長のお母様の応対をした?」

「はい、しました」

「社長が得意先課の和田君に言ったそうだよ。社長のお母様がキャッシュコーナーで困っていたところへわざわざ窓口から出て来て親切に対応してくれたって。またうちの店の評価が上がったよ、ありがとう」

「いえ、窓口係として当然ですから」

「うん、今後もその調子で頑張って下さい」

「はい」


その時食事を終えた杏樹は席を立つ。正輝の傍から一刻も離れたくて急いで食べたのでなんだか食べた気がしない。


「ではお先に」


二人に向かって会釈をすると杏樹はその場を後にした。


化粧室で歯を磨きながら杏樹は思う。


(副支店長が来てくれて良かったぁ)


偶然とはいえグッドタイミングで現れた優弥に対し杏樹は感謝の気持ちでいっぱいだった。


(それにしても正輝は一体何が言いたかったの? あの嫌味な感じは何?)


杏樹は心の中がモヤモヤとしたまま営業フロアへ戻った。


窓口へ戻ると店内には穏やかな空気が流れている。客足は一旦途絶えて窓口も暇そうだ。

そこで杏樹は美奈子に今起きた事を小声で伝える。


「何それ? なんで今更杏樹に寄って来るのよ」

「わかりません。それに話し方がいちいち嫌味っぽくて参りました」

「バカじゃないの? 自分の方から振ったくせに今更未練とか?」

「未練はないと思いますが、なんか言いたい事があるような雰囲気でした」

「何考えてるんだろうね? ハッ? もしかして八つ当たりとか?」

「八つ当たり?」

「ほら、社長令嬢の気持ちがイケメン副支店長に向いちゃったからとか?」

「それはあるかもしれませんね。今日食堂に副支店長が来てからはずっとムスッとしていたし」

「ほらほら、絶対そーだよ。やだねぇ、ちっちゃい男はぁ」

「フフッ、ほんとそうですね」

「杏樹、もしあいつがヨリを戻そうって言ってきても絶対に言う事を聞いちゃ駄目だからね」

「わかってます。私もそこまで馬鹿じゃありませんから」

「よしよしその調子! 杏樹はもうすっかり吹っ切れて前に進んでいるようだから安心ね。この先はいい女へ続く道まっしぐらだからそのまま前を向いて歩きなさいよー」


そこで反対側の窓口にいた真帆が聞いた。


「いい女へ続く道ってなんですかぁ?」


真帆のキョトンとした顔を見た二人はフフッと声を出して笑った。

ワンナイトのお相手はまさかの俺様上司&ハイスぺ隣人でした

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