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――2026年7月21日 午前十一時四十一分
** ■■県童ノ宮市湯山町新大群■■-■■ 塚森本家**
最近はどんなことでも、ネットを漁ればその道のプロ、もしくはプロ並みのノウハウを懇切丁寧に教えてくれる。
ちょっと時間がかかってしまったけれど、どこかの着付け教室の先生が公開している動画のおかげで何とか一人でも浴衣に着替えることができた。おかしいところはないか、うちは姿見の前で身体を半回転させて確認。
「……うん。大丈夫やね」
頷きながら思わず、うちは口元をほころばせていた。
去年、お父さんが近所の呉服屋さんで新調してくれたばかりの浴衣だ。木綿の肌触りが優しく、紅葉の葉をイメージした柄が、質素ながら可愛いので気に入っていた。
ふと、うちは勉強机の上に置かれた目覚まし時計に目を転じる。
人と会う約束の時間まで、後二十分ぐらい……。
「ん。そろそろ出かけよっかな――。遅刻して迷 惑かけるん嫌やし……」
呟きながらうちはクローゼットのなかからいつも使っているショルダーバックの代わりに、薄い桃色の巾着を取り出していた。
これも去年、お父さんが浴衣に合うよう併せて買ってくれたやつ。収容量が少ないから、普段はバックインバック使いだけど。
階段を降りて玄関に向かい、下駄に足を通していると、
「おっと――。今から出かけるのかい?」
ガラッと開き戸が開き、背の高い男の人が額の汗をぬぐいながら玄関に入ってきた。
この人は塚森レイジ。うちのお父さん。養父やけど。
お勤めからそのまま帰って来たらしく、烏帽子をかぶり狩衣を着ている。塚森家は先祖代々、童ノ宮と言う神社の氏子総代を務めていて、お父さんはそこの神職さんだ。
「うん。そろそろ家を出た方がええかなって……」
「面倒な頼みごとをしてゴメンな。キミカだってお友達と遊んだりしたいだろうに」
「ううん、そんなん全然気にせんといて」
申し訳なさそうに目を伏せるお父さんに慌ててうちは言った。
「夏渡りの儀は一週間もあるし、そのうち、三日ぐらいならどうってことあらへんわ。ユカリ達にも後で合流させてなって伝えてるし……。こういう形で塚森家や童ノ宮の役に立てるなら本望やし」
嘘偽りのない、うちの本心だった。
本来、塚森家とは何のかかわりもないうちを養女にしてくれたお父さん、それを受け入れてくれた親族の人達。そして童ノ宮の神様にはうちがどんなに返そうとしても、到底返すことのできない恩がある。
「それに案内する相手ってあのマキオ君やろ? 実はうち、結構ファンやねん」
マキオ君って言うのは最近、テレビのドラマやCMでよく見かける子役のこと。
確か本名は栗原マキオで、今年で五歳だそうだ。テレビで見る限りは色白で整った顔立ち、クリッとした大きな瞳が印象的な男の子だ。
聞いた話だとここ、童ノ宮に伝わる稚児天狗伝説をモチーフにした特撮ドラマ、もしくは映画の企画が進行している。その企画にはお父さんの古い知り合いが出資者として関わっているらしく、栗原マキオはその人が経営する芸能プロダクションの秘蔵っ子だとか。
その社長さん自身、童ノ宮の出身者でお父さん曰く、童ノ宮の神様の熱心な崇敬者でもあるらしい。実写版稚児天狗をこの世に生み出すのは社長さんの長年の夢でもあり、今回、栗原マキオが祭りの見学に訪れたのはその人の意向だとのこと。
そして、童ノ宮をお守りする塚森家の一員としてうちがその案内という大役を承ったというわけ。ここだけの話、正直に言うと――、うちとしても特撮技術でヒーローとして描かれた神様は素直に見てみたい。ちょっと不敬かもだけど、本物がそれを見てどんな顔をするのかも。
と、お父さんに続いて――
「わっ、かわいい! み、見てくださいゼナ博士! キミカちゃんの浴衣姿!」
「ああ、確かにかわいいね。……でもね、他人様の玄関先で大きな声を出しちゃダメだよ」
玄関に入ってきたのは二人の女の人だった。
一人は柴崎ゼナさん。うちらはゼナ博士って呼んでる。
ちょっと妬ましいくらいショートカットがよく似合う小顔美人。確か年齢は三十歳って聞いた気がする。細いチタンフレームの工業的なデザインの眼鏡もまた良く似合っていて、理知的な雰囲気を際立たせている。
暑い夏場に相応しい淡いブルーグレーのチュニックブラウス、移動したりしゃがんだりする動きの妨げが少なそうな黒のマタニティ用のジョガーパンツという出で立ち。丸く突き出た腹部に自然と手を添え、かばっていることから分かるようにゼナさんは妊婦さんだった。
そして、もう一人は大学を卒業したぐらいのお姉さん、姫宮アンナさん……。子供のうちが言うのもあれだけど、ふんわりとした雰囲気がいかにもお嬢さんって感じの人。穏やかで優しそうな笑顔がよく似合っている。
淡いグレーピンクのブラウスは涼しげな七分袖。ボトムズは動きやすそうなストレッチスラックスを履き、長く艶やかな髪を今日はポニーテールにまとめている。
そんな二人の肩書は怪異医学博士とその秘書。怪異、妖怪、幽霊、それにお化け――。
呼び方は何だっていいけれど、そういう類のものを専門的に研究する組織、白虎機関の上級職員だ。
ちなみにお父さんも二人の同僚で、そういう類のものが関わっていそうな事件や土地、建物、物品などを専門に調査する組織、朱雀機関の嘱託調査員だったりする。
それはそれとして――
「お、お久しぶりです……」
年上の人に対する礼儀を思い出し、うちは頭を下げていた。声が上ずり、口の中が乾いてゆく。緊張しているせいだ。
「あの、その節は大変お世話になりまして、その……」
「あれれー? どうしたの、キミカちゃんー?」
相変わらず穏やかな笑顔のまま、姫宮さんが優しく言う。まるで幼稚園児を相手にしている保母さんみたいな印象だ。
「私達、クソッたれの悪党を粉々にした後、コンクリ詰めにして一緒に大笑いした仲でしょ? そんな他人行儀にされたら、お姉ちゃん哀しいなぁ」
肩をポンポンと叩かれる。
何のことはないスキンシップだが、内心、ひぇえと悲鳴をあげていた。
うちと親友の長谷川ユカリを姫宮さんを含めた大勢の大人たちが救ってくれたのは事実だし、感謝はしている。童ノ宮の神様ならともかく、うち自身には怪異を粉々に砕くなんて力はないし、そんな度胸もない。まして、それをコンクリ詰めにして嘲笑するなんて絶対に無理だし、あの時の出来事は今思い出しても鳥肌が立って来る……。
それなのに姫宮さんの認識の中ではどうしてそういうことになっているのか、うちには理解ができない。
「んー? キミカちゃん、ひょっとしてフリーズしている? おーい?」
「そこまでだ、姫宮アンナ」少し苦い声でゼナ博士が口を挟んで来る。
「キミカちゃんが困ってる。……彼女、これから人と会うんだろ? 邪魔しちゃ悪い」
「えええっ、そうなんですか? せっかく、お茶できるって思ったのにぃ」
姫宮さんは少し不満げだったが、結局そのまま口を閉ざしていた。
「出かけ際にうるさくしてごめんね」
改めてうちに向き直り、ゼナ博士が言った。
「私達は君のお父さんの儀式を見学させてもらったついでに――ついでに、と言うのも失礼だな。……古文書を数点、借り受けに来たんだ」
古文書……。
ゼナ博士が言ってるのは蔵の中に収められている、塚森家歴代当主の日記や童ノ宮で執り行われた儀式や怪異、そして神様の顕現に関する記録のことだと思う。
その内のいくつかをうちもお父さんに見せてもらったことがあるけれど、正直、何と書かれているのかサッパリわからなかった。
「そうやったんですね。……今はどんなテーマで研究されてるんですか?」
「ん。キミカちゃん、興味ある?」
何となく発したうちの言葉にゼナ博士の表情がパッと明るくなる。
「そりゃあるよね。――塚森文書は将来、キミカちゃんが継承するかもしれない文化的にも霊性研究の視野から見ても重要な遺産だからね。興味があって当然だ」
「えっ? い、いや、うちにはそういう難しいことは……」
「童ノ宮の秘伝を伝える巻物に『ごんげん』と言う記述があってね。あ、ごんげんっていうのは漢字で権現って書く、本地垂迹思想に基づく言葉と大体、同じ意味で使われているみたいで……あ、これは別に童ノ宮の神様に限った話じゃない。日本全国で似たような怪異がいくつも観測されているんだ」
段々と早口になってゆくゼナ博士にうちは口を紡ぐ。白虎機関の職員になる前、普通の小児医だったけれど、趣味で民俗学のフィールドワークなんかも嗜んでいたらしい。
現在は稚児天狗についていろいろ学びたいと、いわゆる参与観察と称して、その活動拠点をここ童ノ宮に設置している。なんでうちの通う中学校に保健の先生として勤めだしたのかまではよく分からへんけど……。
「物語としてはどれも興味深いが、怪異現象としての強さは童ノ宮に伝わる『ごんげん』に比べると、ささやかで取るに足らないと言わざるを得ない。……恐らく、それは童ノ宮の神様が生前から稀有な神通力を有していたという、個人的な素養に寄るのだろうね」
ゼナ博士の話はまだ続いている。
女の人の割にはゼナ博士は口数が少ない方だと思うけれど、自分の好きな事や守備範囲の話になると饒舌になるのはオタクやマニアならあるあるで、この人も例外やないんやな。
「それでキミカちゃんにお願いしたいのは、今度、童ノ宮の神様にコンタクトを受けた時、いくつかアンケートを取って欲しいことが……」
「まあまあ、それは後でもいいじゃないですか」
次第にボルテージを上げてゆくゼナ博士を苦笑しながらお父さんが窘める。
「じゃあ、案内役をよろしく頼むねキミカ。……子役と言っても、普通の人と接してくれるよ言うに相手してくれたらいいからね」
「あ、そう言えば栗原マキオ君が童ノ宮に来てるんでしたっけ?」
はっとしたように姫宮さん。ちょっと視線を斜め上に向け、こう付け加える。
「有名人って大変ですよね。マキオ君、まだ小さいのに偏執的なアンチに殺人予告されたり、最近は水難事故にあったりしたんでしょ? 無事生還できて良かったですけど……」
そ、そんなことあったんや……。
アンチの話も水難事故の話も、今初めて知った。
これから初めて会う子供の情報としては、どちらもあまりにネガティブだ。
なので、うちは聞こえない振りをしてそのまま玄関を出ることにした。
「――ほな、行って来まーす」