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部屋のインターホンが鳴ったのは、出来上がったいくつかの料理を皿に盛り付け終えた時だった。玄関に出て行きドアを開ける。私を見て諒がにこっと笑った。
「ただいま」
諒につられて、つい返してしまう。
「お帰りなさい」
「本物の恋人同士みたいだな」
「やめてよ」
ぎこちなく文句を言いながらも、私は戸惑っていた。恋人役の話は冗談だったのよねと、改めて確認したくなったが、諒の嬉しそうな顔を見て、ひとまずはやめておく。
「入っていい?」
「どうぞ。ご飯もできてる」
「お邪魔します」
礼儀正しい諒の姿に、やっぱりあの夜のことは全部夢だったのではないかと思えてくる。それほどまでに、あの時の諒は別人のようだった。
「俺の顔に何かついてる?」
「な、なんでもない」
「ふぅん?とりあえず、洗面所借りるよ」
手を洗い終えて戻ってきた彼は、私が促すよりも先に椅子に腰を下ろした。
「瑞月の飯か。何年ぶりかな」
しみじみと言い、諒は嬉しそうな顔で食事を平らげて行った。綺麗に食べ終えて、満足そうに両手を合わせる。
「ご馳走さまでした。瑞月はやっぱり料理がうまいよな。ほんと、久しぶりだったもんなぁ。腹減った、って言ってみて良かった」
「口に合ったようで良かったです」
苦笑しながら私は言い、彼の前にお茶を置いた。
「でも、どうして急に、ご飯だなんて言って来たの?」
諒はお茶を一口飲み、私の疑問に答える。
「早速瑞月に恋人役をやってもらったんだよ」
私は目を瞬かせた。
「あれ、本気だったの……?」
「冗談だと思ってた?」
「それは、だって……」
諒は苦笑を浮かべる。
「さっきの電話は、例の人に見せつけるためだったんだ」
「例の人?」
「この前話した人のことさ。今日の帰り、たまたま先輩と一緒になって、二人して駐車場に向かってたら、あの人がまた現れてさ。待ち伏せっていうやつだよな。薄暗いのをいいことに、その人に気づかないふりをして、お前に電話したわけさ。俺には彼女がいるっていうアピールのつもりでね。当然先輩には冷やかされたけど、証人ってことで、むしろちょうど良かったかもな」
「そうだったの……。それで、効果はあったみたい?」
「さて……。電話の内容は聞こえていたと思うんだよね。それで、すっぱりと諦めてくれればいいんだけどな」
諒の話を聞いていた私は、ふと思う。
「ねぇ、私はその人に直接会う機会はないわよね?それなら、本当にいなくてもいいんじゃないの?その、恋人役って」
「本当にいた方が、そういう場面になった時、リアリティがあるじゃないか」
「そうかもしれないけど……。じゃあさ。いっそのこと、はっきり言ってみたらどう?冷たく完璧に振ってあげれば、さすがに諦めてくれるんじゃないかな」
「そうしたいのはやまやまだけど、これでも一応は人気商売的なところがあるからなぁ。あんまり冷たくするのもどうなんだ、っていう葛藤がさ……」
「ふぅん?なんだかいまいち、納得できるような、納得できないような……」
諒の言葉は言い訳にしか聞こえない。考えるのが面倒になって、私はため息をつく。
「ま、諒ちゃんの問題だもんね。とにかく、その人が早く諦めてくれるといいね」
諒は拗ねた顔で私を見る。
「確かに俺個人の問題だけどさ。俺の恋人役をやるの、瑞月はそんなに嫌なのか?」
「そ、それは……」
目を泳がせる私に、諒はにやりと笑う。
「ま、とりあえずは、そのことで頭がいっぱいになってたんじゃないか?おかげで、元カレのことなんか、だいぶ忘れられただろ?」
確かに、と思わないでもない。元カレと別れた後、私を襲ったのは、あまりにも衝撃的で怒涛の展開だった。浮気されたことを嘆き続けている暇がなかったのは、そのおかげと言えば言える。
「そろそろ帰るよ。片づけないままで悪いけど」
「う、うん……」
席を立つ諒に続き、私も慌てて立ち上がった。部屋を出て玄関に向かう彼の後を追う。
諒が廊下の途中で足を止めて振り返る。
「なぁ、前みたいに、たまにでいいから、お前の手料理が食べたいな。今日久々に食べたらやっぱりうまくてさ。なんなら余り物だっていいよ。……だめ?」
諒は身をかがめて私の顔を覗き込む。
昔はこれくらいの距離感を何とも思わなかったはずなのに、今は驚くほどどきどきする。彼の視線を避けて私は目を伏せた。
「で、電話もらったら、できる時は、用意してあげてもいいけど……」
「うん。わかった。じゃあ、電話する」
諒は嬉しそうに目を細め、次の瞬間、私にキスをした。
はっとして後ろに下がり、私は彼に抗議の言葉をぶつける。
「キスしていいなんて、私、言ってないよ」
しかしその声は、自分でも呆れるほど弱々しかった。
諒はまったく悪びれた様子もなく、あっけらかんとしている。
「普段からこうしてた方が、そういう場面になった時、恋人らしく振舞えるだろ?それじゃあ、またな。戸締り、ちゃんとしておけよ」
諒は私の頭をくしゃっと撫でて、帰って行った。
彼を見送った後の静かな玄関で、私は小刻みに鳴る心臓の音に耳を傾ける。
恋人役って、普段からそういう感じでいてほしいっていう意味なの――?
彼に抱かれたあの夜、そっと芽生えたある感情があった。ずっと気づかない、思い出さないふりをしていた。けれど、それがはっきりとした形を成しつつあることを、もう認めざるを得ないと分かってしまった。次に会った時どういう顔をしようかと、私の心は揺れた。