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夜の宿の部屋。三人分の布団が床に並び、窓の外にはかすかな海の波音。蓮司は床にあぐらをかき、ポテチをつまみながらスマホをいじる。日下部は窓際に体を寄せ、遥は布団に座って膝を抱えていた。


蓮司「そういえば、今日の夕飯、ほとんど食べなかったよな、遥」


遥「……食う気にならなかっただけ」


日下部「どうしてだ?」


遥は目を伏せたまま、口をつぐむ。しばらく沈黙が流れ、やっと小さな声で言った。


「……家で残すと怒られるんだ。今も……同じ感じ」


蓮司「今もって、どういう意味だ?」


遥は布団に手を突っ張るようにして、ぼそりと吐き出す。


「怒鳴られるとか、殴られるとか、学校でも怒られることと同じで……なんか、ずっと続いてる」


日下部が少し眉を寄せて口を開く。


「……そうか。でもここでは誰も怒らねぇぞ」


「知ってるけど……体が反応しちまうんだよな。手が震えたり、食べてても落ち着かねぇ」


蓮司はふふ、と軽く息を吐く。


「なるほど、トラウマってやつだな」


「笑うなよ」


日下部は小さく笑いながらも、口調は柔らかく。


「……俺らが見てるから、無理に耐えなくていいんだぞ」


遥は少し肩をすくめ、でも不機嫌そうに返す。


「……ありがてぇけど、別に誰かに頼るつもりはねぇ」


蓮司「そっか。ならまぁ、俺らは見守っとくってことで」


遥は口を真一文字にして布団に突っ伏す。


「……ほっといてくれりゃいいんだ」


日下部はその様子をじっと見つめて、低くつぶやく。


「……いや、ほっとけねぇよな」


三人は言葉少なに布団に沈む。波音と風の匂いだけが、部屋の空気をゆるやかに流す。

遥の口調はぶっきらぼうだが、心の奥では今も消えない地獄の影を抱えている。それでも、隣に二人がいるだけで、少しだけ均衡が保たれる夜だった。





布団に沈んだままの三人。波音だけが静かに部屋を揺らす。遥はまだ少し伏せたまま、眉間に皺を寄せている。


蓮司がふとポテチの袋を揺らしながら言った。


「……てか、お前ら、海であんなに騒いどいて、今更静かってわけか?」


日下部「……海は楽しかっただろ」


遥は小さく肩をすくめる。


「楽しかったけど、波の音聞くとちょっと……落ち着かねぇ」


蓮司はニヤリと笑った。


「そっか。でも、お前、笑えるときは笑ってたじゃん。結構面白い顔してたぞ」


遥「……面白くねぇよ」


日下部が小声で、「いや、俺は面白かったと思う」とつぶやくと、遥がちらりと目を上げる。


「……お前まで褒めるなよ。うるせぇ」


蓮司「ほら、笑え笑え。今日の夜は、思いっきり遊んだからな。ここでまた沈むのも勿体ねぇだろ」


遥は少しだけ口角を上げ、ぶっきらぼうに答える。


「……ふん、別に面白くねぇけどな」


日下部はその小さな笑いに気づき、ほっと息をつく。


「……でも、それでいいんだよ」


蓮司はスマホを置き、少し身を乗り出して言う。


「じゃあ、ここで変なゲームでもやるか。トランプでも、ちょっとした心理戦系のやつな」


遥「……あー、面倒くせぇ。でも、やるか」


日下部「俺もやる。手加減はできるぞ、でも……」


蓮司「手加減なんていらねぇ。お前らの本気、見せてくれよ」


三人は布団の上で座り直し、笑いながらも小さく競い合う。

遥はまだ少し警戒しつつ、でも、二人に囲まれた安心感もあり、少しずつ声を上げて笑った。

日下部はぎこちなく笑いを返し、蓮司は飄々としながらも楽しそうに目を光らせる。


波音の中、部屋には小さな笑い声と、ゆるい緊張感が混ざった心地よい空気が流れる。

遥の地獄は消えないけれど、この夜は少しだけ、三人だけの居場所として生きていた。



無名の灯 余白、三人分。

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