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十七年前。
旧産科病棟の階段。
母は、
二人の「澪」の前から落ちた。
そして。
一度、
死んだ。
「死んだって」
私は柿崎先生を見る。
「心停止した、という意味ですよね」
先生は頷いた。
「医学的には、そうです」
「何分?」
答えるまで、
少し間があった。
「十三分です」
十三分。
十五年前だと聞かされていた記憶では、
十一分。
そこまで、
書き換えられていた。
「記録を見せてください」
柿崎先生は、
古いファイルを開いた。
十七年前。
六月二十五日。
午後六時三分。
転落。
午後六時五分。
呼吸確認できず。
午後六時六分。
心拍確認できず。
午後六時十九分。
自己心拍再開。
私は数字を追った。
「六時六分から十九分」
十三分間。
母の心臓は、
止まっていた。
「その間、誰が蘇生したんですか」
先生が答える。
「私です」
「一人で?」
「いいえ」
また、
嫌な間。
「誰がいたんです」
先生は、
紙の下に書かれた名前を見る。
「七人です」
胸が強く鳴った。
「七人?」
「はい」
十七年前。
母が旧産科病棟へ集めた人々。
高瀬。
榊原。
父。
由紀子。
佐伯。
柿崎。
三田村。
死亡通知が作られる二年前。
すでに、
七人は同じ場所にいた。
「七人全員で母を助けた?」
柿崎先生は、
すぐには頷かなかった。
「助けた人もいます」
「じゃあ、助けなかった人も?」
先生は黙る。
父が口を開いた。
「俺が千佳を抱き起こした」
「父さんが?」
「ああ」
「柿崎先生が心肺蘇生?」
「そうだ」
「ほかの人は?」
父は一人ずつ思い出すように言った。
「由紀子が救急車を呼ぼうとした」
「呼ぼうとした?」
「高瀬が止めた」
私は固まった。
「どうして」
「警察が来るからだ」
「人が死にかけてるのに?」
「階段の上に」
父が言う。
「二人の少女がいた」
どちらも、
水城澪として扱われていた。
警察が来れば、
当然訊かれる。
誰なのか。
なぜ同じ名前なのか。
なぜ一人は、
同じ時間に市外の宿泊行事にもいるのか。
二十九年前の出生記録まで、
掘り返される。
「だから高瀬さんは救急車を止めた?」
「ああ」
吐き気がした。
「母を見殺しにしようとしたんだ」
「違う」
父が言う。
「高瀬は、柿崎先生に助けろと言った」
「病院なのに救急車を呼ばず?」
「この建物で蘇生できると思った」
「自分たちの秘密を守りながら?」
父は、
否定しなかった。
母は、
その十三分間。
命より、
七人の秘密を優先された。
「だから母は」
私は呟いた。
「『この七人に殺されました』って」
全員が、
母を刺したわけじゃない。
毒を飲ませたわけでもない。
でも。
救急車を呼ぶのを止めた。
警察を呼ばなかった。
真実を隠した。
結果、
母は十三分間死んだ。
「でも母は戻った」
私は言った。
「十九分に心拍が戻った」
「はい」
柿崎先生が答えた。
「最初に何て言ったんです」
先生の顔が変わった。
「覚えてるんですか」
「いいえ」
でも、
母なら。
戻って最初に、
何を言うだろう。
先生は、
記録ではなく、
自分の記憶から答えた。
「『澪はどっち』」
私は息を止めた。
「……どっち?」
「はい」
母は、
自分が死にかけたことより。
誰が押したのかより。
二人の少女のうち、
どちらが澪なのかを訊いた。
「そのとき二人ともいた?」
父が首を振る。
「一人消えていた」
「誰が?」
「分からない」
階段から母が落ちた。
全員が母の蘇生に気を取られた。
その間に、
二人いた少女のうち一人が消えた。
「残ってたのは?」
私は訊いた。
父は私を見る。
「お前だと思っていた」
「思っていた?」
「ああ」
「証明は?」
ない。
当然だ。
「残った少女は何て言ったんです」
柿崎先生が答える。
「ずっと泣いていました」
「私が押したって?」
「はい」
「自分から?」
「そうです」
私は、
母を殺した。
そう叫び続けた。
だから全員、
残った少女が母を押したと思った。
でも。
三田村だけは、
言った。
――お前じゃない。
「三田村さんは何を見たんです」
「それを話さなかった」
父が言う。
「十七年間?」
「ああ」
「母にも?」
「千佳には、あとで話したと思う」
だから母は、
紙に書いた。
澪は私を殺していない。
あれは、
娘を庇うためだけではなかった。
母には、
別の真実があった。
「母は蘇生したあと」
私は訊いた。
「警察へ行こうとしなかった?」
柿崎先生が首を振る。
「逆です」
「逆?」
「全員を帰さなかった」
「どういう意味です」
「旧病棟の扉を」
先生は言った。
「千佳さん自身が施錠しました」
心停止から戻ったばかりの母。
それでも、
七人を帰さなかった。
「何をしたんです」
「尋問です」
父が言った。
「七人を一人ずつ座らせて」
「何を訊いたの」
父の声が低くなる。
「二十九年前、誰が何をしたか」
母は、
その日の本来の目的を続けた。
一度死んでも。
「録音、残ってますか」
柿崎先生は頷いた。
さっき聞いたカセット。
まだ続きがある。
再生する。
ノイズ。
荒い息。
母の声。
弱い。
それでも、
はっきりしている。
『最初からやり直します』
誰かが言う。
父。
『千佳、今日はもう』
『黙って』
母。
『私は今、一度死にました』
部屋が静まる。
録音の中でも、
誰も話さない。
母が続ける。
『だから、もう怖いものはありません』
声が震えていた。
怖くなかったはずはない。
でも、
母は言った。
『二十九年前の午後十一時四十分』
『誰が新生児室に入りましたか』
沈黙。
『誰が名札を外したの』
沈黙。
『誰が赤ん坊を連れ出したの』
また沈黙。
そして、
母が最後の質問をする。
『誰が』
一度、
息を吸う。
『私の家に二人の赤ん坊を置いたの』
私は録音を止めた。
「母も知らなかった?」
二十九年前。
翌朝。
母の家にいた二人の赤ん坊。
私は、
母自身が連れて帰ったのだと思っていた。
でも。
違う。
母が連れて帰ったのは、
一人だけ。
もう一人は、
誰かが置いた。
「だから母は七人を集めた」
私は言った。
「自分でも答えを知らなかったから」
父が頷く。
録音を再開する。
最初に口を開いたのは、
榊原だった。
『私は知らない』
次。
佐伯。
『俺もだ』
由紀子。
『千佳、今は』
母が遮る。
『嘘をついたら、名前を残します』
『何の?』
高瀬の声。
母が答える。
『私を殺した人として』
私は息を止めた。
その言葉は、
ここから始まった。
母を殺した七人。
最初は、
遺書ではなかった。
脅しだった。
真実を話させるための。
『私が今日、本当に死んでいたら』
母は言う。
『あなたたちは全員、私を見殺しにした』
誰も否定しない。
『だから全員、加害者です』
さらに。
『でも私は』
長い沈黙。
『私を落とした子だけは、加害者にしません』
私は拳を握った。
なぜ。
母は、
そこだけは守った。
録音の中で、
三田村が初めて口を開く。
『千佳』
『何』
『押したのは、澪じゃない』
全員が騒ぐ。
『何を見た』
母が訊く。
三田村。
『二人いた』
『知ってる』
『違う』
声が低くなる。
『階段の上にいたのは、二人じゃない』
私は息を止めた。
『三人いた』
部屋の空気が変わった。
私も。
父も。
柿崎先生も。
「三人?」
録音の中。
父が言う。
『何を言ってる』
三田村。
『俺は見た』
『誰を?』
そして。
テープが、
そこで切れていた。
「続きは?」
私が訊く。
柿崎先生が首を振る。
「ありません」
「切ったのは誰?」
「分かりません」
三人。
二人の「澪」。
そして、
もう一人。
十七年前。
階段の上には、
三人の少女がいた。
そのうち一人が、
母を突き落とした。
母は十三分間、
心停止した。
一度、
死んだ。
そして生き返って、
七人に真実を話せと迫った。
「だから」
私はようやく理解した。
十五年前。
母が死亡通知を作った理由。
十七年前、
普通に集めても、
七人は最後まで嘘をついた。
だから二年後。
母は、
もっと逃げられない方法を作った。
死亡通知。
自分が一度死んだことを、
七人への脅しに変えた。
そのとき。
真壁刑事のスマートフォンが鳴った。
古い救急記録の追加資料が届いていた。
「水城さん」
「何ですか」
「六月二十五日の記録に、もう一件あります」
「何が?」
真壁が画面を見せる。
母が心拍を取り戻した、
午後六時十九分。
その三分後。
18:22
旧産科病棟から、
救急要請が出ていた。
母ではない。
「患者名」
私は読む。
そして、
声を失った。
水城澪。
「私?」
十四歳ではない。
十二歳の私。
救急記録。
意識不明。
頭部外傷。
そして。
搬送前に行方不明。
母が生き返った直後。
もう一人の「水城澪」が、
旧産科病棟で倒れていた。
でも、
救急隊が到着する前に、
誰かがその少女を連れ去った。
母はその日、
一度死んでいた。
そして同じ日。
私の名前を持つ少女が、
もう一人――
消えていた。
コメント
1件
もう…読んでて息が止まるかと思いました。母が十三分間も心停止してたって数字、重すぎる。それなのに戻って最初に訊いたのが「澪はどっち」って、そこがもう母のすべてだなって。そして三田村さんの「三人いた」——この話、まだまだ隠してる真実が奥にあるんですね。三人目の少女、誰なんだろう。続きが気になって今夜眠れそうにないです。
350
82
#王子
すっこ
173
#主人公最強
杯雪乃
1,309